
(はじめは清水俊二訳で読み返そうとかんがえていた。「さらば愛しき女よ」の現行本)
■レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」村上春樹訳(ハヤカワ・ステリ文庫 2011年刊)
「チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生とでは、確実にいろいろなものごとが変わってくるはずだ。そう思いませんか?」
あとがきで、訳者の村上春樹さんがそう述べておられる。
これはファンの言である。チャンドラーやジャンルとしてのハードボイルドが、お好きな方が、全体の何パーセントおられるか。想像のかぎりではないが、たぶん読書人口の10%か、それ以下ではないだろうか。
長篇小説の全訳をはたした村上さんは、現在ではその筆頭格だろう。
やっぱりチャンドラーは、プロットに難点あり・・・ですね。それほど多くの登場人物が出てくるわけではないが、「ん、あんただれ!?」と、ときおり巻頭の一覧表を見返してしまう。この脇役さん、主筋とどうかかわってくるの、と。
村上さんも指摘しておられるが、「なくてもいい」挿話が多く、熱心なファンでないと、途中で草臥れる(´Д`)
清水俊二訳で、20代の半ばころ読んでいるが、99%忘れていたので「おやっ、こんな物語だったのかあ」であった。
《刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが…。マロイの一途な愛は成就するのか?村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長篇。『さらば、愛しき女よ』改題。》BOOKデータより
よく出来たディテールは数十か所あるが、この場面は引用する人はまずあるまいと思えたので、つぎに掲げてみよう。
《私は首を曲げてピンク色の虫を探した。彼はすでに部屋の二つの角を試し、落胆した面持ちで三つ目に向かっていた。私はそこまで行ってハンカチを使ってその虫を拾い上げ、デスクの上に戻した。
「見ろよ」と私は言った。「この部屋は十八階にある。そしてこの小さな虫は友だちがほしくてわざわざここまで上がってきたんだ。友だちというのはこの私だよ。こいつは私の幸運のお守りだ」、私はハンカチの柔らかい部分でその虫を包み、ポケットに入れた。》(345ページ)
清水訳では省略された部分が、村上訳では忠実に再現された結果、同じ作品が、およそ100ページ長くなった。
脇筋にばかり引きずり回される。しかし、昆虫好きのわたしは、チャンドラーさん、よくぞ書いて下さった、である(笑)。この“ピンクの虫”は、カメムシである可能性が高い。わが家にもカメムシはときおり飛び込んでくるが。
最後の3つの章で種明かしされるこの“脇筋”だらけの、よくわからない物語、チャンドラーの手際のよさ、悪さが十分つまっていると、わたしには思えた。
「これって、エンタメなのかな!?」と、わたしは読後首をかしげた。愉しめる読者より、愉しめない読者の方がはるかに多いことは、疑いようがない。
《「声でわかったよ」と彼(マロイ)は言った。「俺はその声を八年間、いっときも忘れなかった。俺としちゃ、以前の赤毛の髪もけっこう気に入っていたんだがな。よう、ベイビー、久しぶりじゃないか」
彼女はそちらに銃口を向けた。
「私に近づくんじゃない。このうすのろが」と彼女は言った。》(450ページ)
チャンドラーは、ムース(大鹿)・マロイとかつての恋人ヴェルマの最期を、しっかり読者に見届けさせる。
主筋は案外と単純明快で、チャンドラー流“アメリカの悲劇”であり、男と女のありふれた愛憎劇といえる。
読みどころは、やっぱり文体だし、情景描写の見事さなのだ、突拍子もない比喩をふくめて。
これも星3つにしておきたいが、まあ、ハードボイルドと、そのビッグスターといわれるチャンドラーに敬意を表し、4つに格上げしておこう♬
評価:☆☆☆☆
■レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」村上春樹訳(ハヤカワ・ステリ文庫 2011年刊)
「チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生とでは、確実にいろいろなものごとが変わってくるはずだ。そう思いませんか?」
あとがきで、訳者の村上春樹さんがそう述べておられる。
これはファンの言である。チャンドラーやジャンルとしてのハードボイルドが、お好きな方が、全体の何パーセントおられるか。想像のかぎりではないが、たぶん読書人口の10%か、それ以下ではないだろうか。
長篇小説の全訳をはたした村上さんは、現在ではその筆頭格だろう。
やっぱりチャンドラーは、プロットに難点あり・・・ですね。それほど多くの登場人物が出てくるわけではないが、「ん、あんただれ!?」と、ときおり巻頭の一覧表を見返してしまう。この脇役さん、主筋とどうかかわってくるの、と。
村上さんも指摘しておられるが、「なくてもいい」挿話が多く、熱心なファンでないと、途中で草臥れる(´Д`)
清水俊二訳で、20代の半ばころ読んでいるが、99%忘れていたので「おやっ、こんな物語だったのかあ」であった。
《刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが…。マロイの一途な愛は成就するのか?村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長篇。『さらば、愛しき女よ』改題。》BOOKデータより
よく出来たディテールは数十か所あるが、この場面は引用する人はまずあるまいと思えたので、つぎに掲げてみよう。
《私は首を曲げてピンク色の虫を探した。彼はすでに部屋の二つの角を試し、落胆した面持ちで三つ目に向かっていた。私はそこまで行ってハンカチを使ってその虫を拾い上げ、デスクの上に戻した。
「見ろよ」と私は言った。「この部屋は十八階にある。そしてこの小さな虫は友だちがほしくてわざわざここまで上がってきたんだ。友だちというのはこの私だよ。こいつは私の幸運のお守りだ」、私はハンカチの柔らかい部分でその虫を包み、ポケットに入れた。》(345ページ)
清水訳では省略された部分が、村上訳では忠実に再現された結果、同じ作品が、およそ100ページ長くなった。
脇筋にばかり引きずり回される。しかし、昆虫好きのわたしは、チャンドラーさん、よくぞ書いて下さった、である(笑)。この“ピンクの虫”は、カメムシである可能性が高い。わが家にもカメムシはときおり飛び込んでくるが。
最後の3つの章で種明かしされるこの“脇筋”だらけの、よくわからない物語、チャンドラーの手際のよさ、悪さが十分つまっていると、わたしには思えた。
「これって、エンタメなのかな!?」と、わたしは読後首をかしげた。愉しめる読者より、愉しめない読者の方がはるかに多いことは、疑いようがない。
《「声でわかったよ」と彼(マロイ)は言った。「俺はその声を八年間、いっときも忘れなかった。俺としちゃ、以前の赤毛の髪もけっこう気に入っていたんだがな。よう、ベイビー、久しぶりじゃないか」
彼女はそちらに銃口を向けた。
「私に近づくんじゃない。このうすのろが」と彼女は言った。》(450ページ)
チャンドラーは、ムース(大鹿)・マロイとかつての恋人ヴェルマの最期を、しっかり読者に見届けさせる。
主筋は案外と単純明快で、チャンドラー流“アメリカの悲劇”であり、男と女のありふれた愛憎劇といえる。
読みどころは、やっぱり文体だし、情景描写の見事さなのだ、突拍子もない比喩をふくめて。
これも星3つにしておきたいが、まあ、ハードボイルドと、そのビッグスターといわれるチャンドラーに敬意を表し、4つに格上げしておこう♬
評価:☆☆☆☆