二草庵摘録

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中野孝次「ハラスのいた日々」

2008年01月17日 | エッセイ(国内)
 カフカ、ノサックなどドイツ現代文学の翻訳紹介者であるとともに、文芸批評家として活躍した中野孝次さんが、じつはこんなに平凡な人だったとはな~・・・。論争も辞さない鋭利な論客とのイメージがあったからである。雑誌「文学界」誌上で行われた座談会の席上、評論家の柄谷行人さんに罵声を浴びせ、怒鳴りあいになったと何かで読んで知っていた。

 こういった個人的な手記とでもいうべきエッセイを5つ星で評価するのは空しい作業だし、たいして意味のあることではない。犬が嫌い、あるいは関心がないという人にとっては退屈だろうし、愛犬家にとってはバイブルにもなりうるからである。
<一匹の柴犬が子のない夫婦のもとにやってきた。家に連れてこられたその日から、抱かれて冷たくなったあの日まで犬を「もうひとりの家族」とした十三年の歳月をえがき、愛することの尊さと生きることのよろこびを小さな生きものに教えられる「新田次郎文学賞」に輝く愛犬物語。・・・ハラスはいまも、私たちの心に生きている>
 どんな本かといえば、この裏表紙の紹介文につきている、と思う。

 わたしは2年まえに亡くした愛犬ムクの思い出をよび覚まされ、しばしば目頭が熱くなった。犬と共有した濃密な時間。そのディテールが、まざまざと脳裏に蘇ってきた。これは荷風の「濹東綺譚」と通底する、失われたものへの痛惜の書なのである。
 ほとんど形骸化しかけた「愛情」ということばが、本書のなかで熱く脈打っているのを感じる。ハラスという愛犬と、子のいない中年夫婦とのあいだに交わされた、細やかで、手応えたしかな愛の時空。それがいかに平凡でささやかな幸福であったか、筆者自身がとまどっている。いつの世でも「単純で素朴な愛の物語」は人の心を打つ。気鋭のドイツ文学者、中野孝次は消えて、ひとりの平凡な初老の男が、その胸のときめきと痛みが、くりかえし、くりかえし語られる。

 わたしもまた同じように、平凡な一愛犬家として本書を読んだだけである。愛することの尊さのなかに、生きて死すべき生きものの悲哀があふれている。「生涯の一大事件」という章を読む者は、筆者と同じような不安と痛惜と、ささやかな希望を力のかぎりたぐり寄せようとする人間の心のうめきを、まざまざと聞く。ペットはみずからのたった一回きりの死をもって、飼い主を教え、みちびく。本は大勢の読者をえて、中野孝次の代表作のひとつとなった。
 「ハラスのいた日々」このタイトルもじつにいい。
 その筆者もいまはいないが、晩年にはむしろ、これが代表作とよばれることを誇りとしたのではないか?
 うちにはリンリンという猫がいるので、つぎには愛猫記をなにか探して読んでみたくなったな~。

中野孝次「ハラスのいた日々」文春文庫>☆☆☆☆

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2 コメント

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読みましたよ・・・ (アビー)
2008-01-18 22:59:40
本を読まない私ですが
「ハラスのいた日々」読みました。
有名なドイツ文学者とも知らず・・・(笑)

ネコ党ですが ワンコも好きですよ。
前の日まで元気だったみーちゃん(三毛ネコ)が
突然死んだ時は一生分泣きました。
義母の葬儀は 涙は出ないのに、
今でもみーちゃんの事思い出すと
ウルウルしちゃいます(ここだけの話ですよ・・・)
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ペットの名前 (syugen)
2008-01-19 09:03:41
アビーさん、こんにちは~♪
いまはペットが大流行のようですね。
ペットショップがふえたし、専門誌も売れているようです。

わたしはものごころついたころから、ずっと犬や猫と一緒でした。ペット好きの人は、表現力さえあれば、こういう本が書けるでしょう
でも中野さん、ハラスが死んで数年後、つぎの犬を飼ったんですね。本も刊行されてます。

ハラス、いい名前です。
ムクは犬、ジロは猫。
わたしの胸に刻み込まれた二匹。

でも名づけ親になったとき、悩みますよね~
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