二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

人の影

2012年05月16日 | Blog & Photo

フィルムへ復帰してから、「フラグメント」「夜への階段」シリーズがペースダウンしている。だけど、これらは大げさにいえば三毛ネコさんのライフワークなので、いまここで中断するわけにはいかない。
アルバム名は変更するかもしれないが、この路線は、まだ当分のあいだ継続していく。

日常の中の、なんてことのない一こま。
群馬のいなか暮らしなので、人が少なく、撮影のチャンスはそう多くはない。
だけれど、どーゆーわけか、クルマに乗っていると、やたら人の姿が眼に飛び込んでくる。

昨夜仕事帰り、前橋/蔦屋書店の写真集コーナーに、北井一夫さんの「80年代フナバシストーリー」という写真集がならんでいたので、立ち読み(立ち見)してきた。
あの伝説の写真集「村へ」(第一回木村伊兵衛賞)を撮り終えたあと、・・・そうか、こんなところに眼を向け、淡々と写真を撮り続けてきたのか。

北井さんは稀代のライカ遣い。
いまでも「日本カメラ」に「ライカで散歩」という、とても地味な連載をしておられる。
わたしは写真集はあいにく一冊ももってはいないけれど、カメラ雑誌5~6年分を解体し、必要なものだけあつめたスクラップ帳というものが10冊ばかりあって、そこには、「村へ」を中心とした北井さんの初期作品が、たくさんファイルされている。

北井さんが撮る人物には、なんともいえない不思議なぬくもりがある。
それはどこからくるのだろう?
昨夜、蔦屋書店書架のまえで「80年代フナバシストーリー」のページ繰りながら、そんなことを考えた。「おれが撮ると、もっと無機質になってしまうのに、北井さんだと、そうではない」
ところが、「村へ」以降の北井さんの作品には、なにかが欠けていた。
そのなにかを、たとえば「欲望」ということばで象徴してもいいのかもしれない。
だから、作品にインパクトがない。冷ややかな傍観者のまなざし。体温の低い人なのか、あるいは、諦念のようなものを、ひそかに胸中に沈めている人なのか?

森山大道、荒木経惟、藤原新也・・・彼らは、その流儀は違うが、いずれも“欲望”の人である。その欲望は、見る者に乗移ってくる。ところが、北井さんには、それが決定的に稀薄なのだ。
しかし、その一方で、人にそそぐまなざしの、なんとおおらかで、やさしいことだろう。
あえていえば恕し(ゆるし)と肯定のこころが、それら写真群の向こうに映っている。





ここにあげた写真には、すべて人の影が写っている。
荒木さんのいう「クルマド」写真なのである。信号待ちしながらカメラをかまえていると、こんな光景が、よく眼に飛び込んでくる。
大部分はつまらない写真なので捨ててしまうけれど、ここにあげた3枚には愛着を覚える。
時はまたたくまに過ぎていく。その淀みに、こんなイメージが・・・他者といわれるものの断片が、浮いたり沈んだりしている。

わたしは昨夜見かけた北井さんの写真と、自分の写真のいわば“距離”を測っているのだ。
パーソナルなまなざしを、鍛えるために。


☆北井一夫写真集「80年代フナバシストーリー」
http://www.amazon.co.jp/80%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%83%95%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%8C%97%E4%BA%95-%E4%B8%80%E5%A4%AB/dp/4887730543

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