こちらら北関東でも春はさかりを迎えようとしている。
通勤の行き帰りはむろん、仕事で出かけたさきで、
いろいろな花々が眼を楽しませてくれる。
沈丁花の不意打ち、あの香りの不意打ちもうれしいものだ。
木に咲く花のなかでは、わたしは白木蓮がいちばん好きである。
白木蓮はなかなか高木になっているものが多い。
かすかにクリーム色を帯びているようだが、光線のかげんでは純白に見える。
しかも、花弁が他の花に比べてひときわ大きい。
仕事柄、クルマであちこちと出歩く。
白木蓮を意識したのはいつからだろう?
いまの会社から4kmほど離れた田口町に、その高木はあった。
S蚕糸という、高台にある大きなお屋敷。R17を走っていると、その白木蓮が眼についた。
中判の銀塩カメラをメインに使っていたころの話。
カメラをクルマに積んで、脇道へそれ、その白木蓮をめざした。
下へいってみると、やっぱり大きい。それまで見たなかでは、いちばんであった。
寺院の門のようにりっぱな門があって、その右に、その木は聳えていたのであった。
樹勢もさかんで、花がびっしりついている。
風がふくと、白い花は、シベリアンハスキーの腹のように、ざわざわと翻るのだった。
門の棟瓦とほぼ同じ高さがあった。背景は深い陰をたたえていたから、
白木蓮の白がひときわ映えた。
地の底からふきあがる白い炎。
ロマンチックで陳腐な表現だが、
ゴッホのような画家がいたとして、
彼がこの木の花を描いたらどうだろう、と想像する。
今年もそこへいってみたが、あの門が見あたらない。
場所をまちがえたかと思って、周辺をうろうろしたが、やっぱりない。
すっかりあたりの様子が変わってしまったのだ。
しかし、白木蓮の木はあった。
「これが、あの場所に違いない。しかし・・・」
白木蓮の木はやせ細っていて、花もまばらだった。
たしか、そこには2、3本の白木蓮があったのだが、1本だけ残って、
ほかの木は枯れてしまったのであろう。
屋敷はひろく、奥のほうに、昭和初期に建てられたと思われる200坪ほどの母屋が見えた。
養蚕が下火になってから、もう数十年がたってしまった。
それとともに、樹勢も衰えたのであろうか。
う~ん、わたしはやや気落ちした。
逢いたかった木に、逢えなかったのであった。
白木蓮の木。
あるいは朴の木。
木に咲く大きな白い花の代表格だろう。
白木蓮は辛夷の花と同じで、葉が出るまえに、花が咲く。
今日はやむをえず、出かけたついでに、小さな遊園地で見かけた白木蓮を撮影してみた。
つねならぬ白さと、花の数。
花ことばを調べたら、白木蓮は「慈悲心」「自然への愛」といった記事がヒットした。
この花を見上げているとき、ある独特な感情に襲われる。
白木蓮がささやきかけてくる、耳には聞こえないことば・・・。
「あきらめるな。希望を失うな。きみにはまだやるべきことがあるぞ」
むりやりこじつければ、こんな思いに似ている。
通勤の行き帰りはむろん、仕事で出かけたさきで、
いろいろな花々が眼を楽しませてくれる。
沈丁花の不意打ち、あの香りの不意打ちもうれしいものだ。
木に咲く花のなかでは、わたしは白木蓮がいちばん好きである。
白木蓮はなかなか高木になっているものが多い。
かすかにクリーム色を帯びているようだが、光線のかげんでは純白に見える。
しかも、花弁が他の花に比べてひときわ大きい。
仕事柄、クルマであちこちと出歩く。
白木蓮を意識したのはいつからだろう?
いまの会社から4kmほど離れた田口町に、その高木はあった。
S蚕糸という、高台にある大きなお屋敷。R17を走っていると、その白木蓮が眼についた。
中判の銀塩カメラをメインに使っていたころの話。
カメラをクルマに積んで、脇道へそれ、その白木蓮をめざした。
下へいってみると、やっぱり大きい。それまで見たなかでは、いちばんであった。
寺院の門のようにりっぱな門があって、その右に、その木は聳えていたのであった。
樹勢もさかんで、花がびっしりついている。
風がふくと、白い花は、シベリアンハスキーの腹のように、ざわざわと翻るのだった。
門の棟瓦とほぼ同じ高さがあった。背景は深い陰をたたえていたから、
白木蓮の白がひときわ映えた。
地の底からふきあがる白い炎。
ロマンチックで陳腐な表現だが、
ゴッホのような画家がいたとして、
彼がこの木の花を描いたらどうだろう、と想像する。
今年もそこへいってみたが、あの門が見あたらない。
場所をまちがえたかと思って、周辺をうろうろしたが、やっぱりない。
すっかりあたりの様子が変わってしまったのだ。
しかし、白木蓮の木はあった。
「これが、あの場所に違いない。しかし・・・」
白木蓮の木はやせ細っていて、花もまばらだった。
たしか、そこには2、3本の白木蓮があったのだが、1本だけ残って、
ほかの木は枯れてしまったのであろう。
屋敷はひろく、奥のほうに、昭和初期に建てられたと思われる200坪ほどの母屋が見えた。
養蚕が下火になってから、もう数十年がたってしまった。
それとともに、樹勢も衰えたのであろうか。
う~ん、わたしはやや気落ちした。
逢いたかった木に、逢えなかったのであった。
白木蓮の木。
あるいは朴の木。
木に咲く大きな白い花の代表格だろう。
白木蓮は辛夷の花と同じで、葉が出るまえに、花が咲く。
今日はやむをえず、出かけたついでに、小さな遊園地で見かけた白木蓮を撮影してみた。
つねならぬ白さと、花の数。
花ことばを調べたら、白木蓮は「慈悲心」「自然への愛」といった記事がヒットした。
この花を見上げているとき、ある独特な感情に襲われる。
白木蓮がささやきかけてくる、耳には聞こえないことば・・・。
「あきらめるな。希望を失うな。きみにはまだやるべきことがあるぞ」
むりやりこじつければ、こんな思いに似ている。