二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

百年待っていて下さい ~漱石の美しき知のシュプール

2022年04月24日 | 夏目漱石
昨日蔦屋書店へ散歩に出かけたら、
「なぜ漱石は終わらないのか」という文庫本(河出文庫)が目に入ってきた。
石原千秋さん、小森陽一さん、このお二人の漱石の専門家による連続対談を収録した一冊。
その場でパラパラめくってみて、すぐに購入を決定(;^ω^)

本当は別な本を買うつもりだったが、予定変更し、二冊かうハメになった。
ここでお断りしておくと、今回の記事は書評のつもりではない。
関川さんの本の刺激をけたこともあって、以前より好きだった漱石の「夢十夜」「永日小品」などを少々読み返していた。
なぜ漱石は終わらないのか・・・まさにその通り。数年前岩波書店の漱石全集までそろえ(全巻ではないが)、さあて、気合を入れて夏目さんを読むぞ! と思ったのもつかのま、気分がほかの方面へそれてしまった。
何しろ、でかくて重たい本なのでねぇ(ノω・、)タハハ 寝転がって長時間読めたものじゃない。

・・・で、結局は文庫本を手にする。

「なぜ漱石は終わらないのか」はまえがきと序章しか読んでいないので、それは先送りにし、今回は漱石のどこが好きなのか、断片的に語ってみようと思い立った。
「それから」「門」「道草」は去年だったか、一昨年だったか読み返そうとかんがえて、活字(印字)が大きくなった新潮文庫を手許にそろえてある。新潮文庫は新版がでるたび文字が大きくなるので、老眼やかすみ眼に悩むわたしのような高齢者の力づよい味方であ~る。



《しばらくして、女がまたこういった。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちてくる星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓の傍(そば)に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
自分は、何時(いつ)逢いにくるかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう。そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸《ひとみ》のなかに鮮(あざやか)に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫(まつげ)の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。》(「夢十夜」の第一夜より)

漱石の中で、一人の生粋のロマンチストが、ひっそりと息をしている。何ともいえない、デリケートな、ロマネスクなシーンである。
こういう肌の持主は、ささいなことで肌に傷ができる。漱石の肌(精神的な肌)は、おそらく擦過傷だらけだったに違いない。

「夢十夜」は掌編ともいえるごく短い短編連作。しかも、いずれも珠玉の名品である。後世の作家が、多くのパスティーシュをささげているのも無理はない。
たとえば内田百閒(ひゃっけん)はこの「夢十夜」の影響を強く受けているとおもわれる短編をあまた書いているのはご存じの通り(^^♪

漱石は「第二夜」「第三夜」とつづき、すばらしいクリーンヒットを飛ばしている。
「第三夜」は、漱石の存在論的不安という観点から、さまざまな批評家が、それぞれの論を展開している。
ずしりとした内容を備えた世界のありようが、多くの読者を佇ませる。
「そうか、そうか」とは一口にはいえないから、謎めいたところを解き明かしたくなるのだ。


《すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺(ゆら)ぐ茎の頂(いただき)に、心持首を傾(かたぶ)けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。
そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴(したた)る、白い花弁(はなびら)に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁(あかつき)の星がたった一つ瞬(またた)いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。》(同じく「第一夜」の末尾)

漱石のファンでこのシーンを覚えていないという読者はいないだろう。漱石最高の名シーンの一つである。

つぎは「永日小品」から引用してみる。

《寝台(ねだい)を這(は)い下りて、北窓の日蔽(ブラインド)を捲(ま)き上げて外面(そと)を見おろすと、外面(そと)は一面に茫(ぼう)としている。下は芝生の底から、三方煉瓦(れんが)の塀に囲われた一間余(いっけんよ)の高さに至るまで、何も見えない。ただ空(むな)しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂(しん)として凍こおっている。隣の庭もその通りである。

この庭には奇麗なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯(ひげ)を生はやした御爺(おじい)さんが日向ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡(おうむ)を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴(くちばし)で突つかれそうに近く、鳥の傍へ持って行く。
鸚鵡は羽搏(はばた)きをして、しきりに鳴き立てる。
御爺さんの出ないときは、娘が長い裾を引いて、絶え間なく芝刈(しばかり)器械をローンの上に転ころがしている。
この記憶に富んだ庭も、今は全く霧きりに埋(うま)って、荒果てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。

裏通りを隔へだてて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺(てっぺん)でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖(とが)った頂きは無論の事、切石を不揃(ふそろい)に畳み上げた胴中(どうなか)さえ所在(ありか)がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音(ね)はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖(とざ)された。

表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮(ちぢ)まったかと思うと、歩けば歩くほど新しい二間四方が露(あらわ)れる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任(まか)せて消えて行く。
 四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒(おか)して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。
バスが行き逢あうときは、行き逢った時だけ奇麗だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空(くう)の中に消えてしまう。漠々(ばくばく)として無色の裡(うち)に包まれて行った。
ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠(かす)めて翻ひるがえった。
眸(ひとみ)を凝らして、その行方(ゆくえ)を見つめていると、封じ込められた大気の裡うちに、鴎が夢のように微かすかに飛んでいた。
その時頭の上でビッグベンが厳(おごそか)に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音(おん)だけがする。》(「永日小品」の「霧」の一部)

※長くなったので、わたしが数か所改行を加えている。原文はフリガナ付きとなっている。

このあたり、漱石、夏目金之助という人の認識のかたちが透けて見える・・・とわたしはかんがえる。「永日小品」を読みすすめてゆくと、こういった鮮やかな知のシュプールに、しばしばぶつかる。
ロンドン時代の“思い出”について、フィクションを交えながらの記述なのだが、このやわらかい、滲んでしまうような輪郭線の描写はどうだろう。

要点のみ再度引用する。
《表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮(ちぢ)まったかと思うと、歩けば歩くほど新しい二間四方が露(あらわ)れる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任(まか)せて消えて行く。》

ここにあるのは、“時代”にそそぐシニカルなまなざしであり、漱石がいだく認識論そのもののかたちである。

漱石はバケツを「馬穴」と平気で書く人なので、決して名文家とはいえないのだ、と江藤淳さんの漱石論にあったので、若いころはその説を鵜呑みにしていたものだ。
岩波文庫の「夢十夜 他二篇」の解説は、内向の世代の旗手のお一人、阿部昭さんが巧みにこれら短篇の魅力について書いておられる。
「夢十夜」
「文鳥」
「永日小品」(25篇からなる“小品”連作)

この文庫本に収められた三作は、わたしが若いころから仰ぎ見ていた短篇群である。
発行年月日を参照すると、1986年3月とある。1990年代のはじめころ、この岩波文庫で読んだのを、ぼんやり覚えている。
ただし全集は原文に忠実だが、文庫の表記は漢字を減らして新漢字を用い、新仮名遣いに変えるなどしている。それでかまわないとおもっている。
表記をあらためても、それによって作品の純度はいささかも揺らぐことはないからだ。

20代で読み、30代40代で読む。そしていままた、70代に突入して、あらためて読もうとしている。当然、そのたびに少しずつ違った印象が得られる。
「なぜ漱石は終わらないのか」
わたしも、そうかんがえる。相手は明治の巨星である。一生をかけてつきあうに不足はない・・・どころか、わたしの知性や感性をその都度インスパイアしてやまない作家。

いまこの瞬間、日本のどこかで、20人30人の人が漱石の作品を手にして、その内奥へ入ったり出たりしている。
関川さんの「子規、最後の八年」を読み終えて、子規だけでなく、やっぱり漱石が読みたいという衝動に駆られている。学ぶべきものや智慧や悲しみや苦しみのドロップが、甘かったり、酸っぱかったり、苦かったりと、数限りなくつぎつぎ出てくる。

漱石の長短併せた多種多様な作品群、その魅力は21世紀になっても当分は終わらない。



※引用は岩波文庫に拠っている。

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