(わお! 屋根に子猫2匹を発見)
昨日はわが町高崎市を、カメラ片手にほっつき歩いてきた。
おもに旧市街に的を絞って。
再開発され、日々変貌をとげていく地域には、心が寄り添っていく余地がほとんどないのだ。
本日使用したのは、フィルム一眼2台、デジタル一眼2台。クルマで移動しながらの撮影なので、台数はさして気にならない(´Д`)
尾仲浩二さんのホームページでしこたま写真を見たあとだから、尾仲さんの昭和ノスタルジックが、わたしの背中を押している。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず・・・である。年を取るということがこういうことなのだ・・・と、街角に立って、レンズの向こうへセンチメンタルな昭和へのおもいが凝縮してゆく。
深夜、岩波文庫の「陶淵明全集」下巻を読んでいたら、こんな詩編があった。
人生無根蔕 人生 根蔕なく
飄如陌上塵 飄として陌上の塵の如し
分散逐風轉 分散し風を逐って轉じ
此已非常身 此れ已に常の身に非ず
落地爲兄弟 地に落ちては兄弟と爲る
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
得歡當作樂 歡を得なば當に樂しみを作すべし
斗酒聚比鄰 斗酒 比鄰を聚めよ
盛年不重來 盛年 重ねては來たらず
一日難再晨 一日 再びは晨なりがたし
及時當勉勵 時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人 歳月 人を待たず
陶淵明は西暦でいえば、365年に生まれ、427年に死んだとされている。いまからいうと、およそ1600年前の人。その時代の詩人が、すでにこんな嘆きを詩にしている。
あとから振り返ってみると、享年60であろうが、享年80であろうが、あっというまの出来事。街角の光景が愛しいのは、そのあたりに理由があるのだろう。
はてさて、いくつかをセレクトし、いつものように簡単にコメントを付しておこう(^^♪
1. トップに掲載した一枚。
何気なく見上げたら、屋根の上に子猫が2匹。こわごわこちらを見下ろしていた。
2. ランプと裸電球。
いつからここにあるのだろう? 50年前、60年前。もっと昔からかなあ。猫を発見した屋根のすぐ横である。
3. ツタにおおわれた建物と、青い自転車。
出入口だけ、洞窟のように穴が開いていて、窓はない。人が住んでいるのは間違いないだろうが。
4. 焙煎珈琲を売るお店の看板。喫茶店も兼ねている。
フォトジェニックだなあ・・・とおもえたのでシャッターを押した。店名どう読ませるのだろう。FREE Wi-Fiの文字が場違いだが、いいアクセントでもあ~る(´v’)
5.お姐さんたちのいるCLUB「BIRTH」。
ちょっとおかしな店名だにゃ。このあたりは、昔から飲み屋さんが軒をつらね、夜はキラキラ華やかだった。
7.周りの家が撤去され、ここだけが残された。屋上に洗濯物が干してあるので、まだ人が住んでいる。黒いシルエットは、見た瞬間は人がいるのかと思った。
8.これも滅亡寸前の建物。
北側にあるのが「うだつ」かしら? この部分と下の塀は塗装が新しい。
9.線香蘭月の琺瑯看板。
5~6年前このあたりを通ったときにも撮影している。忘れられているのだ、目にとめる人はだれもいない。何度もいうようだが、街角は観客のいないギャラリーだ。
10. NATIONAL FAN、16吋の吋はインチ。正価14,500円だそーです(笑)。
なつかしい扇風機の値札、ここは昭和時代に繁盛したゲームセンター入り口なのです。
11. 異様なデザインの照明器具。
ぐるぐると回転するミラーボールかしら(´・ω・)? むろん、単なるオブジェと化している。ここもゲーセン入り口。
迷い込んだ街角の1時間半ほどのクルージング。
メインはフィルムカメラ・・・だとかんがえてはいるけど、撮影枚数はデジ一の方がすっと多いのはいたしかたない。
フィルム&デジタルの双方で撮ってしまったカットもある。大抵は2本づつ現像に出している。その2本目がなかなか撮りおわらないのです。
今年は秋は急ぎ足で通り過ぎていくような予感がする。新型コロナ禍が終息し、街に活気が戻ってくるのはいつのことだろう?
アルバムはこちら。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000107283633&owner_id=4279073
「郷土遊覧記 Part31」
(ただし、友人の友人まで公開)
※陶淵明の詩はこちらのサイトから引用させていただきました。
https://tao.hix05.com/index.html
https://tao.hix05.com/zatshushi/zatsu01.saigetu.html
現代語訳もあります。
昨日はわが町高崎市を、カメラ片手にほっつき歩いてきた。
おもに旧市街に的を絞って。
再開発され、日々変貌をとげていく地域には、心が寄り添っていく余地がほとんどないのだ。
本日使用したのは、フィルム一眼2台、デジタル一眼2台。クルマで移動しながらの撮影なので、台数はさして気にならない(´Д`)
尾仲浩二さんのホームページでしこたま写真を見たあとだから、尾仲さんの昭和ノスタルジックが、わたしの背中を押している。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず・・・である。年を取るということがこういうことなのだ・・・と、街角に立って、レンズの向こうへセンチメンタルな昭和へのおもいが凝縮してゆく。
深夜、岩波文庫の「陶淵明全集」下巻を読んでいたら、こんな詩編があった。
人生無根蔕 人生 根蔕なく
飄如陌上塵 飄として陌上の塵の如し
分散逐風轉 分散し風を逐って轉じ
此已非常身 此れ已に常の身に非ず
落地爲兄弟 地に落ちては兄弟と爲る
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
得歡當作樂 歡を得なば當に樂しみを作すべし
斗酒聚比鄰 斗酒 比鄰を聚めよ
盛年不重來 盛年 重ねては來たらず
一日難再晨 一日 再びは晨なりがたし
及時當勉勵 時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人 歳月 人を待たず
陶淵明は西暦でいえば、365年に生まれ、427年に死んだとされている。いまからいうと、およそ1600年前の人。その時代の詩人が、すでにこんな嘆きを詩にしている。
あとから振り返ってみると、享年60であろうが、享年80であろうが、あっというまの出来事。街角の光景が愛しいのは、そのあたりに理由があるのだろう。
はてさて、いくつかをセレクトし、いつものように簡単にコメントを付しておこう(^^♪
1. トップに掲載した一枚。
何気なく見上げたら、屋根の上に子猫が2匹。こわごわこちらを見下ろしていた。
2. ランプと裸電球。
いつからここにあるのだろう? 50年前、60年前。もっと昔からかなあ。猫を発見した屋根のすぐ横である。
3. ツタにおおわれた建物と、青い自転車。
出入口だけ、洞窟のように穴が開いていて、窓はない。人が住んでいるのは間違いないだろうが。
4. 焙煎珈琲を売るお店の看板。喫茶店も兼ねている。
フォトジェニックだなあ・・・とおもえたのでシャッターを押した。店名どう読ませるのだろう。FREE Wi-Fiの文字が場違いだが、いいアクセントでもあ~る(´v’)
5.お姐さんたちのいるCLUB「BIRTH」。
ちょっとおかしな店名だにゃ。このあたりは、昔から飲み屋さんが軒をつらね、夜はキラキラ華やかだった。
7.周りの家が撤去され、ここだけが残された。屋上に洗濯物が干してあるので、まだ人が住んでいる。黒いシルエットは、見た瞬間は人がいるのかと思った。
8.これも滅亡寸前の建物。
北側にあるのが「うだつ」かしら? この部分と下の塀は塗装が新しい。
9.線香蘭月の琺瑯看板。
5~6年前このあたりを通ったときにも撮影している。忘れられているのだ、目にとめる人はだれもいない。何度もいうようだが、街角は観客のいないギャラリーだ。
10. NATIONAL FAN、16吋の吋はインチ。正価14,500円だそーです(笑)。
なつかしい扇風機の値札、ここは昭和時代に繁盛したゲームセンター入り口なのです。
11. 異様なデザインの照明器具。
ぐるぐると回転するミラーボールかしら(´・ω・)? むろん、単なるオブジェと化している。ここもゲーセン入り口。
迷い込んだ街角の1時間半ほどのクルージング。
メインはフィルムカメラ・・・だとかんがえてはいるけど、撮影枚数はデジ一の方がすっと多いのはいたしかたない。
フィルム&デジタルの双方で撮ってしまったカットもある。大抵は2本づつ現像に出している。その2本目がなかなか撮りおわらないのです。
今年は秋は急ぎ足で通り過ぎていくような予感がする。新型コロナ禍が終息し、街に活気が戻ってくるのはいつのことだろう?
アルバムはこちら。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000107283633&owner_id=4279073
「郷土遊覧記 Part31」
(ただし、友人の友人まで公開)
※陶淵明の詩はこちらのサイトから引用させていただきました。
https://tao.hix05.com/index.html
https://tao.hix05.com/zatshushi/zatsu01.saigetu.html
現代語訳もあります。