(新潮日本古典集成「徒然草」木藤才蔵 校注)
ようやく読み終えた、最後の一ページまで。
参照した4種の刊本うち、写真の新潮日本古典集成の「徒然草」の編集がもっとも充実していると思われた。
ほかに、つぎの校本を参照した。
岩波文庫(西尾実、安良岡康作校注)
角川文庫
旧版:今泉忠義校注
新版:小川剛生校注(兼好の人物像をひっくり返したことで注目をあびた)
このほかにもたくさんの刊本があるし、Webの情報も驚くほどの量がUPされている。
日本の古典文学の中では人気度抜群といえる・・・と思う。
逆に古文の時間に、この「徒然草」を読まされ、すっかり嫌いになったという人も多いのかな?
しかーし、源氏はともかく、古文といえば徒然草と連想するのは、わたしばかりではあるまい。
ところが、読んでいるといっても、これまで虫食いだった(´v`?) 長年、よく知られた段章のみ、拾い読みしていたわけだ。
全巻通読したのはなんと今回がはじめて、情けないことに。
■新潮日本古典集成のよいところ
・注釈が非常に充実している(類書をはるかに圧倒)。
・校注者木藤才蔵さんの解説が、多岐にわたって詳しい。
・巻末に付録として、図版(挿絵、地図その他)があるのがありがたい。
語注が詳しいばかりでなく、本文横に、難解なところだけ現代語訳が添えられているのが、わたしのような非力の読者にはありがたかった。
今回通読したことでよくわかったのは、初期の兼好と、年老いてからの兼好とでは、書いていることに矛盾がある。首尾一貫しているようで、じつはそうではない・・・というのも、この本が教えてくれる“真実”なのだ。
全二百四十三段。そのうち、わたしがマークをほどこした段章が二十数か所ある。
いちいち引用していたらキリがないので、一か所だけ掲載しておこう(^^♪
■徒然草百五十五段(後半)より
《春暮れて後(のち)、夏になり、夏果(はて)て、秋の来くるにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽めぐむにはあらず、下(した)より萌(きざし)つはるに堪(たへ)ずして落つるなり。迎(むか)ふる気、下に設(まう)けたる故(ゆゑ)に、待ちとる序(つい)で甚(はなはだ)速し。生(しよう)・老・病・死の移り来きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご)は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来きたらず。かねて後うしろに迫(せまれ)り。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚(おぼえず)して来きたる。沖(おき)の干潟(ひかた)遥(はるか)なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満みつるが如し。》
すばらしい名文といっていいだろう。しかもこの文体から、兼好がムキになって、読者を説得しようとするパワー、気迫がつたわってくる(゚Д゚;)
わたしが付け加えるべきことばはない。
《人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚(おぼえず)して来きたる。沖(おき)の干潟(ひかた)遥(はるか)なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満みつるが如し。》
決して美辞麗句ではない。そらぞらしくは響かず、読む者の胸にことばの矢はぐさりとつきささってくる。これを日本語の名文といわずして、何を名文というか?
まったき中世人であった兼好法師は、手を変え品を変え出家をすすめている。
中世とはいえ、古代的な息吹は、都やその周囲にまだ、たっぷりと残っていた。源信「往生要集」や浄土教の教えが、死の魔の手に追い詰められた民衆や貴族の最後の拠り所。
牛や馬ばかりではなく、不慮の死をとげた人びとの死体が、片付けられることなく、いたるところに転がっていた。
西行や兼好が生きた、中世。民衆は虫けらにひとしい存在であったといえる。
そのことをしっかりと踏まえ、時代への想像力をはたらかせながら、徒然草を読もう・・・と、自分にいい聞かせる。中世という世には、原日本の風景が眠っているのだ、と。
輸入文化は、結局のところ、貴族たち特権階級のものでしかなかったのである。
西行も兼好も、出家者であった。出家者とは、これも第二の特権階級(西行も兼好もかなりの資産を持っていた)だが、彼らには虫のように生き死にする民衆が、視界の端に映っていた。
出家することで、彼らはいまでいう自由人となったのである。
小林秀雄がいうように、兼好によって、日本ははじめて「批評家」という存在を持つことになった。
そういう批評家の眼に、中世の社会はどう映じたか!
西行や兼好ばかりでなく、法然も親鸞も、こういう時代を背景に、21世紀のわれわれに対し、肺腑をえぐるようなことばを投げかけてくる。
(いかにも国文学者が書いたといえる本だけど、必読の書でもある。風巻景次郎著、角川選書)
「徒然草」は兼好の死後にあらわれた本であるというが、江戸時代に入るころから「枕草子」「方丈記」とならんで、いわば随筆のベストセラーとなり、広く読まれるようになってゆく。識字率の向上と、民衆の生活のボトムアップ。
四書五経を読むような層が、あるとき「徒然草」を手にして、兼好という“世捨て人”を発見する。それはまことにスリリング極まりない光景である・・・とわたしは思う。
一度通読したからといって、「徒然草」を卒業したとは、とてもかんがえられない。
「徒然草」はおわらない。
老いて字が読めなくなるまで、手許に置きたい本である。1~2年たったら、ふたたび手にとりたくなるだろう。そういう本の一冊、つまり座右の書である。
こういう本にめぐりあえたことを、木藤さんと新潮日本古典集成編集部に、一読者として敬意と感謝を捧げておきたくなった♪
※ 第百五十五段の現代語訳はこちらを参照できます。
https://tsurezuregusa.com/155dan/ (吾妻利秋氏訳)
ようやく読み終えた、最後の一ページまで。
参照した4種の刊本うち、写真の新潮日本古典集成の「徒然草」の編集がもっとも充実していると思われた。
ほかに、つぎの校本を参照した。
岩波文庫(西尾実、安良岡康作校注)
角川文庫
旧版:今泉忠義校注
新版:小川剛生校注(兼好の人物像をひっくり返したことで注目をあびた)
このほかにもたくさんの刊本があるし、Webの情報も驚くほどの量がUPされている。
日本の古典文学の中では人気度抜群といえる・・・と思う。
逆に古文の時間に、この「徒然草」を読まされ、すっかり嫌いになったという人も多いのかな?
しかーし、源氏はともかく、古文といえば徒然草と連想するのは、わたしばかりではあるまい。
ところが、読んでいるといっても、これまで虫食いだった(´v`?) 長年、よく知られた段章のみ、拾い読みしていたわけだ。
全巻通読したのはなんと今回がはじめて、情けないことに。
■新潮日本古典集成のよいところ
・注釈が非常に充実している(類書をはるかに圧倒)。
・校注者木藤才蔵さんの解説が、多岐にわたって詳しい。
・巻末に付録として、図版(挿絵、地図その他)があるのがありがたい。
語注が詳しいばかりでなく、本文横に、難解なところだけ現代語訳が添えられているのが、わたしのような非力の読者にはありがたかった。
今回通読したことでよくわかったのは、初期の兼好と、年老いてからの兼好とでは、書いていることに矛盾がある。首尾一貫しているようで、じつはそうではない・・・というのも、この本が教えてくれる“真実”なのだ。
全二百四十三段。そのうち、わたしがマークをほどこした段章が二十数か所ある。
いちいち引用していたらキリがないので、一か所だけ掲載しておこう(^^♪
■徒然草百五十五段(後半)より
《春暮れて後(のち)、夏になり、夏果(はて)て、秋の来くるにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽めぐむにはあらず、下(した)より萌(きざし)つはるに堪(たへ)ずして落つるなり。迎(むか)ふる気、下に設(まう)けたる故(ゆゑ)に、待ちとる序(つい)で甚(はなはだ)速し。生(しよう)・老・病・死の移り来きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご)は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来きたらず。かねて後うしろに迫(せまれ)り。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚(おぼえず)して来きたる。沖(おき)の干潟(ひかた)遥(はるか)なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満みつるが如し。》
すばらしい名文といっていいだろう。しかもこの文体から、兼好がムキになって、読者を説得しようとするパワー、気迫がつたわってくる(゚Д゚;)
わたしが付け加えるべきことばはない。
《人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚(おぼえず)して来きたる。沖(おき)の干潟(ひかた)遥(はるか)なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満みつるが如し。》
決して美辞麗句ではない。そらぞらしくは響かず、読む者の胸にことばの矢はぐさりとつきささってくる。これを日本語の名文といわずして、何を名文というか?
まったき中世人であった兼好法師は、手を変え品を変え出家をすすめている。
中世とはいえ、古代的な息吹は、都やその周囲にまだ、たっぷりと残っていた。源信「往生要集」や浄土教の教えが、死の魔の手に追い詰められた民衆や貴族の最後の拠り所。
牛や馬ばかりではなく、不慮の死をとげた人びとの死体が、片付けられることなく、いたるところに転がっていた。
西行や兼好が生きた、中世。民衆は虫けらにひとしい存在であったといえる。
そのことをしっかりと踏まえ、時代への想像力をはたらかせながら、徒然草を読もう・・・と、自分にいい聞かせる。中世という世には、原日本の風景が眠っているのだ、と。
輸入文化は、結局のところ、貴族たち特権階級のものでしかなかったのである。
西行も兼好も、出家者であった。出家者とは、これも第二の特権階級(西行も兼好もかなりの資産を持っていた)だが、彼らには虫のように生き死にする民衆が、視界の端に映っていた。
出家することで、彼らはいまでいう自由人となったのである。
小林秀雄がいうように、兼好によって、日本ははじめて「批評家」という存在を持つことになった。
そういう批評家の眼に、中世の社会はどう映じたか!
西行や兼好ばかりでなく、法然も親鸞も、こういう時代を背景に、21世紀のわれわれに対し、肺腑をえぐるようなことばを投げかけてくる。
(いかにも国文学者が書いたといえる本だけど、必読の書でもある。風巻景次郎著、角川選書)
「徒然草」は兼好の死後にあらわれた本であるというが、江戸時代に入るころから「枕草子」「方丈記」とならんで、いわば随筆のベストセラーとなり、広く読まれるようになってゆく。識字率の向上と、民衆の生活のボトムアップ。
四書五経を読むような層が、あるとき「徒然草」を手にして、兼好という“世捨て人”を発見する。それはまことにスリリング極まりない光景である・・・とわたしは思う。
一度通読したからといって、「徒然草」を卒業したとは、とてもかんがえられない。
「徒然草」はおわらない。
老いて字が読めなくなるまで、手許に置きたい本である。1~2年たったら、ふたたび手にとりたくなるだろう。そういう本の一冊、つまり座右の書である。
こういう本にめぐりあえたことを、木藤さんと新潮日本古典集成編集部に、一読者として敬意と感謝を捧げておきたくなった♪
※ 第百五十五段の現代語訳はこちらを参照できます。
https://tsurezuregusa.com/155dan/ (吾妻利秋氏訳)