ウォーキング目的できているおじいさんにお訊きしてみた。
「あのう、このへんにスミレ咲いていないですかねぇ」
「スミレ? さあ、見かけないなあ。どこかに咲いているのかね」
逆に質問されてしまった。
う~むむ、現代人にとって、日本古来のスミレは、かくも印象が薄いということだろう(^^;)
プランタに植えられているのは、三色スミレみたいな、園芸品種のスミレばかり。これなら、わが家の庭先にも、花好きな父が買ってきて植えてあるが、もう見飽きた。
冬に見られる野鳥の季節が、わたし的にはほぼ終ったので、被写体は植物・・・というか、百花繚乱の花々に移行。
mixiアルバム「草木図譜」は、Part20となる。
つまり約2000枚のフォトが置いてあることになる。
野鳥の撮影はむずかしく、体力勝負だったり、運のよしあしだったり、機材への依存だったりする。それに比較して、花は初心者でも、ベテランでも愉しめるところがいい♪
美しい花を見ると「ああ、キレイ! いいですね。なんていう深みのある色でしょう」
・・・と皆さんがいって下さる。
まあ、そのまえにフォトグラファー自身が、撮影しながら愛でている。
仕事で30キロばかり走って、藤岡市にいったが、それが了ったあと、すぐ近所にある庚申山というところへ立ち寄った。ここは市立の総合公園。
野鳥たちの声も気になったけれど、もう3時半をまわっていたので、スミレを探す。
利根川べりで、これまでもスミレを撮ろうと探したけれど、見かけない。たまに見かけても、ひねこびていて、撮影できるような立ち姿をしていない。
犬をつれて散歩をしているひとやウォーキングにきている地元の方に訊いても埒があかない、と予想はしていた。
サクラならだれの眼にも見えるが、スミレは関心のあるひとにしか見えない。
そういう花だから(^^)/
山路来てなにやらゆかしすみれ草
かの芭蕉も、そんなふうにスミレとの遭遇を詠んでいる。
「なにやらゆかし」の語に、芭蕉の工夫があり、ああ、そうだなあ、漠然と感じていた印象を端的に表現すれば、こうなるな・・・と思わせるところに、芭蕉のすごさがある。
この句は有名だから、俳句に関心のないひとでも、大抵は知っている。
淋しさはどちら向ても菫かな
今少たしなくも哉菫草
地車におつぴしがれし菫哉
菫咲榎もいはれありと云
菫咲川をとび越す美人哉
烏帽子着てひたと寝並ぶ菫哉
スミレの句をたくさんつくった俳人は、なんといっても小林一茶だろう。
一茶の鋭い観察眼が光っている。
さっき調べてみたら、日本にはおよそ60種のスミレが自生しているという。
変種がさらに30種だとか(@_@) たまげますねぇ。
わたしは10分ほどかかって、小高い丘の北斜面で、これらのスミレにめぐり遇うことができた。
これはタチツボスミレでいいのかしら?
清楚で爽やかな立ち姿だけれど、地味で小さい。気がつかないと知らぬ間に踏みつけている。
top画像はわが家の庭に咲いているスイセン。
またこちらは玄関さきに植えてあるボケの花。
サクラとスミレはとても対照的なたたずまいをもっている。
うす菫桜の春はなく成ぬ
一茶はサクラが散ったあと、足許にあるスミレに眼を移す。
存在感があるようでないスミレはひっそりと、小家や田のあぜや山路に咲いていて、愛でてくれるひとの到来を待っている。
「あのう、このへんにスミレ咲いていないですかねぇ」
「スミレ? さあ、見かけないなあ。どこかに咲いているのかね」
逆に質問されてしまった。
う~むむ、現代人にとって、日本古来のスミレは、かくも印象が薄いということだろう(^^;)
プランタに植えられているのは、三色スミレみたいな、園芸品種のスミレばかり。これなら、わが家の庭先にも、花好きな父が買ってきて植えてあるが、もう見飽きた。
冬に見られる野鳥の季節が、わたし的にはほぼ終ったので、被写体は植物・・・というか、百花繚乱の花々に移行。
mixiアルバム「草木図譜」は、Part20となる。
つまり約2000枚のフォトが置いてあることになる。
野鳥の撮影はむずかしく、体力勝負だったり、運のよしあしだったり、機材への依存だったりする。それに比較して、花は初心者でも、ベテランでも愉しめるところがいい♪
美しい花を見ると「ああ、キレイ! いいですね。なんていう深みのある色でしょう」
・・・と皆さんがいって下さる。
まあ、そのまえにフォトグラファー自身が、撮影しながら愛でている。
仕事で30キロばかり走って、藤岡市にいったが、それが了ったあと、すぐ近所にある庚申山というところへ立ち寄った。ここは市立の総合公園。
野鳥たちの声も気になったけれど、もう3時半をまわっていたので、スミレを探す。
利根川べりで、これまでもスミレを撮ろうと探したけれど、見かけない。たまに見かけても、ひねこびていて、撮影できるような立ち姿をしていない。
犬をつれて散歩をしているひとやウォーキングにきている地元の方に訊いても埒があかない、と予想はしていた。
サクラならだれの眼にも見えるが、スミレは関心のあるひとにしか見えない。
そういう花だから(^^)/
山路来てなにやらゆかしすみれ草
かの芭蕉も、そんなふうにスミレとの遭遇を詠んでいる。
「なにやらゆかし」の語に、芭蕉の工夫があり、ああ、そうだなあ、漠然と感じていた印象を端的に表現すれば、こうなるな・・・と思わせるところに、芭蕉のすごさがある。
この句は有名だから、俳句に関心のないひとでも、大抵は知っている。
淋しさはどちら向ても菫かな
今少たしなくも哉菫草
地車におつぴしがれし菫哉
菫咲榎もいはれありと云
菫咲川をとび越す美人哉
烏帽子着てひたと寝並ぶ菫哉
スミレの句をたくさんつくった俳人は、なんといっても小林一茶だろう。
一茶の鋭い観察眼が光っている。
さっき調べてみたら、日本にはおよそ60種のスミレが自生しているという。
変種がさらに30種だとか(@_@) たまげますねぇ。
わたしは10分ほどかかって、小高い丘の北斜面で、これらのスミレにめぐり遇うことができた。
これはタチツボスミレでいいのかしら?
清楚で爽やかな立ち姿だけれど、地味で小さい。気がつかないと知らぬ間に踏みつけている。
top画像はわが家の庭に咲いているスイセン。
またこちらは玄関さきに植えてあるボケの花。
サクラとスミレはとても対照的なたたずまいをもっている。
うす菫桜の春はなく成ぬ
一茶はサクラが散ったあと、足許にあるスミレに眼を移す。
存在感があるようでないスミレはひっそりと、小家や田のあぜや山路に咲いていて、愛でてくれるひとの到来を待っている。