この写真を見て、どんな感想を抱くだろう。
「ふーん、こんな街角のどこがおもしろいの?」
・・・な~んていわれても、わたしにはこの写真の味わいを、うまく説明できない。
だけど、この一枚があったことで、じつはけっこうニンマリしている(^^)/
カメラはローライフレックス3.5F、フィルムはフジのPRO400。
あるいはつぎの写真はどうだろう。
昔の写真ではなく、先日館林市へ出かけたとき、街角で見かけた井戸。
むろんまだちゃんと活躍し、食器洗いや洗濯に役立っている。
カメラは同じくローライ、フィルムはイルフォードXP-2。
軟調で非常に使いこなしがむずかしいフィルムである。もっとセピア、セピアしたネガになると、勝手に思い込んでいた(^^;)
いま、およそ10年ぶりに、フィルムカメラに復帰し、フィルムの表現力に舌鼓を打っている。富士フィルムのデジタルカメラにはフィルムモードがあるし、かのライカからは、まもなくモノクロ専用のM型デジタルカメラが発売される。
ネガスキャンし、J-pegに変換してあるので、これもこうして眺めるかぎりデジタル画像なのだけれど、元画像をフィルムとし、スキャナを経由することで、ずいぶんと違ったテイストが味わえる。
またこっちは35mmネガからのスキャン、フィルムはコダックのGOLD100。
カメラはニコンF3、レンズは55mmF3.5マイクロで、撮影地は自宅の裏の作業小屋。この木槌は祖父が藁を叩き、やわらかくして縄を綯ったり筵を編むために使ったもので、真ん中がすりへって、くぼんでいる。
さらにこっちは、もうずいぶん以前に死別した愛犬ムクの遺品で、裏藪のブドウの木にぶらさがっているもの。いま見ても胸が痛むので普段、眼にすることはない。このあいだ、屋敷の中を散歩していて、偶然発見した。ここに置いたのは父である(=_=)
デジタルとは違って、フィルムは一枚、一枚こころをこめて写す。ちゃんと意図した通り撮影できたかどうか、はっきりするまでずいぶんと時間がかかるから、そのときふたたび感動がある。予想以上の仕上がりだと、そのよろこびは、デジタル画像の比ではない・・・と、わたしはいま、考えている。
コストやそれをPCに取り込むために要する時間を顧慮すれば、そうそうフィルムとばかりは遊んではいられない。簡単便利なデジタルの恩恵には感謝している。だけどなあ・・・フィルムの表現力は奥行きが深いし、この味は、一朝一夕にはデジタル画像にとって代わられるものではないと、このところ再認識している。
されこれ(右側)は先日発売になったばかりの「CAMER magazine」no.17。“フィルムカメラに夢中”というサブタイトルがついていて、まるでライカのカメラ、レンズの特集号といったおもむきがある。ただしわたしは過去にライカ・ウィルスには感染しているから、多少免疫がある(笑)。
この最新号にその後のコダックの動向記事があった。
それによると、リバーサルフィルムからは撤退するけれど、その他の製造・販売は継続するそうである。
これ、少数の「フィルム愛好家」にとっては、跳びあがりたくなるような朗報ではあるまいか(^_^)/~ わたしも、正直なところ、ホッと胸を撫で下ろしている。
これでフィルムはまだ当面、生き延びていきますぞ!!
皆さん、たまにはフィルムを使いましょう! 使いましょう! アハハ~!(^^)!
・・・ところで、「カメラマガジン」no.17に、斎藤到さんの「セカンド・シーズン」というすばらしい女性ポートレイトが掲載されている。ヤシカフレックスBという古い二眼レフをフードなしで使い、フレアを積極的に方法化して、淡あわしくにじんで消えてしまいそうな作品となっている。じつはわたしは「カメラマガジン」の10号でも、斎藤さんの作品を拝見していて、それがきっかけでヤシカマット124Gを買う決心がついたのだ。
なんとかのフードはずしという撮影法は大昔にもあったらしいけれど。
ホームページを運営していらっしゃるから、関心のある方はのぞいてみたらいかがでしょう。
☆斎藤到ホームページ
http://homepage2.nifty.com/atlasjazz/
http://homepage2.nifty.com/atlasjazz/66page02.html