二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

白木蓮に逢いにいく

2008年03月28日 | Blog & Photo
こちらら北関東でも春はさかりを迎えようとしている。
通勤の行き帰りはむろん、仕事で出かけたさきで、
いろいろな花々が眼を楽しませてくれる。
沈丁花の不意打ち、あの香りの不意打ちもうれしいものだ。

木に咲く花のなかでは、わたしは白木蓮がいちばん好きである。
白木蓮はなかなか高木になっているものが多い。
かすかにクリーム色を帯びているようだが、光線のかげんでは純白に見える。
しかも、花弁が他の花に比べてひときわ大きい。

仕事柄、クルマであちこちと出歩く。
白木蓮を意識したのはいつからだろう?
いまの会社から4kmほど離れた田口町に、その高木はあった。
S蚕糸という、高台にある大きなお屋敷。R17を走っていると、その白木蓮が眼についた。
中判の銀塩カメラをメインに使っていたころの話。

カメラをクルマに積んで、脇道へそれ、その白木蓮をめざした。
下へいってみると、やっぱり大きい。それまで見たなかでは、いちばんであった。
寺院の門のようにりっぱな門があって、その右に、その木は聳えていたのであった。
樹勢もさかんで、花がびっしりついている。
風がふくと、白い花は、シベリアンハスキーの腹のように、ざわざわと翻るのだった。
門の棟瓦とほぼ同じ高さがあった。背景は深い陰をたたえていたから、
白木蓮の白がひときわ映えた。

地の底からふきあがる白い炎。
ロマンチックで陳腐な表現だが、
ゴッホのような画家がいたとして、
彼がこの木の花を描いたらどうだろう、と想像する。

今年もそこへいってみたが、あの門が見あたらない。
場所をまちがえたかと思って、周辺をうろうろしたが、やっぱりない。
すっかりあたりの様子が変わってしまったのだ。
しかし、白木蓮の木はあった。
「これが、あの場所に違いない。しかし・・・」
白木蓮の木はやせ細っていて、花もまばらだった。
たしか、そこには2、3本の白木蓮があったのだが、1本だけ残って、
ほかの木は枯れてしまったのであろう。
屋敷はひろく、奥のほうに、昭和初期に建てられたと思われる200坪ほどの母屋が見えた。
養蚕が下火になってから、もう数十年がたってしまった。
それとともに、樹勢も衰えたのであろうか。

う~ん、わたしはやや気落ちした。
逢いたかった木に、逢えなかったのであった。

白木蓮の木。
あるいは朴の木。
木に咲く大きな白い花の代表格だろう。
白木蓮は辛夷の花と同じで、葉が出るまえに、花が咲く。
今日はやむをえず、出かけたついでに、小さな遊園地で見かけた白木蓮を撮影してみた。
つねならぬ白さと、花の数。
花ことばを調べたら、白木蓮は「慈悲心」「自然への愛」といった記事がヒットした。
この花を見上げているとき、ある独特な感情に襲われる。

白木蓮がささやきかけてくる、耳には聞こえないことば・・・。
「あきらめるな。希望を失うな。きみにはまだやるべきことがあるぞ」
むりやりこじつければ、こんな思いに似ている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 脳と仮想 | トップ | 春はいま »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Blog & Photo」カテゴリの最新記事