あるところで、田中長徳さんが、つぎのように述べている。
《視神経の覚醒はまず歩行から始まる。歩くことは自己認識の手段であると同時にこの世界を体験することだ。
あたしの通常の街撮りでは10~20キロを歩く。これを知って「健康にいいですね」と言う人がいる。高齢者の健康法だと思っているのだ。笑止である。》
(雑誌「カメラマガジン」2014年2月号より)
最後のひとこと、めずらしく田中さんの語気が鋭い。
じっさいにやってみればわかるが、よほど健脚な方でないかぎり、カメラをもって撮影しながら、1日10~20キロ歩行するのは、並大抵のことではない。
朝から日が沈むまで、昼食休憩をさしはさんだりしながら、倦むことなく、被写体をもとめて歩きまわる。
わたしはせいぜい、その半分か、それ以下なので、こういう人には頭が上がらない。
森山大道さんや、尾仲浩二さんも、おそらく、このくらいの距離を歩行しつつ、撮影するのだろう。
《視神経の覚醒はまず歩行から始まる》
うーむ、以前も引用したけれど、これは名言だな、覚えておいて損はない(^_^)/~
アルバムのリードにも書いたが、この日、群馬県館林市では、31.9度を記録している。
まだ5月半ばだってのにね。ここ高崎でも30度はあっただろう。
尾仲さんは同じ街は二度と歩かないようにしているというが、わたしは同じ街を、何度も歩く。いくら歩いても、「歩きつくす」ということはないし、いつも新しい発見がある。
1.「レストラン 三好」(Topの写真)
以前から高崎市街地を歩くたびに気になって、外観だけは撮ったことがあるが、この日は、ここでランチを食べることを目標に家を出た。
商店街は原則、水曜定休なので、閑散としているし、廃業しシャッターが閉まったままの店も多い。
現在のご主人で三代目。出身は青森県弘前市。先代から買い取ったとおっしゃっていた。
2.「三好のラーメンランチ」
ラーメンとチャーハンのセットで680円。半チャーハンではなく、普通のボリュームがあるから、男性でもまちがいなく満腹になる(^-^)
昔ながらのシナ蕎麦がうまかった。やや薄口の醤油スープを最後の一滴まで飲み干した。
店の構えも、名称も、先代からそのまま引き継いで20年あまりだそうである。
代替わりに際し、三好をニュー三好とした。アー!! おいしかった、ご馳走さまとわたしはいった。そして、しばらくたってもう一度。
ご主人の顔がほころんだ(^_-)
3.「昭和のレジスター」
これはもう立派な骨董品。いらなくなったら、キレイに研いて、レトロ博物館に寄贈できる。レジスターも、先代から引き継いだのだ。
旧市街地の「いちばん賑やかだったころ」を知っている。わたしは景気がよかったころ、柳川町という、飲み屋街にさかんに出没した(^^;)
この日は、恰幅のいい馴染みの女性客が昼間から焼酎を飲んでいた。わたしより6歳年上のご主人や、馴染みのおばちゃんと、しばし懐旧談にふけった。
4.「点景人物がほしかった」
こういう路地の奥に、点景人物がほしいとおもいながら歩いていて、それを発見した。
別人物で、もう一枚撮ってあるけれど、こちらを選んだ。
柳川町といえば、その昔、郭があった。奥に入りこむと、迷路のような路地が・・・。
バブル景気のころは酔客で賑わったものだが、いまでは「貸店舗」「貸物件」の看板だらけ。
「もう二度とこのあたりに繁栄がもどることはないね」
ニュー三好のご主人が感慨をこめていった。
5.「花とテントウムシ」
ウキツリボク(・・・でいいのかな?)にナミテントウ二紋型を見つけた。
ちなみに、この花の花ことばは「尊厳」。
赤と黄色のコントラストがとてもチャーミングで、
赤と黒のテントウムシとよいコントラストだった。
撮影はそこにあるもの、生きているものの尊厳に敬意を払うことからスタートする。
6.「黒い日傘の女性」
最後はこれをあげておこう。
すれ違ったので、Uターンし、5、6歩もどって撮影した。
大きな荷物をもって歩いてきた。
信号待ちをする後ろ姿の、凛とした、健気なたたずまいに惹かれた。
道路の向こう側では、ジーパンのお兄ちゃんが自動販売機からたばこを買っている。
「高崎の女(ひと)」というと、いまのわたしはこういう女性を思い浮かべる(^^)/
顔は思い出せないが、それでいい。
後ろ姿だけ、いつまでも記憶に残っている。そういう人が、ほかにもいる。
《視神経の覚醒はまず歩行から始まる。歩くことは自己認識の手段であると同時にこの世界を体験することだ。
あたしの通常の街撮りでは10~20キロを歩く。これを知って「健康にいいですね」と言う人がいる。高齢者の健康法だと思っているのだ。笑止である。》
(雑誌「カメラマガジン」2014年2月号より)
最後のひとこと、めずらしく田中さんの語気が鋭い。
じっさいにやってみればわかるが、よほど健脚な方でないかぎり、カメラをもって撮影しながら、1日10~20キロ歩行するのは、並大抵のことではない。
朝から日が沈むまで、昼食休憩をさしはさんだりしながら、倦むことなく、被写体をもとめて歩きまわる。
わたしはせいぜい、その半分か、それ以下なので、こういう人には頭が上がらない。
森山大道さんや、尾仲浩二さんも、おそらく、このくらいの距離を歩行しつつ、撮影するのだろう。
《視神経の覚醒はまず歩行から始まる》
うーむ、以前も引用したけれど、これは名言だな、覚えておいて損はない(^_^)/~
アルバムのリードにも書いたが、この日、群馬県館林市では、31.9度を記録している。
まだ5月半ばだってのにね。ここ高崎でも30度はあっただろう。
尾仲さんは同じ街は二度と歩かないようにしているというが、わたしは同じ街を、何度も歩く。いくら歩いても、「歩きつくす」ということはないし、いつも新しい発見がある。
1.「レストラン 三好」(Topの写真)
以前から高崎市街地を歩くたびに気になって、外観だけは撮ったことがあるが、この日は、ここでランチを食べることを目標に家を出た。
商店街は原則、水曜定休なので、閑散としているし、廃業しシャッターが閉まったままの店も多い。
現在のご主人で三代目。出身は青森県弘前市。先代から買い取ったとおっしゃっていた。
2.「三好のラーメンランチ」
ラーメンとチャーハンのセットで680円。半チャーハンではなく、普通のボリュームがあるから、男性でもまちがいなく満腹になる(^-^)
昔ながらのシナ蕎麦がうまかった。やや薄口の醤油スープを最後の一滴まで飲み干した。
店の構えも、名称も、先代からそのまま引き継いで20年あまりだそうである。
代替わりに際し、三好をニュー三好とした。アー!! おいしかった、ご馳走さまとわたしはいった。そして、しばらくたってもう一度。
ご主人の顔がほころんだ(^_-)
3.「昭和のレジスター」
これはもう立派な骨董品。いらなくなったら、キレイに研いて、レトロ博物館に寄贈できる。レジスターも、先代から引き継いだのだ。
旧市街地の「いちばん賑やかだったころ」を知っている。わたしは景気がよかったころ、柳川町という、飲み屋街にさかんに出没した(^^;)
この日は、恰幅のいい馴染みの女性客が昼間から焼酎を飲んでいた。わたしより6歳年上のご主人や、馴染みのおばちゃんと、しばし懐旧談にふけった。
4.「点景人物がほしかった」
こういう路地の奥に、点景人物がほしいとおもいながら歩いていて、それを発見した。
別人物で、もう一枚撮ってあるけれど、こちらを選んだ。
柳川町といえば、その昔、郭があった。奥に入りこむと、迷路のような路地が・・・。
バブル景気のころは酔客で賑わったものだが、いまでは「貸店舗」「貸物件」の看板だらけ。
「もう二度とこのあたりに繁栄がもどることはないね」
ニュー三好のご主人が感慨をこめていった。
5.「花とテントウムシ」
ウキツリボク(・・・でいいのかな?)にナミテントウ二紋型を見つけた。
ちなみに、この花の花ことばは「尊厳」。
赤と黄色のコントラストがとてもチャーミングで、
赤と黒のテントウムシとよいコントラストだった。
撮影はそこにあるもの、生きているものの尊厳に敬意を払うことからスタートする。
6.「黒い日傘の女性」
最後はこれをあげておこう。
すれ違ったので、Uターンし、5、6歩もどって撮影した。
大きな荷物をもって歩いてきた。
信号待ちをする後ろ姿の、凛とした、健気なたたずまいに惹かれた。
道路の向こう側では、ジーパンのお兄ちゃんが自動販売機からたばこを買っている。
「高崎の女(ひと)」というと、いまのわたしはこういう女性を思い浮かべる(^^)/
顔は思い出せないが、それでいい。
後ろ姿だけ、いつまでも記憶に残っている。そういう人が、ほかにもいる。