二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

永井荷風「墨東綺譚」

2008年01月17日 | 小説(国内)
 永井荷風(1879~1957年)の最高傑作。「日和下駄」「断腸亭日乗」なども愛読するようになったが、それもこの一作にめぐりあったためである。はじめて手にしたのは二十代の終わりころ。しかし、書かれた内容に深く共感を覚えるようになったのは、四十代なかばになってから。
 長編小説といいたいところだが、「作後贅言」をふくめても、文庫でたった180ページである。奇妙な一編の小説が日本や自分自身への絶望のうえに、危うく乗っている。読者は本書が昭和11年に書かれていることを忘れるべきではない。そういう時代背景をよく知っていないと、たぶん、十分にこの小説を味わうことはできないだろう。
 随筆風でもあるし、私小説風でもあるが、この作品は当時の他の文学からは、まったく孤絶している。荷風がそういう生き方を選んだからで、その荷風に人生の黄昏の色が迫っている。考えようによれば、本書は谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」や川端康成の「眠れる美女」などとならぶ老人文学の傑作といえるだろう。彼は騒々しくも軽薄な昭和を、受け入れることができないのである。これを書いたとき、57歳の荷風は、麻布市兵衛町の偏奇館から浅草や向島へ、さかんに趣味の散歩をおこなっていた。
<わたくしは夏草をわけて土手に登って見た。眼の下には遮るものもなく、今歩いてきた道と空地と新開の町とが低く見渡されるが、土手の向側はトタン葺の陋屋が秩序もなく、端(はて)しもなく、ごたごたに建て込んだ間から湯屋の煙突が屹立して、その頂きに七、八日頃の夕月が懸かっている。空の一方には夕栄(ゆうばえ)の色が薄く残っていながら、月の色には早くも夜らしい輝きができ、トタン葺の屋根の間々からはネオンサインの光と共にラディオの響が聞こえ初める。>

 関東大震災直前といっていい時代の東京が、ごくあっさりとではあるが、こんなふうに描写されている。向島寺島町、俗にいう玉ノ井遊郭の周辺である。そこで本書の主人公である大江匡(おおえただす)は雪子という私娼と出会い、情交を持つようになる。彼女との出会いから別れまでの半年が、小説の中を流れる時間となる。しかし、荷風は、ほんとうは失われてしまった明治40年代へと、帰りたかったのである。主人公にのしかかる深いふかい「喪志」の思いが胸を撲つ。
 本書の中にはもうひとつ「失踪」という、いわば劇中劇の時間が流れ、主人公の重層的な心の襞があぶり出される。雪子のモデルとなった女性はいたようだが、むろん90%はフィクション。解説の竹盛天雄さんもそう推測している。雪子は、もはやなにものも信じない、孤独な初老の男が呼び寄せた幻影である。よく読めば、荷風が驚くほど覚めているのがわかる。だから、これほど魅力的で古風な女性像を描きえたのであろう。荷風の日常は、「日和下駄」や「断腸亭日乗」からうかがうことができる。そこにこの一編をおいてみれば、どういう仕掛けになっているのかが、いわばその作家的魔術が浮かびあがる。別れを決意したあとで、大江は「おゆき」を二度訪ねている。そこには、感傷と紙一重の初老の男の悲哀が、抑制された筆致でしっかり書き込まれ、わたしのような読者を引きずり込んでいく。 
 
 雪子はむろん、この男が呼び寄せた幻影だが、浮かびあがるのは初老の男の喪失感と、江戸、明治への哀惜の念である。晩年の荷風を「敗荷落日」という評論で断罪し、きびしく責めたのは石川淳であった。ストリップ小屋に入りびたり、預金通帳を握りしめて孤独死した荷風を、生活者の視点から裁くのはたやすい。しかし、それこそ、荷風が選んだ最高の結末であったことも、いまのわたしには疑いようがない。本書のなかで彼は「いきたいところもないし、会いたい人間もいない」と書いている。かつてはあったのだが、もう失われてしまったのである。
 女性の立場からは、何もかもが男性のエゴイスティックな妄念にすぎないというであろうか。しかし、雪子のような女性が存在しないと、だれにいえるだろう? 夢多き「珊瑚集」の若き詩人はここまで歩いてきて、一片の頑固じじいになりおおせ、陋巷に窮死する。
 だれでもいうことではあろうが、木村荘八の挿絵が余情たっぷりでじつにいい!挿絵を描くにあたって、画家もまた、浅草や向島界隈を隈なく歩き、立ち止まってはスケッチしたのである。岩波のこの文庫には、可能なかぎり、オリジナルの挿絵が復元されている。
 ここ十数年の現象として、高齢化社会が急速に進展した結果、荷風は「東京散歩」という巷の流行のなかで蘇ってきた。「荷風が歩いた町」へわたしも出かけたし、浅草界隈は、わたしにとっていまいちばんとけ込みやすい、人間的な町となっている。

 「濹東綺譚」は1960年豊田四郎監督、1992年新藤兼人監督で映画化されている。
 (※タイトルには濹の字がないため、墨で代用とした)

永井荷風「濹東綺譚」岩波文庫>☆☆☆☆☆

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