二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「戦後史の正体」孫崎享著(創元社)レビュー

2015年11月22日 | エッセイ(国内)
レビューはパスしてしまおうと考えていたが、思いなおし、少し感想を書いておこう。
わたしには本書はなかなかおもしろかった。スリリングなおもしろさにあふれている。どなたが書いていたか忘れてしまったけれど、ある種の「謀略史観」にもとづいているという印象をうけた。
国家と国家の“駆け引き”は、その裏にはさまざまな謀略がうずまいていて当然。それが外交というものであろうと、素人のわたしでも想像がつく。
国益は大抵の場合、対立するものである。孫崎享さんは、外交官のご出身だから、いわばその道のプロであった。国家には表の顔があり、裏の顔がある。
マスコミでは報道されない極秘事項が、駆け引きの裏側で蠢いている。

戦後史というのは、ほぼ現代史に重なる。したがって、ホットな話題が多くなるのは必然であろう。賛否両論がある。
この本にたいしても、毀誉褒貶があるものと想像する。
なにしろ著者は日本の戦後史は、超大国アメリカの意のままに動いた歴史であったといっているのだから。
単純化、図式化が徹底しているので、本書の趣旨はいたってわかりやすい。
1945年9月2日、連合国に対し無条件降伏した日本。
そしてわが国はじまって以来の外国(主にアメリカ)による占領時代。
これが1952年までつづく。

昭和史をかんがえていく場合、「前期」「中期」「後期」ととらえるのが一般的。
占領期がこの「中期」にあたる。敗戦国としての日本は、戦勝国、中でもアメリカの意のままにされ、大きな改変をこうむった。その中心人物こそ、GHQのD・マッカーサーであることは、知らない人はいないだろう。
サンフランシスコ平和条約および日米安保条約の調印が1951年9月、発行が1952年4月。わたしはこの1952年4月に生まれているので、占領時代は、あきらかに歴史の一コマといっていい。

問題はそこからあとの昭和である。
まず登場するのが、吉田茂と重光葵の二人。この二人の政治的リーダーが、米国追随路線と自主路線のレールを敷くのだと、孫崎さんは主張する。
最重要なキーワードは、ダレスのつぎのひとこと。
「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」
こういった超大国アメリカの圧力に対し、歴代の日本の首相は追随したり、自主路線を掲げたりしながら、つぎつぎと交代していく。
孫崎さんの意見のいちばん過激な部分は、自主路線を掲げた首相=政権のほぼすべてが、アメリカの圧力によって、短期間のうちに葬り去られているという観点だろう。
「おわりに」の中で、孫崎さんは歴代首相を、(1)自主派、(2)対米追随派、(3)一部抵抗派の三種にわけて、一覧を掲げているのが、まことに興味深い。

沖縄にはなぜ、あれほど米軍基地が集中しているのか?
米軍普天間基の辺野古移設はこじれにこじれてしまったが、あの問題の本質はどこにあるのか?
その底流を、この本から解き明かすことが可能である。そのあたりに本書の問題性がひそんでいる・・・とわたしは読んだ。
小国であり、太平洋戦争の敗戦国でもあった日本が、グローバルな規模のリーダーたりえないことは明らかである。中国の著しい抬頭が、いままた、世界の大きな枠組みを変えようとしている。安倍外交は、いまもっとも困難な課題にチャレンジしている。ASEAN諸国との連携やTPPや中国問題やロシアとの角逐。
本書はそういった場所に一石を投じたものとして評価することができる。安倍首相は長期政権をねらっている。つまり、それはシニカルにいうとすれば、アメリカの要求に対し、かなりの譲歩を強いられることを意味するのではないか?

そしてその評価については、10年後、20年後、あるいはもっとさきにならないと結果が出ないアポリアをふくんでいる。政権の選択と決断が、日本のありようを決める。この本は“戦後史”という政治的なフレームの中で、なかばタブー視されてきた暗部を思い切りよく大胆に抉っていると、わたしには思われた。



※評価:☆☆☆☆

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