二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

感傷的になりかけた荷風のまなざし  ~「断腸亭日乗」を読む(1)

2024年10月29日 | エッセイ(国内)
荷風のまなざしが、庭にくる“山鳩”(キジバト)を追っている。

《正月七日。山鳩飛来りて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。
仏蘭西より帰来りし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽庭に来りたればやがて雪になるべしかの山鳩来る日には毎年必雪降り出すなりと語らるゝを聞きしことあり。
されば十年に近き月日を経たり。毎年来りてとまるべき樹も大方定まりたり。
三年前入江子爵に売渡せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り来りて餌をあさりぬ。
其後は今の入江家との地境になりし檜の植込深き間にひそみ庭に下り来りて散り敷く落葉を踏み歩むなり。
此の鳩そも/\いづこより飛来れるや。果して十年前の鳩なるや。或は其形のみ同じくして異れるものなるや知るよしもなし。
されどわれは此の鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、或時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。
或時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど决して人に馴れず、わが姿を見るや忽羽音鋭く飛去るなり。
世の常の鳩には似ず其性偏屈にて群に離れ孤立することを好むものと覚し。何ぞ我が生涯に似たるの甚しきや。

正月十日。歯いたみて堪へがたし。》(「断腸亭日乗」巻之二 大正七年。引用者による改行あり)

青空文庫より引用させていただいた。本来は岩波文庫「断腸亭日乗 (一)」を下敷きにすればいいのだが、老眼のためご容赦(;^ω^)

ここで荷風のまなざしは、断腸亭の庭にやってくる、一羽の鳩(山鳩と書いてある)にそそがれている。
「此の鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、或時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。
或時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど决して人に馴れず、わが姿を見るや忽羽音鋭く飛去るなり。」

荷風は米粒・麺麭をあたえて仲良くしたいのだ。しかし、すぐに逃げられてしまう。
「世の常の鳩には似ず其性偏屈にて群に離れ孤立することを好むものと覚し。何ぞ我が生涯に似たるの甚しきや。」と嘆き、そのハトと自分をひき比べている。
ここにあるまなざしは、はっきりいって、慣習的な域を出ないものである。なお、断腸亭とは秋海棠(別名、断腸花)にちなんでいる。腸が弱かったらしい。

荷風の日記を読んでいても、こんなふうに“他の生きもの”にふれて語を費やしているのは、いささかめずらしいというべきだろう(´ω`*)
わたしは自分が、この数年のあいだに撮影したキジバトの写真を連想しないわけにはいかなかった。







「断腸亭日乗」は、ご存じのごとく大正六年九月十六日から開始されている。

《◯九月十六日、秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。》(「断腸亭日乗」冒頭)

ここが大著のはじまりだが、十分筆がのびているとはいい難いものがある。
それが大正七年に入って、のびのび、生きいきしてくる。それがこのキジバトの断片にうかがわれると、わたしは視た。

鷗外、漱石、荷風の“文人”というか、文豪としてのすごみは和漢洋をその底の底まで掘り返していること。それが明治という時代の要請であったのだし、それに応えて、歴史の表舞台に登場した作家たちなのである。
大正時代となると、明治の文豪と比較すれば、一回り小さくなる。昭和は、一部の秀才をのぞきさらに小さくなってゆくのである。

牛込余丁町
築地
麻布市兵衛町
・・・というふうに、荷風は引越していると、わたしは認識している。そのうちでも、偏奇館が一番よく知られている。これは港区の麻布にあって、それを顕彰する石碑が現在建っている。



窓枠は緑に塗装、ほかは白またはクリーム色だったと推測されている。彼はここに25年間暮らし、「濹東綺譚」をはじめとする名作をいくつも生み出した( ゚д゚) 
土地の面積:約300㎡
偏奇館:約123㎡

そして東京大空襲で偏奇館は炎上する。
「断腸亭日乗」最大のヤマ場である。そして市川市へ移り、終の棲家となった貸家に落ち着く。
キジバトにそそぐ、ある意味やさしいまなざし。彼は感傷的になりかけ、自分を戒める。それがこの大正七年一月七日の記事であろう。
胸が少し震えた。

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