二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

脳と仮想

2008年03月27日 | エッセイ(国内)
気鋭の脳科学者、茂木健一郎さんは、
NHKの番組「プロフェッショナル~仕事の流儀」の司会者として知っているだけであった。
本屋の一角に彼のミニ・コーナーができていて、ぱらぱら立ち読みをしたのは、つい最近。彼が夏目漱石を愛読しているのを知り、「三四郎」の書評(紀伊国屋 書評空間 http://booklog.kinokuniya.co.jp/mogi/)を読んで、関心が深まった。

「脳と仮想」は「The Brain and Imagination」となる。はじめは「仮想」はまったくあたらしい概念だと思ったので、とっつきにくかったのだ。

本書はつぎの各章から成り立っている。

序章 サンタクロースは存在するか
1. 小林秀雄と心脳問題
2. 仮想の切実さ
3. 生きること、仮想すること
4. 安全基地としての現実
5. 新たな仮想の世界を探求すること
6. 他者という仮想
7. 思い出せない記憶
8. 仮想の系譜
9. 魂の問題

しかし、読みはじめてみると「な~んだ。どこかで聞いたようなことばばかりだな」といった感想がわいた。最新の「脳科学」の成果を踏まえているとはいえ、イメージを「仮想」といいかえ、角度を変えて論じているだけではないか、と。クオリア(数量化できない微妙な質感)という概念が頻出し、トランプのジョーカーのように使われている。「へえ、こんな単純な概念で、この世界を認識し、把握できるのか。・・・としても、それがどうした?」
「脳と仮想」はいい換えれば、物質と精神となる。
なんとギリシアの昔から、古代人を悩ませてきた問題である。

そんな疑いをいだくのは、きっとわたしひとりではあるまい。

ところが・・・、である。第7章「思い出せない記憶」のあたりまできて、「これは名著かもしれない」との確信を持つにいたった。解剖学者三木成夫の講演を学生時代に聴いたことがあったか、なかったかをめぐって、著者が独自の思索を深めていくのが、わかりやすい平易なことばで、淡々と記述されていくありさまは、知的興奮に満ちている。
茂木さんは書いている。

<(私は)物質である脳がいかに意識を生み出すのか、その不思議を解明することがライフワークだと思いつめている人間である。>
<私たちは、おそらく、一人残らず現実というものに傷つけられる運命にある。サンタクロースを夢見る女の子も、やがて、資本主義社会ではどんな商品にも値段がつくものだということを知るだろう。「ただの昼食」などないとということを知るだろう。人からサービスを受けるためには、自ら働いてお金を稼がなくてはならないということを知るだろう>

引用したいセンテンスは数多いが、やめておこう。
お里が知れるような和製英語だの、予備知識(これがくせもの!)が必要な専門用語はほとんど使われていない。ナイーヴで鮮度を失うことない少年の魂の鼓動。
わたしは本書から、それを感じとることができる。
夏目漱石、小林秀雄、柳田國男、ワーグナー、デカルト・・・、茂木健一郎ワールドは、
決して奇矯なものではない。さして予備知識のない高校生が読んでも、わかるように書く。

専門用語は、必ず、いい換えている。

養老猛司さんはいまわたしがもっとも注目している「論客」だが、その養老さんも、やっぱりそのあたりの配慮がすごい。彼らが語る「魂の物語」に、わたしは、いましばらく、聞き入っていたい、と思う。

学問に限らず、どんなジャンルにおいても、近道などありはしない。
膨大な過去の蓄積のうえに、われわれの身体と頭脳がのっているからである。
頭脳がかく汗、・・・それがたとえば、真珠のような繊細で美しい光沢を放つことがある。本書からは、わたしは、そういったディテールをいくつも拾い出すことができる。



「脳と仮想」茂木健一郎 新潮文庫>☆☆☆☆★

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