![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c3/48f0cb94ac9bb51192e95fe720396189.jpg)
(この看板を撮影した直後、視線の考古学ということばが思い浮かんだ)
世のアマチュアカメラマンは、ネイチャーフォトを被写体に選ぶ人が、圧倒的に多いのではないだろうか?
わたしのように、散歩写真、キャンディッドフォトをやっている人はごくまれである。
小中学生のころから、考古学にはある程度関心があった。遺跡を掘って、埋蔵文化財を発掘し、年代を測定したり、当時の生活を再現したりするのは、さぞ興味深いことだろう、と。
われわれが所有している時間は、過去と現在だけ。
現在もあっという間に、つぎつぎ過去になっていく。“現在”なんて、薄っぺらい紙のようなものだ。
そんな思いを胸にかかえて写真を撮っていると、古いもの、古くからそこにあるものが気になってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ad/1e05f439866e03c0081e5a6a200fb451.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/91/a2614d238ed83308b679dc690820bc5e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fc/c4c0efff5714662d3cc64afdb0d7da2c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/32/9f240994149b8c3a92351ebb8737f27b.jpg)
古くさいものは、古くさいだけで価値がさがる。
しかし、その一方では、滅びの美学ではないが、妙にフォトジェニックに見えてくるものが、埋もれていたりする(*_*)
「あっ、時間が凝縮しているぞ、ここに・・・」
おれを見ろ、あたしを見て! ゴミではないんだ、まだ。
それらが、しめす幽かな訴求力。
ごくプライベートな、化石、遺跡に近い何かが、わたしの眼を風のように撲つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/00/4637aeadb0494c1e2b70fb59e35c9fa0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/5e/9024dbf742013324a1262425301b7ba2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e2/1514d3cdd0e0005658f91ac0bb6cdbae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/ca/813aee1958138ac5c0f5a116b991648a.jpg)
ああ、そうだな・・・年代記にはしるされることはないが、この数十年、いろいろな出来事があったのだ。
“もの”たちは、浮かんだり、沈んだりしている、時間という大波小波のあいだで。
自然ではなく、人が何らかの意図があってつくり出したものは、すべてそれなりの健気さを持って、滅びへの階段を、ゆっくりとおりていく。
それはある意味、彼らの後ろ姿であるだろう。
わたしがこれまで書いてきた「後ろ姿のエレジー」に通い合うものが、そこはかとなくただよっている。
「いつまでそこにいるの?」
「そのあとは、どこへいくの?」
わたしは親しかった人の後ろ姿を見送るつもりで、これらを記録し、記憶していく♪
これらをこの世に生み出した人の心を想像しながら。
世のアマチュアカメラマンは、ネイチャーフォトを被写体に選ぶ人が、圧倒的に多いのではないだろうか?
わたしのように、散歩写真、キャンディッドフォトをやっている人はごくまれである。
小中学生のころから、考古学にはある程度関心があった。遺跡を掘って、埋蔵文化財を発掘し、年代を測定したり、当時の生活を再現したりするのは、さぞ興味深いことだろう、と。
われわれが所有している時間は、過去と現在だけ。
現在もあっという間に、つぎつぎ過去になっていく。“現在”なんて、薄っぺらい紙のようなものだ。
そんな思いを胸にかかえて写真を撮っていると、古いもの、古くからそこにあるものが気になってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ad/1e05f439866e03c0081e5a6a200fb451.jpg)
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古くさいものは、古くさいだけで価値がさがる。
しかし、その一方では、滅びの美学ではないが、妙にフォトジェニックに見えてくるものが、埋もれていたりする(*_*)
「あっ、時間が凝縮しているぞ、ここに・・・」
おれを見ろ、あたしを見て! ゴミではないんだ、まだ。
それらが、しめす幽かな訴求力。
ごくプライベートな、化石、遺跡に近い何かが、わたしの眼を風のように撲つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/00/4637aeadb0494c1e2b70fb59e35c9fa0.jpg)
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ああ、そうだな・・・年代記にはしるされることはないが、この数十年、いろいろな出来事があったのだ。
“もの”たちは、浮かんだり、沈んだりしている、時間という大波小波のあいだで。
自然ではなく、人が何らかの意図があってつくり出したものは、すべてそれなりの健気さを持って、滅びへの階段を、ゆっくりとおりていく。
それはある意味、彼らの後ろ姿であるだろう。
わたしがこれまで書いてきた「後ろ姿のエレジー」に通い合うものが、そこはかとなくただよっている。
「いつまでそこにいるの?」
「そのあとは、どこへいくの?」
わたしは親しかった人の後ろ姿を見送るつもりで、これらを記録し、記憶していく♪
これらをこの世に生み出した人の心を想像しながら。