活字が大きくなって読みやすい新装版を手に入れたので、読み返した。2007年の刊行とあるが、それ以前に読んだ記憶が、おぼろげながらある。
司馬さんは講演はお嫌いだったようだが、対談の名手、愉しくあっというまに読みおえた。
文春文庫からは司馬さんの対談選集全6巻が出ているし、中央文庫にも対談集がある。単なる長広舌には堕さない「おしゃべり」は司馬さんの得意技であった(^^♪ 歴史・時代小説の余滴を、こういう形で味わえるのは、文学と歴史の交差点に立つファンの一人として、見逃すことはできない。
《この対談筆記は、朝の十時から夜の八時まで、途中一回の食事、一回の茶の時間があっただけで、お互い飛雲に駕し、風に御し、碧落を翔るような気持で、語りに語り合い、話に話し合いつづけたことが速記されたものです。》(本書まえがき・海音寺潮五郎)
その場の勢いが彷彿と蘇ってくるおもしろさがある。日本の歴史とかかわり、考え、書いてまた考える。そういう名人お二人の談笑する光景が、歴史好きにはたまらない魅力♪
そもそも、司馬遼太郎という人物を見出したのが、海音寺潮五郎なのである。司馬さんのあとがきによると、第一作を刊行したときから、毛筆で手紙を書いて「もの書き」としての司馬さんをはげましつづけた。親子ほどの年齢差があるこの二人のあいだには、師匠と弟子といってもいい風が吹き抜けている。
談論風発ということばがある。まさにこういう対談こそ、それであろう。
「日本歴史」とはいっても、核心は明治維新と、日本の近代化をめぐる話題。
・封建の土壌
・イデオロギーと術
・天皇制とはなにか
・産業革命と危機意識
・西郷と大久保
・日本人の意識の底
・幕末のエネルギー
・言語感覚の特異性
本書のINDEXをたどっていけば、こういうテーマが浮かび上がってくる。
すでにいい古された話題もそこここで眼につくが、本書の刊行は、昭和44年、西暦でいえば、1969年となる。このころわたしはまだ、群馬という田舎の高校生であった。
本書では学生運動に対する批判的な会話が折々登場する。この年がどんな年であったか、Webで検索すれば、そのあらましを掴むことができる。
70年安保は1970年6月自動延長、三島由紀夫事件は1970年11月、浅間山荘事件は1972年2月、南ベトナムの崩壊が1975年。学生、知識人のあいだで左翼系の人たちが勢いを持っていた、きな臭い時代であった。
お二人は、この政治的季節を、維新の尊皇攘夷の擾乱と比較し、アナロジカルなとらえ方をしながら日本人とは何かを考え、ほぼ意見の一致を見ている。
60年と70年の学生闘争は、反政府運動、反米闘争として、かつてない規模の政治運動であったが、浅間山荘事件をきっかけに、徐々に収束へと向かっていった。この事件はわたしが二十歳のとき、群馬が抵抗をつづけた “過激派”の最後の根拠地となったので、関心は高かった。
歴史を学ぶとは、過去に照らして現在を視ることである。ただ視るのはない、類推し、反省し、洞察する。そういう智慧である。そういう意味で、二人の知者が時代背景を踏まえながら、現代という時代の潮流を批判する。
談論風発とはいえ、われわれがよくやる“床屋談義”の類ではない。長時間にわたって語りあう、その相手をお互いに見出したということである。それが、本書を極めてポジティヴかつフレキシブルなものにしている。海音寺さんによるまえがき、司馬さんによるあとがきは、とても美しいすばらしい文章になっている(*^-^)
なお、わたし的には「言語感覚の特異性」という最後の一章が一番おもしろかった。特異性とは日本人の特異性である。新しいことばに飛びつき、時代時代で名称が変わっていく。
それは海外からやってくる新思想、新文学を無批判に受け容れてしまう現象とパラレルな関係にある。
ことばを変える、ことばを封じる。看板を付け替えただけで・・・そのことによって現実が変わる、変わったつもりになっている。
放送禁止用語だとか、差別用語狩りによって、差別構造の本質が見えにくくなってしまい、かえって偽善がはびこる温床が用意される。
日本は偽善大国ではないかと、わたしはこの一章を読みながらあらためて考えこまざるをえなかった。
評価:☆☆☆☆
司馬さんは講演はお嫌いだったようだが、対談の名手、愉しくあっというまに読みおえた。
文春文庫からは司馬さんの対談選集全6巻が出ているし、中央文庫にも対談集がある。単なる長広舌には堕さない「おしゃべり」は司馬さんの得意技であった(^^♪ 歴史・時代小説の余滴を、こういう形で味わえるのは、文学と歴史の交差点に立つファンの一人として、見逃すことはできない。
《この対談筆記は、朝の十時から夜の八時まで、途中一回の食事、一回の茶の時間があっただけで、お互い飛雲に駕し、風に御し、碧落を翔るような気持で、語りに語り合い、話に話し合いつづけたことが速記されたものです。》(本書まえがき・海音寺潮五郎)
その場の勢いが彷彿と蘇ってくるおもしろさがある。日本の歴史とかかわり、考え、書いてまた考える。そういう名人お二人の談笑する光景が、歴史好きにはたまらない魅力♪
そもそも、司馬遼太郎という人物を見出したのが、海音寺潮五郎なのである。司馬さんのあとがきによると、第一作を刊行したときから、毛筆で手紙を書いて「もの書き」としての司馬さんをはげましつづけた。親子ほどの年齢差があるこの二人のあいだには、師匠と弟子といってもいい風が吹き抜けている。
談論風発ということばがある。まさにこういう対談こそ、それであろう。
「日本歴史」とはいっても、核心は明治維新と、日本の近代化をめぐる話題。
・封建の土壌
・イデオロギーと術
・天皇制とはなにか
・産業革命と危機意識
・西郷と大久保
・日本人の意識の底
・幕末のエネルギー
・言語感覚の特異性
本書のINDEXをたどっていけば、こういうテーマが浮かび上がってくる。
すでにいい古された話題もそこここで眼につくが、本書の刊行は、昭和44年、西暦でいえば、1969年となる。このころわたしはまだ、群馬という田舎の高校生であった。
本書では学生運動に対する批判的な会話が折々登場する。この年がどんな年であったか、Webで検索すれば、そのあらましを掴むことができる。
70年安保は1970年6月自動延長、三島由紀夫事件は1970年11月、浅間山荘事件は1972年2月、南ベトナムの崩壊が1975年。学生、知識人のあいだで左翼系の人たちが勢いを持っていた、きな臭い時代であった。
お二人は、この政治的季節を、維新の尊皇攘夷の擾乱と比較し、アナロジカルなとらえ方をしながら日本人とは何かを考え、ほぼ意見の一致を見ている。
60年と70年の学生闘争は、反政府運動、反米闘争として、かつてない規模の政治運動であったが、浅間山荘事件をきっかけに、徐々に収束へと向かっていった。この事件はわたしが二十歳のとき、群馬が抵抗をつづけた “過激派”の最後の根拠地となったので、関心は高かった。
歴史を学ぶとは、過去に照らして現在を視ることである。ただ視るのはない、類推し、反省し、洞察する。そういう智慧である。そういう意味で、二人の知者が時代背景を踏まえながら、現代という時代の潮流を批判する。
談論風発とはいえ、われわれがよくやる“床屋談義”の類ではない。長時間にわたって語りあう、その相手をお互いに見出したということである。それが、本書を極めてポジティヴかつフレキシブルなものにしている。海音寺さんによるまえがき、司馬さんによるあとがきは、とても美しいすばらしい文章になっている(*^-^)
なお、わたし的には「言語感覚の特異性」という最後の一章が一番おもしろかった。特異性とは日本人の特異性である。新しいことばに飛びつき、時代時代で名称が変わっていく。
それは海外からやってくる新思想、新文学を無批判に受け容れてしまう現象とパラレルな関係にある。
ことばを変える、ことばを封じる。看板を付け替えただけで・・・そのことによって現実が変わる、変わったつもりになっている。
放送禁止用語だとか、差別用語狩りによって、差別構造の本質が見えにくくなってしまい、かえって偽善がはびこる温床が用意される。
日本は偽善大国ではないかと、わたしはこの一章を読みながらあらためて考えこまざるをえなかった。
評価:☆☆☆☆