(マネキンのような女性。浅草雷門)
時間というのは、うかうかしていると、またたくまにすぎていく。
十年ひと昔というけれど、あっというまの出来事なのである。
最近、過去の写真をCDから目覚めてもらって見返しているせいか、そんな感慨を覚えずにはいられない(^^;)
トップのマネキンさんのような女性や、このワイングラスのカットも、ほぼ十年の彼方の一枚♪
TVから卒業して十年、サラリーマンをやめ、
不動産業をはじめて十二年、mixi&Blog歴十年。
タニア(右)と出会ったのも、そのころだった。
少しだけ金回りがよかったせいで、友人にそそのかされ、よくPパブへ通っていたのだ。
こういう時間の流れの中で、つねにそばにいたのは記憶装置=記録装置としてのカメラであった。
写真は「わたし自身のためのメモ」なのだ・・・ということが、いまとなってみるとよ~くわかる(~o~) ことばにもこだわりがあった。しかし、この世にはことばにはならないものだってある。
田村隆一に「帰途」という有名な詩がある。
《言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか》(「帰途」冒頭の一連)
この詩は、ある時期のわたしには、とてもショッキングな内容をふくんでいた。
《言葉なんかおぼえるんじゃなかった》というのは、この詩人特有の逆説、ダンディズムであったのだが・・・。
過去から現在へ、現在から過去へ。
手がかりさえあれば、時間の旅は、融通無碍(-_-)
そして昨日の<わたし>。
ソニーRX100でアプローチした一輪の薔薇ならぬ、ポピー。
露出を換えると、こんなに違った、ときに非現実的なたたずまいを見せる。
(いずれも内蔵ストロボを発光させている)
そして・・・そして。
麦秋がはじまったわが家の周辺。遠方に横たわっているのは榛名連山。
晴れてさえいれば、わが家から、いつだって、この山の景色が見える。
こういったものが、時空を旅する手がかりを与えてくれるのだ。
「暗室」と称している貯蔵庫には、二十年前、三十年前の画像が眠りについている。
億劫がってなかなか作業をはじめないが、ネガやポジをスキャンし、眼を覚まさせればいいだけのことである(^^♪
時間というのは、うかうかしていると、またたくまにすぎていく。
十年ひと昔というけれど、あっというまの出来事なのである。
最近、過去の写真をCDから目覚めてもらって見返しているせいか、そんな感慨を覚えずにはいられない(^^;)
トップのマネキンさんのような女性や、このワイングラスのカットも、ほぼ十年の彼方の一枚♪
TVから卒業して十年、サラリーマンをやめ、
不動産業をはじめて十二年、mixi&Blog歴十年。
タニア(右)と出会ったのも、そのころだった。
少しだけ金回りがよかったせいで、友人にそそのかされ、よくPパブへ通っていたのだ。
こういう時間の流れの中で、つねにそばにいたのは記憶装置=記録装置としてのカメラであった。
写真は「わたし自身のためのメモ」なのだ・・・ということが、いまとなってみるとよ~くわかる(~o~) ことばにもこだわりがあった。しかし、この世にはことばにはならないものだってある。
田村隆一に「帰途」という有名な詩がある。
《言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか》(「帰途」冒頭の一連)
この詩は、ある時期のわたしには、とてもショッキングな内容をふくんでいた。
《言葉なんかおぼえるんじゃなかった》というのは、この詩人特有の逆説、ダンディズムであったのだが・・・。
過去から現在へ、現在から過去へ。
手がかりさえあれば、時間の旅は、融通無碍(-_-)
そして昨日の<わたし>。
ソニーRX100でアプローチした一輪の薔薇ならぬ、ポピー。
露出を換えると、こんなに違った、ときに非現実的なたたずまいを見せる。
(いずれも内蔵ストロボを発光させている)
そして・・・そして。
麦秋がはじまったわが家の周辺。遠方に横たわっているのは榛名連山。
晴れてさえいれば、わが家から、いつだって、この山の景色が見える。
こういったものが、時空を旅する手がかりを与えてくれるのだ。
「暗室」と称している貯蔵庫には、二十年前、三十年前の画像が眠りについている。
億劫がってなかなか作業をはじめないが、ネガやポジをスキャンし、眼を覚まさせればいいだけのことである(^^♪