
町はたとえそこがどんな町であろうと、その町にしかない雰囲気がある。
何十年、あるいは何百年もかかって、次第に形成された、幾世代もの人びとの生活のいとなみが、町のいたるところ、分厚い地層のように堆積している。
妻沼町やその東にある古河市は、いずれはいってみたかった。
撮影に夢中になり、「いい風景」をさがしてクルマを走らせていて、利根川にかかる刀水橋(とうすいばし)を南へ、つまり、埼玉県側へ渡ってしまった。
そうして、ひとつの町へ紛れ込んだ。
写真はわたしにとっては、記事(日記)の挿絵ではない。
だから、妻沼のアルバムを見て、その町の概略や、観光スポットや、旧跡をたどろうとする人は、肩すかしをくらうだろう。そんな作業はタウン誌にでもまかせておけばよい。
過去に昭文社の「上撰の旅」という観光ガイドの群馬版を作り直すお手伝いをさせていただいたことがあった。むろん、お金をいただいたから、仕事(アルバイト)として。
つまり、観光ガイドをつくるための写真取材。どんな写真が必要なのか、一覧表を渡され、そこをめぐって、マップや記事にそえる写真を撮影してまわる。
群馬県内の温泉地や名所や有名旅館や食べ物を訪ねて、数日がかりで、20カ所、いや、もうちょっとたくさんの場所を回った。失業時代にいろいろやったスポット的なアルバイトとして。
仕事となると、撮影によろこびはほとんどない。いや、それも考え方によるから、よろこびはあるよ・・・という人もいるだろう。地元紙の住宅欄の仕事をさせてもらったこともあったが、一回の取材で7、8カット撮影し、15000円+税で、週に一回まわってくる程度のボリュームだったから、生活のたしにはならなかったが、飲み食いのお小遣いかせぎにはなった。
それに比べると、現在やっている「いまは昔」のカメラ旅の、
なんと愉しいことだろう(^_^)/~
わたしはまぎれもなく、ひとりのフォトグラファーなのである。写真を撮るために――ただそれだけを考えながら、無意識の世界からかすかに聞こえるささやきをたよりに、被写体をもとめて、クルマを走らせ、歩きまわる。
過去に写真集を出したことがあったが、いまは、それも念頭にはない。
不動産の仕事などやめてしまって、ただこれだけで、何ヶ月も暮らしてみたいし、青森へいったり、夏の北海道をさすらったり、インドやトルコや、イタリアの町を歩きまわったり・・・。



ここに写っている方は、妻沼町で出会った、クリーニング屋さんのおばちゃん。野中さんといって、お歳は喜寿だそうである。
トップにあげたアイロンは、資料館に展示されているようなものではなく、クリーニング店でたのまれて、洋服のつくろいをしている野中さんのアイロン。そして業務用のミシン。
こういった道具が、野中さんが生きてきた“昭和”を、端的に語ってくれる。いまのわたしは、こういった人びとや、道具や、失われかけた時間にかぎりない愛おしさを覚えずにはいられない。
「何しているの?」
わたしが外から、仕立屋さんの仕事場のような窓の中をのぞきこんでいたら、おばちゃんが声をかけてくれた。
「はあ、中に入っていいですか? あらら・・・クリーニング店で、こんな繕いをやるんですか?」
わたしはまだ現役で立派に役に立っているアイロンやミシンに眼を瞠った。
とれてしまったボタンの付け替え、ほつれた袖の縫い直し、ジッパーの交換などをたのまれ、それを黙々とこなしていく。壊れた洋服は、野中さんのような人の手で甦り、また世の中へ送り出されていく。
歳月の跫音(あしおと)。
妻沼では、毎月1日に、朝市が開かれるという。
野中さんが、その様子を、たのしそうに、いきいきと語ってくれた。
野中さんのお顔や、技術や、人柄の中に、過ぎてきた時間と、文化のいわば香気が凝縮している。歳月のあ・し・お・と。耳をすまさなければ、決して聞こえてはこない、沈黙の音楽。
そして、もう一枚。
この光景に、わたしは虚を衝かれた。ひとりの男性が、境内のベンチにぽつねんと腰をおろして。
ああ、あれはなにをしているのだろう?
いつからそこにいるのだろう?
そして、いつまで、そこにいるのだろう?
