ふとした気まぐれで夏目漱石の作品をいくつか読み返したので、
その感想を書いておこう。
読んだのは「文鳥・夢十夜」「坊ちゃん」「硝子戸の中」の三冊。どれも、二十代のころに読んだものばかり。
したがって、ディテールはほとんど忘れてしまっているので、フレッシュな印象を持った。
若い世代を中心に活字ばなれがすすんでいるというが、
近代の作家では、漱石、芥川、太宰などはよく読まれている。BOOK OFFのようなリサイクルショップ(神田などにある古本屋というイメージではない)へいくと、漱石は「坊っちゃん」「こころ」がじつにたくさんならんでいる。
教材でとりあげられるせいかもしれないが、このふたつが、押しも押されもせぬロングセラーであることには、だれしも異論はあるまい。
「坊っちゃん」は、べらんめえ調とでもいうのか、いくらか落語ふうの話ことばで書かれていて、文体もさして時代を感じさせないところがすごいな~。
いまさら漱石なんて・・・。「知ってるぜ、あの坊っちゃんだろ?」という反応が返ってくるにちがいない。
漱石について書かれた本も、それこそ大型トラックに何台という数になるであろう。
漱石研究で食べている研究者や批評家は、これまでも大勢いたし、これからも、そういった傾向がつづくであろう。
たしかに、それだけの存在なのである。ほぼ同時代の大家、幸田露伴、尾崎紅葉といった作家が、専門の研究者でもないかぎりいまではほとんど読まれず、大衆に無縁になってしまったのとは好対照。
だが、わたしは近代の巨匠として漱石を仰ぎ見たことは一度もない。
「坊っちゃん」「こころ」に比べると、「硝子戸の中(うち)」を最後まできちんと読んだ人はぐっと減るのではないか。
これは、「こころ」を完成した漱石が、当時の「朝日新聞」に連載したエッセイ集。最晩年に近い漱石の心境や幼年時代の回想が、主な内容となっている。文豪漱石というより、江戸っ子夏目金之助の素顔がのぞき見え、なかなかスリリングな体験ができる。
漱石は49歳で胃潰瘍によって死去しているが、文学アルバムで、死の床に横たわる漱石の写真や、デスマスクをご覧になったことがあるだろうか? 「このおじいちゃんが49歳とは・・・」現代のわれわれには、まるで70代後半の男の顔としか見えないのである。そのことに、あらためて鈍い衝撃をうけた。
漱石はこの書で、自分を語ろうとしている。
このエッセイをひとまず終わるにあたり、アウグスチヌスの「懺悔録」やルソーの「告白」を引き合いに出して、つぎのように書く。
「私の罪は、---もしそれが罪と云い得るならば、---頗る明るい処からばかり写されていただろう。其処に或人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今その不快の上に跨って、一般の人類を広く見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、矢張り微笑しているのである。」
ここに、すぎてきた己自身を突き放して見ている晩年の漱石がいる。このあと、「道草」を書き、「明暗」を書いている途中で49歳の死をむかえることになる漱石をわれわれは知っているが、自分に残された時間が少なくなっていることを、彼自身、漠然と感じていたにちがいない。
<薄明かりの書斎に、原稿をひろげたひとりの男が孤座している。
その唇ににじむ、微笑の意味・・・。>
解説の石原千秋さんは、「孤愁」ということばをあてて、一個の老いた精神に思いをめぐらしている。
いつのまにか明治という時代を背負うようにして、職業作家として悪戦苦闘しつづけ、志なかばで倒れたひとりの男。
肉親の愛情にまぐまれなかった不幸な幼年期。
「坊っちゃん」を読めば、「清」が漱石にとって、かぎりなく母に近い存在として描かれているのがよくわかる。
「猫」は死んでしまい、文鳥もヘクトー(愛犬)も死んでいく。若くしてこれもやはり志なかばで倒れた正岡子規もいる。
口辺に微笑をただよわせた漱石の脳裏に去来したものを想像してほしい。
「孤愁」といっては、あまりにかっこよすぎて、生活感が脱落してしまいはしないか。
あきらめ、絶望、虚脱感、虚無感、焦慮、達観・・・どんなことばを思いうかべても、座りが悪い。まして「則天去私」など。
「漱石の微笑」
わたしにはこのことばが、いちばんぴったりである。
モナリザの微笑ならともかく、漱石の微笑などまっぴらごめん、というなかれ。
この微笑は、現代人に通用する微笑であると、わたしなどは信じているのである。
お読みになるなら、大野淳一さんの「注解」が非常に充実している新潮文庫がおすすめ。
夏目漱石「硝子戸の中」>☆☆☆☆
その感想を書いておこう。
読んだのは「文鳥・夢十夜」「坊ちゃん」「硝子戸の中」の三冊。どれも、二十代のころに読んだものばかり。
したがって、ディテールはほとんど忘れてしまっているので、フレッシュな印象を持った。
若い世代を中心に活字ばなれがすすんでいるというが、
近代の作家では、漱石、芥川、太宰などはよく読まれている。BOOK OFFのようなリサイクルショップ(神田などにある古本屋というイメージではない)へいくと、漱石は「坊っちゃん」「こころ」がじつにたくさんならんでいる。
教材でとりあげられるせいかもしれないが、このふたつが、押しも押されもせぬロングセラーであることには、だれしも異論はあるまい。
「坊っちゃん」は、べらんめえ調とでもいうのか、いくらか落語ふうの話ことばで書かれていて、文体もさして時代を感じさせないところがすごいな~。
いまさら漱石なんて・・・。「知ってるぜ、あの坊っちゃんだろ?」という反応が返ってくるにちがいない。
漱石について書かれた本も、それこそ大型トラックに何台という数になるであろう。
漱石研究で食べている研究者や批評家は、これまでも大勢いたし、これからも、そういった傾向がつづくであろう。
たしかに、それだけの存在なのである。ほぼ同時代の大家、幸田露伴、尾崎紅葉といった作家が、専門の研究者でもないかぎりいまではほとんど読まれず、大衆に無縁になってしまったのとは好対照。
だが、わたしは近代の巨匠として漱石を仰ぎ見たことは一度もない。
「坊っちゃん」「こころ」に比べると、「硝子戸の中(うち)」を最後まできちんと読んだ人はぐっと減るのではないか。
これは、「こころ」を完成した漱石が、当時の「朝日新聞」に連載したエッセイ集。最晩年に近い漱石の心境や幼年時代の回想が、主な内容となっている。文豪漱石というより、江戸っ子夏目金之助の素顔がのぞき見え、なかなかスリリングな体験ができる。
漱石は49歳で胃潰瘍によって死去しているが、文学アルバムで、死の床に横たわる漱石の写真や、デスマスクをご覧になったことがあるだろうか? 「このおじいちゃんが49歳とは・・・」現代のわれわれには、まるで70代後半の男の顔としか見えないのである。そのことに、あらためて鈍い衝撃をうけた。
漱石はこの書で、自分を語ろうとしている。
このエッセイをひとまず終わるにあたり、アウグスチヌスの「懺悔録」やルソーの「告白」を引き合いに出して、つぎのように書く。
「私の罪は、---もしそれが罪と云い得るならば、---頗る明るい処からばかり写されていただろう。其処に或人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今その不快の上に跨って、一般の人類を広く見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、矢張り微笑しているのである。」
ここに、すぎてきた己自身を突き放して見ている晩年の漱石がいる。このあと、「道草」を書き、「明暗」を書いている途中で49歳の死をむかえることになる漱石をわれわれは知っているが、自分に残された時間が少なくなっていることを、彼自身、漠然と感じていたにちがいない。
<薄明かりの書斎に、原稿をひろげたひとりの男が孤座している。
その唇ににじむ、微笑の意味・・・。>
解説の石原千秋さんは、「孤愁」ということばをあてて、一個の老いた精神に思いをめぐらしている。
いつのまにか明治という時代を背負うようにして、職業作家として悪戦苦闘しつづけ、志なかばで倒れたひとりの男。
肉親の愛情にまぐまれなかった不幸な幼年期。
「坊っちゃん」を読めば、「清」が漱石にとって、かぎりなく母に近い存在として描かれているのがよくわかる。
「猫」は死んでしまい、文鳥もヘクトー(愛犬)も死んでいく。若くしてこれもやはり志なかばで倒れた正岡子規もいる。
口辺に微笑をただよわせた漱石の脳裏に去来したものを想像してほしい。
「孤愁」といっては、あまりにかっこよすぎて、生活感が脱落してしまいはしないか。
あきらめ、絶望、虚脱感、虚無感、焦慮、達観・・・どんなことばを思いうかべても、座りが悪い。まして「則天去私」など。
「漱石の微笑」
わたしにはこのことばが、いちばんぴったりである。
モナリザの微笑ならともかく、漱石の微笑などまっぴらごめん、というなかれ。
この微笑は、現代人に通用する微笑であると、わたしなどは信じているのである。
お読みになるなら、大野淳一さんの「注解」が非常に充実している新潮文庫がおすすめ。
夏目漱石「硝子戸の中」>☆☆☆☆
こどもながらに背伸びして父の買ってきた「文藝春秋」の巻頭を読んだり、中高になると、図書館の雑誌に載っている有名作家のものをあさったり。
それらは、なるほど、人生の断面をさらっと描いていて、まだ世の中をよく知らないこどもには新鮮だったと思います。
しかし、「随筆」が「エッセイ」、「コラム」になったのは、いつ頃だろうか。
もちろん、随筆は昔通りにあったのでしょうが、世間的にはコラム、エッセイに比重が移ってきたような気がします。
私の記憶だと、植草甚一の文章スタイルは、「随筆」というものを、根底から変えたような気がする。それ以前と以降では、例えば、夏目漱石スタイルの「随筆」は、「昔の」モノになったのではないか。
「昔」は、良い悪いの問題ではなく、時代認識のことで、多分、漱石も、それ以前の文人たち(例えば幸田露伴など)の文に対して、「新時代」の意識を持っていたのではないでしょうか?
その漱石の持った「新しさ」が今どうなっているかを考えながら読むと、また一段と印象的ですね。
さっそくコメントありがとうございます。
随筆とエッセイのちがいですか?
う~ん、よくわかりません。
名作としかいいようのない「枕草子」「徒然草」からはじまって、
わが国では昔から随筆はこのまれていたようですね。
明治以降にがぎっても、
寺田寅彦とか、内田百がすぐに思い浮かびます。
あ、このふたり、どっちも漱石の弟子ですね。
樋口一葉、幸田露伴、森鴎外の初期のものなど、
いずれも文語文で、読みこなすのは容易じゃないです。
芥川あたりになると、ぐっと、現代に近づきますね。
「書きことば」「話ことば」というのは、
昔もいまも、ふたつの流れとしてせめぎあって、
日本語は刻々と変化をとげています。
植草甚一はほとんど知りませんが、
戦後作家では、大岡昇平を読んだとき、
フレッシュな理知的な文章だな~、と感じたのを覚えています。
残っていくもの、すたれていくもの。
時代の試練を100年耐えるというだけで、
すごいものがありますね。