最初はきっと量産されたのだろう。しかし、二十年、三十年、あるいはもっと長い歳月が経過するうちに、そのドアは「世界でたった一つのドア」になっていく。
街歩きをしていると、さまざまな表情をもった建物と出会う。
それら建物には、必ずドアがある。いや、まったくドアのない、シュールな建物だって、ないとはかぎらないが、まあ一種の“都市伝説”の類だろう。
1)いまでも人がよく出入りしている
2)ほんのときたま、それがドアであったことを思い出した人が出入りする
3)数年前まではよく人の出入りがあったが、いまではだれも出入りしていない
4)何十年もだれも出入りしていない
5)ドアのように見えるが、じつはドアではない
ドラえもんには「どこでもドア」というドアがあるし(笑)。
窓や塀もおもしろいけれど、わたしにいわせると、ドアのおもしろさには、一歩ゆずる。
世界でたった一つのドアとなるためには、中古商品がすべてそうであるように、経年変化が必要になる。そして、そのドアをめぐる背景や、周辺環境の差異が・・・。
切手蒐集をしている人が、あるいは昆虫採集をしている人が、いろいろなものを「集める」ように、世界でたった一つのドアをわたしは集める。
どこかのページにそれら収集品を一堂に会して展示したら、きっと、それなりの見応えがあるだろう。
普通のドア、まだカタログから抜け出してきたばかりのような、ピカピカのドアはおもしろくもなんともない。いまの時代、一枚ものの「手作り」の品には、まあ、まず出会うことはできないだろう。
過ぎてきた風雪の重みを語るドア。
色があせたり、塗りなおしされたり、歪んだり、キズがついたり、面材が一部は剥がれていたり、割れたガラスがいいかげんに修復されていたり・・・。
アルミサッシが普及するようになって、ドアのデザインから個性が失われてしまった。
だけど、よくさがせば、ここにピックアップしたようなドアに、街角で遭遇できる。
カメラを手にしたわたしのような物好きがやってきて、パチリと写真を撮っていく。それを待っていたかのような「世界でたった一つのドア」。