二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

濫読の夏 ~つげ義春のことなど

2018年07月12日 | Blog & Photo
  (晶文社版ももっているけど、こちらは新潮文庫版)


■本日は本のネタ

このところ読書は、かなり迷走気味。
池波さんを読んだり、司馬さんを読んだり、古書店またはBOOK OFFで手に入れた本をいきなり読みはじめたり。斜め読みしたきりで、あるいはあとがきを読んだだけでほったらかしていたり「(゚ペ)
好ましい傾向ではないが、自分ではどうにもならない。わたしが「わたし」の中で右往左往している・・・とでもいったらいいのか。

「二草庵摘録」のベストテンで、過去に書いたつげ義春の記事が、急に浮上してきたため、久方ぶりにその記事を読み返した。
つげマンガ、エッセイについいては、これまで4回感想をUPしている。

■起承転転 ~すばら式つげ義春
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d9ab0e1764dd655a39b0eb3a19d3751c
■つげ義春というキーワード
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/6a686a8cff6f5759809e87c127592305

自分でいうのも何だけれど、4編のうち、この2編は内容のある記事になっている。

かつてこの国には「破滅型」(伊藤整)といわれる私小説が一世を風靡したことがあった。戦後では太宰治あたりがその典型だと思うが、批評家からときに辛辣な評価をうけながら、その後も、川崎長太郎、車谷長吉、西村賢太等にバトンがわたってきた。
少数ながら「選ばれた読者」がいる、需要があるということだ。

しかし、つげ義春さんの世界は、破滅型ではない。
カテゴライズすれば貧乏話の系譜に属するもので、つげさんを「超低空飛行の人」と名づけたのは、丸谷才一さん。超低空飛行の生活リポートという題材で、川崎長太郎とつげ義春は“似ている”のだそうである。
なかなかうがった見方だと、感心した覚えがある。









近ごろやってきた本たちの一部。
古本の値付けが、平成の半ばころから値下がりしてきて、びっくりするような価格でならんでいる。ついつい、買わされてしまう( ・ὢ・ ) ムムッ
久々に出向いた古書店で、10冊買ってしまうときもある。









「いまは読めなくても、ストックしておいて、あとで読もう」な~んてね♪
これだけひどい迷走状態は、しばらくぶりに経験する。
濫読というか、乱読そのもの・・・だな。
けっして褒められたことではないが、この迷走が止められない(^^;)

詩を読んだそのすぐあとで、時間があれば、池波正太郎を読み、司馬さんを読み、世界史の本を読む。あるいは須賀さんのエッセイ集、世界文学の名作、ハードボイルド、冒険小説etc.
ただし、これまで読んだことのない本、あるいは新刊本のたぐいには、滅多に手をださない。
したがって2/3は“再読”。
1回だけ読んで、あとは捨てるか、叩き売るか・・・そういうものではない。
30代で読み、40代で読む。それら本を60代のわたしが、また読む。

なぜそうするのかというと、こちらが変化しているから、同じ本から違った景色が見えてくる。
聖書や仏典も同じだが、一生をかけて読んでいく。
現代という時代の“流行”には半分背を向けているから、
いっこうに苦にはならない。流行より、不易を重んずる人間である。
「そうだなあ、マンガといえば、いまの気分は、手塚さんではなく、つげさんだ」
そんなことを、漫然とかんがえている。

はじめて出会った瞬間のつげさん、何年かたって、ふたたび読み返すつげさん(^^)/
その味わいの微妙な違いを堪能する、舌鼓を打つようにしながら。

この夏は、どうやらそんな夏になる・・・予感がしている。

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