
「鳥はいいなあ、あんな大空を、自由に飛ぶことができるんだから」
野鳥の写真を撮るようになって、わたしはしばしばそんな思いにかられながら、彼らを観察する。
ダチョウなどごくわずかな例外をのぞき、「空を飛翔する生きもの」といえば、まず鳥のことだ。
しかし・・・昆虫だって、大抵の種は空を飛ぶことができる。甲虫などは不器用で見ていてハラハラすることがある。チョウやトンボは飛翔の名人。
とはいえ、空を飛翔する生きものといえば、やっぱり代表格は鳥類o(゜∀゜)o
自由に、愉し気に、ときには悠々と、大空を滑っていく。
彼らにとって、300m、500mなど、それこそひとっ飛びなのだ・・・望遠レンズつきのカメラを持って、よたよたと走っている人間を嘲笑うかのように。
鳥は空を飛ぶ。
手というか、腕というか、それと引き換えに翼を手に入れた。数億年まえ、ご先祖がそういう生存戦略を選択したから。
そして世界中でさまざまな種が繁栄している。
鳥に関心を持つ以上、やっぱり飛翔する姿を撮りたいと、1年生のわたしも考えていて、このあいだから、チャンス到来を待ちかねていた。
トップ画像は、ジョウビタキ♂。利根川の川面をかすめるように飛翔している姿をパチリ!
セキレイを真似ているのかな*(^-^*)
お尻のほうから撮影しているので、小さな肉色の脚が写った。


上はキセキレイさんの飛翔。
下はセグロセキレイさん/_・)/_・)
動きが早すぎ、ミラーレスカメラのファインダーで追従するのは、そう簡単ではない´Д`
広めにフレーミングし、あとからトリミングするという初歩的な手法を使っている。
そのため、クリア感シャープネスに欠けてしまうのがやや残念。
SS優先モードで、1/1000を切るようにしている。ISO感度は上限1600オートなので、光量が足りないと、粒子が荒れる。きわどいせめぎ合いなのだ。
シジュウカラやセキレイの仲間は小回りがきいて、じつに敏捷に飛び回っている。飛ぶこと、それ自体をエンジョイしているシーンも見かける。

こちらは餌場をめぐって、アトリの争い。
いいなあ、悠々として、愉しそうで、自由な移動が広範囲にできるし・・・とわたしは思っているけれど、彼らには彼らの苦労というのもあることが、最近になって少し見えてきた。
餌場をめぐる争いもそうだが、わたしの好きなジョウビタキも、ギャングみたいなムクドリにときどき追われて、逃げ回っている。
猛禽類はおそらく、人間とならぶ“天敵”だろう。つねに命を狙われている。
たとえばエナガを撮ろうとしていたときのこと。群れでやってきているというのに、なぜあれほど落ち着きなく、チョコチョコとあっちの枝からこっちの枝へと動き回っているのだろう?
そしてわかったのだ。
“命を狙う者”は彼らの油断につけこみ、容赦なく襲ってくる(゜Д゜;)
小鳥たちはそういう恐怖と背中合わせに生きている。
遅ればせながら、あの行動パターンは安全への配慮が生み出したものであるということがわかったのだ。
しかも縄張りがあり、強者と弱者の壁を越えることは不可能。
だから自由にふるまっているように見えても、そういう観点からはけっこう窮屈な世界の住人なのかもしれない。
このあいだも書いたように、小さな鳥にも感情が・・・喜怒哀楽がある。
撮影しているわたしは、彼らのそのささやかな喜怒哀楽に寄り添っていくことで、自然の世界に生きるとはどういうことかを「学ばせてもらっている」、といっていいだろう。
野鳥の写真を撮るようになって、わたしはしばしばそんな思いにかられながら、彼らを観察する。
ダチョウなどごくわずかな例外をのぞき、「空を飛翔する生きもの」といえば、まず鳥のことだ。
しかし・・・昆虫だって、大抵の種は空を飛ぶことができる。甲虫などは不器用で見ていてハラハラすることがある。チョウやトンボは飛翔の名人。
とはいえ、空を飛翔する生きものといえば、やっぱり代表格は鳥類o(゜∀゜)o
自由に、愉し気に、ときには悠々と、大空を滑っていく。
彼らにとって、300m、500mなど、それこそひとっ飛びなのだ・・・望遠レンズつきのカメラを持って、よたよたと走っている人間を嘲笑うかのように。
鳥は空を飛ぶ。
手というか、腕というか、それと引き換えに翼を手に入れた。数億年まえ、ご先祖がそういう生存戦略を選択したから。
そして世界中でさまざまな種が繁栄している。
鳥に関心を持つ以上、やっぱり飛翔する姿を撮りたいと、1年生のわたしも考えていて、このあいだから、チャンス到来を待ちかねていた。
トップ画像は、ジョウビタキ♂。利根川の川面をかすめるように飛翔している姿をパチリ!
セキレイを真似ているのかな*(^-^*)
お尻のほうから撮影しているので、小さな肉色の脚が写った。


上はキセキレイさんの飛翔。
下はセグロセキレイさん/_・)/_・)
動きが早すぎ、ミラーレスカメラのファインダーで追従するのは、そう簡単ではない´Д`
広めにフレーミングし、あとからトリミングするという初歩的な手法を使っている。
そのため、クリア感シャープネスに欠けてしまうのがやや残念。
SS優先モードで、1/1000を切るようにしている。ISO感度は上限1600オートなので、光量が足りないと、粒子が荒れる。きわどいせめぎ合いなのだ。
シジュウカラやセキレイの仲間は小回りがきいて、じつに敏捷に飛び回っている。飛ぶこと、それ自体をエンジョイしているシーンも見かける。

こちらは餌場をめぐって、アトリの争い。
いいなあ、悠々として、愉しそうで、自由な移動が広範囲にできるし・・・とわたしは思っているけれど、彼らには彼らの苦労というのもあることが、最近になって少し見えてきた。
餌場をめぐる争いもそうだが、わたしの好きなジョウビタキも、ギャングみたいなムクドリにときどき追われて、逃げ回っている。
猛禽類はおそらく、人間とならぶ“天敵”だろう。つねに命を狙われている。
たとえばエナガを撮ろうとしていたときのこと。群れでやってきているというのに、なぜあれほど落ち着きなく、チョコチョコとあっちの枝からこっちの枝へと動き回っているのだろう?
そしてわかったのだ。
“命を狙う者”は彼らの油断につけこみ、容赦なく襲ってくる(゜Д゜;)
小鳥たちはそういう恐怖と背中合わせに生きている。
遅ればせながら、あの行動パターンは安全への配慮が生み出したものであるということがわかったのだ。
しかも縄張りがあり、強者と弱者の壁を越えることは不可能。
だから自由にふるまっているように見えても、そういう観点からはけっこう窮屈な世界の住人なのかもしれない。
このあいだも書いたように、小さな鳥にも感情が・・・喜怒哀楽がある。
撮影しているわたしは、彼らのそのささやかな喜怒哀楽に寄り添っていくことで、自然の世界に生きるとはどういうことかを「学ばせてもらっている」、といっていいだろう。