現役で活動をつづけている日本のフォトグラファーの中から、強いて3人を挙げるとしたらだれだろう。
いまのわたしなら、何のためらいもなく・・・とはいえないけれど、森山大道、荒木経惟、藤原新也になるだろう。ほかに、もう少し若手では武田花さんや、川内倫子さん、瀬戸正人さん、大西みつぐさん、豊原康久さんあたりがいい仕事をしているが、写真集は残念ながら一冊ももっていない。
というのも、21世紀に入ってからは、最初の数年をのぞいて、写真への関心がうすれていたのだ。2004年ころからは、チョウをはじめとする昆虫写真にはまり、現代写真とはますます遠ざかってしまった。
ところが、今年10月、LUMIXのLX5を手にいれたことから、写真への関心が徐々にもどってきた。そんななかで、久々に買ったのが、この「昼の学校 夜の学校」であった。
4回にわたる講演記録が元になっているというが、質疑応答が大部分をしめる。本屋で立ち読みをしているうちに惹きこまれて、じっくりと読みたくなり、買ってきた。一昨日、読みおえたので、ちょっと感想を書くことに・・・。
この数年海外でもたいへん評価が高いらしい森山さん。
このフォトグラファーが生み出す映像は、いまでも衝撃力をもって、見るものを圧倒する。
こま切れの断片と化した現実は、意味と無意味が錯綜し、猥雑で、暴力とエロスに満ちている。視覚を挑発してやまないところに、森山さんの真骨頂があったし、いまもそれは変わらない。
すでに70歳をこえている(1938年生まれ)のに、毎年写真集を刊行しつづけているこの執念とエネルギーはどこからくるのだろう。
写真に「憑かれた男」。
本書を読むと、その執念、あるいは妄執の一端が垣間見える。
この人が、写真を本来の意味でアート(誤解されやすい表現だが)に変質させたのだ。
オリジナル・プリントは、かなりの高値で取引されているのではないか?
わたしは、80年代90年代のものなら、「毎日カメラ」「アサヒカメラ」によって、雑誌発表時にあらかた見ている。バックナンバーを買いあさった記憶もあるし、飯沢さんなんかがやっていた季刊写真誌「デジャ=ヴュ(deja-vu)」の特集号ももっている。
あれから、すでに20年以上が経過しているにもかかわらず、森山さんは、現役でありつづけている。量が質を規定すると断言する写真家だから、撮影のためストリートに出れば、ものすごい勢いでシャッターを切っていく。ノーファインダーが多いから、地平線は傾き、ブレたり、ボケたりする。しかもあの、特異な暗室作業。
彼の写真は、半分は路上で、半分は暗室で生み出されてくるのだ。そのことが、だれにもまねのできない、DAIDOワールドを形成する。99%がモノクローム。トライXの粒子の荒れ。わたしは大型写真集「光と影」を買ってもっているけれど、あれなどは、プリントの上に、粉のように細かい黒い砂が降り積もっているように見える。
見ることによって、浮かび上がってくるもの。見ることを拒絶することによって、なおも垣間見えてしまうもの。森山さんはアグレッシヴで、つねにアクチュアルなのだ。腹をすかせた、異国の野良犬のように、ストリートを疾駆していく。
わたしはその撮影ぶりを、NHKのETV特集で見たことがあった。
ときには外界を切り裂くかのように、彼のまなざしは鋭利だ。愛と憎の振幅は大きく、コントラストはくっきりしている。ほかのだれも、DAIDOのようには、写真が撮れない。
若い写真学生の質問に、森山さんは、じつに誠実に答えようとしている。むろん、いい尽くすことなんてできやしないし、できるはずがない。
いまのこの日本に、森山さんはじめ、荒木さん、藤原さんがいて、写真を撮りつづけている。久しぶりにそんなことを思い出して、胸の奥が、じーんと痺れてきた。よし、もう一冊、買ってつきあってみよう。めくるめくような「DAIDO MORIYAMA」への、ささやかな旅のはじまり。
評価:★★★★☆(4.5)
※画像はいただきものです。
いまのわたしなら、何のためらいもなく・・・とはいえないけれど、森山大道、荒木経惟、藤原新也になるだろう。ほかに、もう少し若手では武田花さんや、川内倫子さん、瀬戸正人さん、大西みつぐさん、豊原康久さんあたりがいい仕事をしているが、写真集は残念ながら一冊ももっていない。
というのも、21世紀に入ってからは、最初の数年をのぞいて、写真への関心がうすれていたのだ。2004年ころからは、チョウをはじめとする昆虫写真にはまり、現代写真とはますます遠ざかってしまった。
ところが、今年10月、LUMIXのLX5を手にいれたことから、写真への関心が徐々にもどってきた。そんななかで、久々に買ったのが、この「昼の学校 夜の学校」であった。
4回にわたる講演記録が元になっているというが、質疑応答が大部分をしめる。本屋で立ち読みをしているうちに惹きこまれて、じっくりと読みたくなり、買ってきた。一昨日、読みおえたので、ちょっと感想を書くことに・・・。
この数年海外でもたいへん評価が高いらしい森山さん。
このフォトグラファーが生み出す映像は、いまでも衝撃力をもって、見るものを圧倒する。
こま切れの断片と化した現実は、意味と無意味が錯綜し、猥雑で、暴力とエロスに満ちている。視覚を挑発してやまないところに、森山さんの真骨頂があったし、いまもそれは変わらない。
すでに70歳をこえている(1938年生まれ)のに、毎年写真集を刊行しつづけているこの執念とエネルギーはどこからくるのだろう。
写真に「憑かれた男」。
本書を読むと、その執念、あるいは妄執の一端が垣間見える。
この人が、写真を本来の意味でアート(誤解されやすい表現だが)に変質させたのだ。
オリジナル・プリントは、かなりの高値で取引されているのではないか?
わたしは、80年代90年代のものなら、「毎日カメラ」「アサヒカメラ」によって、雑誌発表時にあらかた見ている。バックナンバーを買いあさった記憶もあるし、飯沢さんなんかがやっていた季刊写真誌「デジャ=ヴュ(deja-vu)」の特集号ももっている。
あれから、すでに20年以上が経過しているにもかかわらず、森山さんは、現役でありつづけている。量が質を規定すると断言する写真家だから、撮影のためストリートに出れば、ものすごい勢いでシャッターを切っていく。ノーファインダーが多いから、地平線は傾き、ブレたり、ボケたりする。しかもあの、特異な暗室作業。
彼の写真は、半分は路上で、半分は暗室で生み出されてくるのだ。そのことが、だれにもまねのできない、DAIDOワールドを形成する。99%がモノクローム。トライXの粒子の荒れ。わたしは大型写真集「光と影」を買ってもっているけれど、あれなどは、プリントの上に、粉のように細かい黒い砂が降り積もっているように見える。
見ることによって、浮かび上がってくるもの。見ることを拒絶することによって、なおも垣間見えてしまうもの。森山さんはアグレッシヴで、つねにアクチュアルなのだ。腹をすかせた、異国の野良犬のように、ストリートを疾駆していく。
わたしはその撮影ぶりを、NHKのETV特集で見たことがあった。
ときには外界を切り裂くかのように、彼のまなざしは鋭利だ。愛と憎の振幅は大きく、コントラストはくっきりしている。ほかのだれも、DAIDOのようには、写真が撮れない。
若い写真学生の質問に、森山さんは、じつに誠実に答えようとしている。むろん、いい尽くすことなんてできやしないし、できるはずがない。
いまのこの日本に、森山さんはじめ、荒木さん、藤原さんがいて、写真を撮りつづけている。久しぶりにそんなことを思い出して、胸の奥が、じーんと痺れてきた。よし、もう一冊、買ってつきあってみよう。めくるめくような「DAIDO MORIYAMA」への、ささやかな旅のはじまり。
評価:★★★★☆(4.5)
※画像はいただきものです。