文豪といわれて、だれを思い出すだろうか?
漱石、または鴎外をあげる人が多いのではないか。文学に関心のない人のあいだでも、知名度はそうとうに高いはずである。
・東北大学創立100周年記念
・朝日新聞入社100年
・江戸東京博物館開館15周年記念展
会期:2007年9月26日~11月18日
本書はその記念展の「公式ガイドブック」と銘打たれている。「漱石展」が開催されていることは知っていたが、あいにく出かけることができなかった。さきごろ、前橋の紀伊国屋書店で購入したのである。写真と図版が半分をしめ、漱石関連の貴重な資料が満載で、漱石ファンにはたまらないアイテム。
江戸東京博物館の学芸員、青木さん、金子さんの書いた「漱石伝」がよくまとまっていて、再現された断簡零墨の類とあわせて読むと、かけ足ではあるものの、漱石の生涯をたどり直した気分になって、感慨ひとしおというところである。「草枕」「三四郎」「虞美人草」「彼岸過迄」は未読なので、読んでみたくなった。ごく最初の「倫敦塔・幻影の盾」など、江藤淳さんの漱石論でいろいろ教えられ、読んだ気になっていただけの本もある(^^;)
「猫」や「坊っちゃん」、あるいは晩年の代表作だけを読んで漱石がわかってしまったような錯覚を持っていたな~。俳句、漢詩はいうまでもなく、漱石が稚拙な絵をたくさん残しているのをはじめて知った。とくに、本の装幀になみなみならぬ情熱をしめしているあたり、興味津々であった。
漱石は現在もなお、国文学者、英文学者、批評家だけでなく、われわれのような一般読者にも影響をあたている希有な作家である。あらためていうまでもなく、明治の小説家で、そのほとんどの作品が、文庫本で手軽に読めるのは、漱石以外にいないのだ。この「文豪・夏目漱石」は、漱石の「現在」をうかがい知るたいへんおもしろい資料となっている。漱石文庫がなぜ東北大学にあるのか。ここにも、むろん一編の物語があったのである。
20世紀初頭、世界は広く、謎と脅威と冒険が男たちの活躍を待っていた。それから100年が経過し、文明のいきつく果てが見えてしまったような時代に遭遇してしまったわれわれにとって、これがほんとうに、不可避的な、唯一の選択肢であったのかどうか。もう一度そこに立ち返って、司馬遼太郎さんのような人とは違った観点から、この100年を考え直してみたい。・・・どうもそんな気分にさせてくれる一冊であった。
それと、前言修正(当ブログ「漱石のロンドン風景」)の必要があるので、書いておこう。
漱石は1900年(明治33)9月8日、ドイツ客船プロイセン号に乗船してヨーロッパに向かい、同年10月28日にロンドンに到着している。これを合計すると、51日間の旅となる。途中、香港ではヴィクトリアピークへ登り、シンガポールでは植物園などを見学、ナポリではカテドラルやらポンペイの遺跡やらを訪れている。パリの万博会場へは何度も足をはこんで、エッフェル塔にも登っているそうである。
また上陸の地はマルセイユではなく、イタリアのジェノヴァ。アルプス越えをしてフランスへ入ったというのが正しい。
時代が変遷し、テクノロジーは進歩して地球は驚くほど狭くなってしまったが、むしろ漱石の精神は、以前より、われわれに近くなってきたのではないか。博士号を虚名として排除した漱石。「夏目なにがし」でたくさんだと見極め、小説と真っ向勝負しながら倒れた漱石。文鳥の死を見とどけ、娘ひな子の死に際し「自分の胃にひびが入った。自分の精神にもひびが入ったような気がする」と真情を吐露した漱石。こういう作家を信頼しないで、ほかの誰を信頼したらいいのだろう?
そう考えるのはわたしだけではないように思える。
ところで、この種の本を星印で評価する愚をお許しあれ(笑)。
「文豪・夏目漱石」朝日新聞社>☆☆☆☆
漱石、または鴎外をあげる人が多いのではないか。文学に関心のない人のあいだでも、知名度はそうとうに高いはずである。
・東北大学創立100周年記念
・朝日新聞入社100年
・江戸東京博物館開館15周年記念展
会期:2007年9月26日~11月18日
本書はその記念展の「公式ガイドブック」と銘打たれている。「漱石展」が開催されていることは知っていたが、あいにく出かけることができなかった。さきごろ、前橋の紀伊国屋書店で購入したのである。写真と図版が半分をしめ、漱石関連の貴重な資料が満載で、漱石ファンにはたまらないアイテム。
江戸東京博物館の学芸員、青木さん、金子さんの書いた「漱石伝」がよくまとまっていて、再現された断簡零墨の類とあわせて読むと、かけ足ではあるものの、漱石の生涯をたどり直した気分になって、感慨ひとしおというところである。「草枕」「三四郎」「虞美人草」「彼岸過迄」は未読なので、読んでみたくなった。ごく最初の「倫敦塔・幻影の盾」など、江藤淳さんの漱石論でいろいろ教えられ、読んだ気になっていただけの本もある(^^;)
「猫」や「坊っちゃん」、あるいは晩年の代表作だけを読んで漱石がわかってしまったような錯覚を持っていたな~。俳句、漢詩はいうまでもなく、漱石が稚拙な絵をたくさん残しているのをはじめて知った。とくに、本の装幀になみなみならぬ情熱をしめしているあたり、興味津々であった。
漱石は現在もなお、国文学者、英文学者、批評家だけでなく、われわれのような一般読者にも影響をあたている希有な作家である。あらためていうまでもなく、明治の小説家で、そのほとんどの作品が、文庫本で手軽に読めるのは、漱石以外にいないのだ。この「文豪・夏目漱石」は、漱石の「現在」をうかがい知るたいへんおもしろい資料となっている。漱石文庫がなぜ東北大学にあるのか。ここにも、むろん一編の物語があったのである。
20世紀初頭、世界は広く、謎と脅威と冒険が男たちの活躍を待っていた。それから100年が経過し、文明のいきつく果てが見えてしまったような時代に遭遇してしまったわれわれにとって、これがほんとうに、不可避的な、唯一の選択肢であったのかどうか。もう一度そこに立ち返って、司馬遼太郎さんのような人とは違った観点から、この100年を考え直してみたい。・・・どうもそんな気分にさせてくれる一冊であった。
それと、前言修正(当ブログ「漱石のロンドン風景」)の必要があるので、書いておこう。
漱石は1900年(明治33)9月8日、ドイツ客船プロイセン号に乗船してヨーロッパに向かい、同年10月28日にロンドンに到着している。これを合計すると、51日間の旅となる。途中、香港ではヴィクトリアピークへ登り、シンガポールでは植物園などを見学、ナポリではカテドラルやらポンペイの遺跡やらを訪れている。パリの万博会場へは何度も足をはこんで、エッフェル塔にも登っているそうである。
また上陸の地はマルセイユではなく、イタリアのジェノヴァ。アルプス越えをしてフランスへ入ったというのが正しい。
時代が変遷し、テクノロジーは進歩して地球は驚くほど狭くなってしまったが、むしろ漱石の精神は、以前より、われわれに近くなってきたのではないか。博士号を虚名として排除した漱石。「夏目なにがし」でたくさんだと見極め、小説と真っ向勝負しながら倒れた漱石。文鳥の死を見とどけ、娘ひな子の死に際し「自分の胃にひびが入った。自分の精神にもひびが入ったような気がする」と真情を吐露した漱石。こういう作家を信頼しないで、ほかの誰を信頼したらいいのだろう?
そう考えるのはわたしだけではないように思える。
ところで、この種の本を星印で評価する愚をお許しあれ(笑)。
「文豪・夏目漱石」朝日新聞社>☆☆☆☆