昨日小林頼子さんのフェルメールの本を買ってきた。
この画家の絵は30点くらいしか残されていない。
いっときフェルメール・ブームがあり、そのときわたしも関心をもった。
なぜ本を買ったかというと、自分が撮っているソシアル・ランドスケープのさきには、どうやらこの画家がいると思ったから。
フェルメール理解のキーワードは「日常の聖化」であるとわたしは考えている。
人物画が多く残され、その大半は名画といっていいが、登場するのは無名の当時の市民たち。
フェルメールのまなざしは、ある意味でレンズのまなざしを先取りしている。外から室内に射し込んでいる光の見極めが、ほんとうにすごい。こういう画家は、彼以前には、存在しなかった。
日常への温かいまなざし・・・これはこの画家が発見したものである。
風景画では「デルフトの眺望」が一番有名。
しかし、この「小路」も素晴らしい。わたしの街撮りのご先祖である。3人または4人の女性の日常。
画家の眼には、女たちが憩う平々凡々たる日常への愛情がこめられている。
この平和を永遠なものにしよう・・・そうしたい♪
日常の聖化とはそういう意味である。
だから彼は“絶景”ではなく、身の回りの日常生活を題材にしている。
この画家の絵は30点くらいしか残されていない。
いっときフェルメール・ブームがあり、そのときわたしも関心をもった。
なぜ本を買ったかというと、自分が撮っているソシアル・ランドスケープのさきには、どうやらこの画家がいると思ったから。
フェルメール理解のキーワードは「日常の聖化」であるとわたしは考えている。
人物画が多く残され、その大半は名画といっていいが、登場するのは無名の当時の市民たち。
フェルメールのまなざしは、ある意味でレンズのまなざしを先取りしている。外から室内に射し込んでいる光の見極めが、ほんとうにすごい。こういう画家は、彼以前には、存在しなかった。
日常への温かいまなざし・・・これはこの画家が発見したものである。
風景画では「デルフトの眺望」が一番有名。
しかし、この「小路」も素晴らしい。わたしの街撮りのご先祖である。3人または4人の女性の日常。
画家の眼には、女たちが憩う平々凡々たる日常への愛情がこめられている。
この平和を永遠なものにしよう・・・そうしたい♪
日常の聖化とはそういう意味である。
だから彼は“絶景”ではなく、身の回りの日常生活を題材にしている。