
今年は二眼レフはお花見でにぎわう前橋M公園からのスタートとなった。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000089928117&owner_id=4279073
そしてつぎが、GWの桐生、足利散歩。
昨年に比較すると、出番がかなりへっているが、時間的、金銭的な負担がその主な原因で、わたしが、二眼レフの撮影に飽きてきた・・・ということではない。
スクエアフォーマットは、二眼レフ。ミラーの跳ね上げが必要なハッセルと較べ、タイムラグが極めて短い。指が動いた瞬間には切れている。ライカのような、マニュアルフォーカスのレンジファインダー機と双璧である。
ただ一発で決めるとなると、シャッターチャンスのピークを見極めるのはとてもむずかしい。
1秒の何分の1かはやかったり、遅かったりo(゜∀゜)o あっ、こころの中で叫んでいる。あー、あっ! とね。
1枚に対するコストは、デジタルの何倍となるのだろう?
だから、ここぞと思った瞬間を射止めたときの興奮というか快感というかは、なかなかのものである(笑)。
つまり“達成感”というヤツが、まるで違う。
ピントはカメラではなく、自分が決める。露出も、内蔵露出計を参考にしながら、やっぱり自分で決める。自分の手で巻き上げ、シャッターをチャージする。慣れてくると、この一連の動きが、心地よいリズムを刻みはじめる。
「あらあら、こんなショットがあったか」
時間がたっているから、忘れてしまっているフォトがある。「おれって、こんなに写真がへただったかな?」とガッカリしたり「ん? これいいんじゃないかなあ」とよろこんだり。現像があがってきたとき、撮った写真と再会する愉しみは、まさにフィルム写真のものだろう。
1.「黄色のボタン」(Topの一枚)
ボタンは足利学校に近い、あるお寺の境内に咲いていた。行楽客が訪れるような観光スポットではない。
絞り開放、たしか1/60で撮影している。日陰だったから、青かぶりになるかなと心配したが、かえって柔らかみのある、しっとりした一枚となった。

2.「小粋なお父さん」
置きピンで、すれ違いざまに撮影している。撮影地は桐生。
ややあとピンが惜しいけれど、気になるほどではない。置きピンは5m~6mとしている。こういう場合、当然ながらルーペは使わず、大雑把に上からファインダーをチラ見している。
藍染の作務衣というユニフォームだろうか。帽子がよくお似合い♪

3.「有鄰館の片隅」
ビールを売っているご主人がこちらを見た瞬間を撮っている。
アイレベルのファインダーだと、こういう場合、怯みが出たりする。わたしは被写体を直視せず、お辞儀をしているから、シャッターを押すことができる。撮りおわった直後、赤い靴のお母さんがこちらに顔をあげて、少し微笑んだのだけれど、そのチャンスは逸してしまった(;´-`)
一枚のフォトの、さきと、あとに、シャッターチャンスは隠れている。

4.「眠りについた街角」
足利へいくたび、このあたりを歩く。反対運動があったり、自治体の予算の都合がつかなかったりして、この街区は長い眠りについている。
そうしているあいだに、住民の高齢化がすすむ。耳をすましても、無情な風が、吹き抜ける音がするだけ。

5.「博仁堂薬局」
足利の老舗薬局。入り口の引戸をご覧いただきたい。ペンキが剥がれかかった、木製建具なのである。空き家ではなく、まだかろうじて現役。
つぎにいったら、もうなくなっている・・・そんな思いがわたしにシャッターを押させる。
写真の本領は記録だと、先輩方が口をそろえていう。
森山大道さんが撮った北海道写真は、いま眺めると記録写真の傑作だし、その可能性のもっとも目覚ましい成果の一つ。
わたしは「ふう、う」とため息をつき、またゆっくり歩き出す。
写真集「NORTHERN」。(これには、続編の2と3がある)
http://www.athens.co.jp/store/136_504.html
http://miyanomori-art.jp/special06.html
※アルバム「フィルムのテイストを満喫 ~桐生・足利2014」はこちら(友人まで公開)。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000090475379&owner_id=4279073
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000089928117&owner_id=4279073
そしてつぎが、GWの桐生、足利散歩。
昨年に比較すると、出番がかなりへっているが、時間的、金銭的な負担がその主な原因で、わたしが、二眼レフの撮影に飽きてきた・・・ということではない。
スクエアフォーマットは、二眼レフ。ミラーの跳ね上げが必要なハッセルと較べ、タイムラグが極めて短い。指が動いた瞬間には切れている。ライカのような、マニュアルフォーカスのレンジファインダー機と双璧である。
ただ一発で決めるとなると、シャッターチャンスのピークを見極めるのはとてもむずかしい。
1秒の何分の1かはやかったり、遅かったりo(゜∀゜)o あっ、こころの中で叫んでいる。あー、あっ! とね。
1枚に対するコストは、デジタルの何倍となるのだろう?
だから、ここぞと思った瞬間を射止めたときの興奮というか快感というかは、なかなかのものである(笑)。
つまり“達成感”というヤツが、まるで違う。
ピントはカメラではなく、自分が決める。露出も、内蔵露出計を参考にしながら、やっぱり自分で決める。自分の手で巻き上げ、シャッターをチャージする。慣れてくると、この一連の動きが、心地よいリズムを刻みはじめる。
「あらあら、こんなショットがあったか」
時間がたっているから、忘れてしまっているフォトがある。「おれって、こんなに写真がへただったかな?」とガッカリしたり「ん? これいいんじゃないかなあ」とよろこんだり。現像があがってきたとき、撮った写真と再会する愉しみは、まさにフィルム写真のものだろう。
1.「黄色のボタン」(Topの一枚)
ボタンは足利学校に近い、あるお寺の境内に咲いていた。行楽客が訪れるような観光スポットではない。
絞り開放、たしか1/60で撮影している。日陰だったから、青かぶりになるかなと心配したが、かえって柔らかみのある、しっとりした一枚となった。

2.「小粋なお父さん」
置きピンで、すれ違いざまに撮影している。撮影地は桐生。
ややあとピンが惜しいけれど、気になるほどではない。置きピンは5m~6mとしている。こういう場合、当然ながらルーペは使わず、大雑把に上からファインダーをチラ見している。
藍染の作務衣というユニフォームだろうか。帽子がよくお似合い♪

3.「有鄰館の片隅」
ビールを売っているご主人がこちらを見た瞬間を撮っている。
アイレベルのファインダーだと、こういう場合、怯みが出たりする。わたしは被写体を直視せず、お辞儀をしているから、シャッターを押すことができる。撮りおわった直後、赤い靴のお母さんがこちらに顔をあげて、少し微笑んだのだけれど、そのチャンスは逸してしまった(;´-`)
一枚のフォトの、さきと、あとに、シャッターチャンスは隠れている。

4.「眠りについた街角」
足利へいくたび、このあたりを歩く。反対運動があったり、自治体の予算の都合がつかなかったりして、この街区は長い眠りについている。
そうしているあいだに、住民の高齢化がすすむ。耳をすましても、無情な風が、吹き抜ける音がするだけ。

5.「博仁堂薬局」
足利の老舗薬局。入り口の引戸をご覧いただきたい。ペンキが剥がれかかった、木製建具なのである。空き家ではなく、まだかろうじて現役。
つぎにいったら、もうなくなっている・・・そんな思いがわたしにシャッターを押させる。
写真の本領は記録だと、先輩方が口をそろえていう。
森山大道さんが撮った北海道写真は、いま眺めると記録写真の傑作だし、その可能性のもっとも目覚ましい成果の一つ。
わたしは「ふう、う」とため息をつき、またゆっくり歩き出す。
写真集「NORTHERN」。(これには、続編の2と3がある)
http://www.athens.co.jp/store/136_504.html
http://miyanomori-art.jp/special06.html
※アルバム「フィルムのテイストを満喫 ~桐生・足利2014」はこちら(友人まで公開)。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000090475379&owner_id=4279073