二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

うもれた時の鼓動 ■B面■  (タイムカプセルを開けるその3)

2018年08月15日 | Blog & Photo
  (娘と息子。撮影地は日光、戦場ヶ原)


《こうしたことが、私を、楽しさでいっぱいにしてくれるのである。どういうわけか、小さなこまごまとしたことまでが、目の前にうかびあがってくる。ひとりでに、いくどとなく思い出されてきて、そのたびごとに埋もれた記憶のなかから、さらにこまかなことが引出され、不思議なほどの心あたたまる楽しさがわきあがってくるのだ》 
 (大久保康雄訳「スタインベック短編集」新潮社より 「朝めし」冒頭)

プラBOXの中から出てきた本を選別しながら、パラパラと中身をチェックしていたら、こんなセンテンスにぶつかった。
これが現在のわたしの心境を代弁してくれる、と思えたので、はじめに引用しておく。

うかうかしていると、歳月は荒馬のように、ほこりだけをもうもうと立てて人のかたわらをあっというまに駈けすぎていく。
「その時」は、いくら手をのばしてもつかまらない。
写真とは、彼方へいってしまったものの片鱗である。
古びて傷ついた鱗が、点々とわたしの過去につながっている。
あるいは、スタインベックのように「こうしたことが、私を、楽しさでいっぱいにしてくれるのである」といってもいいのである。

心あたたまる思い出、平凡だが、かけがえのない記憶の断片。























   ※面倒なので、時系列は無視してある。

しか~し、まあ、これが「家庭のアルバム」だとして、そういったものは所詮「他人のアルバム」なのである。鼻白む人もきっといるだろう、わたしが知人のご家庭にお邪魔してアルバムを手渡され、そういった興ざめな経験をしたことがあるように。

家族写真とは本来、そんなもの・・・であるのだ。
「はあ、イイですねぇ、うん、よく撮れている」
礼儀知らずならいざしらず、よそのご家庭のアルバムを拝見しながら、ほかにいいようがあるだろうか?
しかも撮影してから30年はたっている(=_=)

思い出といおうが、記憶といおうが、それらはすべて超個人的なもの。
いずれもその当時のプリント(サービスサイズ~2Lサイズ)からスキャンしている。
家庭という名の最小単位の王国、あるいは共和国。
それらが、幻のようにわたしの脳裏に再現される。
再現してくれたのは、これらの写真である。
こんなことなら、もっとちゃんと整理整頓しておくべきだった、いまとなってはあとの祭りだが・・・。

写真の一いちにはコメントはつけないことにしよう。きりがないからね。



最後にこれだけコメントを付しておく。
撮影地は日光中善寺湖畔。
わたしが手にしているのは、90ミリレンズを装着したペンタックス6×7である。
・35ミリ判から中判ブローニーへ
・ネガフィルムからリバーサルフィルムへ
・身近な素材から、やや本格的なネイチャーフォトへ

リバーサルと、中判カメラ時代の幕開け!
そういう変化が、つぎのステージへと、わたしを運んでいくことになる(^^)/
ハイラックスサーフに乗って、前田真三さんばりの風景写真を撮影するため、遠路はるばる有名な撮影ポイントへと出かけていくようになったのだ。

それについて、いつか別に書く機会があるだろう。
本日はこれまで//(^^;) おそまつでした。

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