■初夏の夜
また今年(こんねん)も夏が來て、
夜は、蒸氣で出來た白熊が、
沼をわたつてやつてくる。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
嬉しいことも、あつたのですが、
囘想されては、すべてがかなしい
鐵製の、軋音さながら
なべては夕暮迫るけはひに
幼年も、老年も、靑年も壯年も、
共々に餘りに可憐な聲をばあげて、
薄暮の中で舞ふ蛾の下で
はかなくも可憐な顎をしてゐるのです。
されば今夜(こんや)六月の良夜(あたらよ)なりとはいへ、
遠いい物音が、心地よく風に送られて來るとはいへ、
なにがなし悲しい思ひであるのは、
消えたばかしの鐵橋の響音、
大河(おほかは)の、その鐵橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。
こんな詩があったことを、わたしはすっかり、見落としていた。
詩集『在りし日の歌』の中で、
「雲雀」と「北の海」のあいだに置かれている。
《夜は、蒸氣で出來た白熊が、
沼をわたつてやつてくる。》
まず、この詩行に虚を衝かれた。
中原中也は真正の詩人である・・・とわたしはかんがえている。
ことばに彼の精神と肉体がこもっているから、簡単には読み過ごすことができない。
蒸氣で出來た白熊
って何だ!?
どこからやってきたイメージなのだ!?
このイメージはわたしを立ち止まらせ、かんがえ込ます。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
嬉しいことも、あつたのですが、
囘想されては、すべてがかなしい
鐵製の、軋音さながら
なべては夕暮迫るけはひに
幼年も、老年も、靑年も壯年も、
共々に餘りに可憐な聲をばあげて、
薄暮の中で舞ふ蛾の下で
はかなくも可憐な顎をしてゐるのです。
こうなってしまうと、中原的世界というほかない。
わずか30歳で死んだ中原に「老年が」などいえるわけがない。
70歳になるわたしが、そうかんがえる。
しかし、だからこそ衝撃をうけるのだ。
小林秀雄にとって、大岡昇平にとって中原は「嫌なやつ」であった。
詩人というのは、あまりおつきあいしたくない、嫌なやつである。
ボードレールも、ランボーも、嫌なやつであったことだろう。
なにがなし悲しい思ひであるのは、
消えたばかしの鐵橋の響音、
大河(おほかは)の、その鐵橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。
この詩は、そう結ばれている。
《空はぼんやりと石盤色であるのです》
石盤色とはどんな色だろう。
中原は断定し、説明しない。
説明なんてするものか・・・と彼は思っている。なぜなら、詩人だからである。わかるやつだけに、わかってもらえばたくさんだ、と思っていたはずである。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
というが、70になったわたしからいわせれば、そんなものタカが知れている。
しかし、しかし。
だからこそ悲しいに相違ない。
中原が「悲しい」といえば、ほんとうに悲しいのだ。
自分という運命の悲しさ、宿命の悲しさ、幼い子に死なれた悲しさ、30で死ななければならない悲しさ。
空はぼんやりと石盤色であるのです
ああ、そうか、そうか石盤色なのか!
その色がボンヤリ見えたとき、読者は中原の隣にすわることができる。
すわれない人は、すわれなくてかまわない。
自己憐憫のうたなのかも知れないが、中原の“自己憐憫”になら、つきあってやろう。
そう思えたとき、読者は中原のファンになっている。
この詩に触発され、わたしは久しぶりに作品を書きたくなった(ノω`*)
また今年(こんねん)も夏が來て、
夜は、蒸氣で出來た白熊が、
沼をわたつてやつてくる。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
嬉しいことも、あつたのですが、
囘想されては、すべてがかなしい
鐵製の、軋音さながら
なべては夕暮迫るけはひに
幼年も、老年も、靑年も壯年も、
共々に餘りに可憐な聲をばあげて、
薄暮の中で舞ふ蛾の下で
はかなくも可憐な顎をしてゐるのです。
されば今夜(こんや)六月の良夜(あたらよ)なりとはいへ、
遠いい物音が、心地よく風に送られて來るとはいへ、
なにがなし悲しい思ひであるのは、
消えたばかしの鐵橋の響音、
大河(おほかは)の、その鐵橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。
こんな詩があったことを、わたしはすっかり、見落としていた。
詩集『在りし日の歌』の中で、
「雲雀」と「北の海」のあいだに置かれている。
《夜は、蒸氣で出來た白熊が、
沼をわたつてやつてくる。》
まず、この詩行に虚を衝かれた。
中原中也は真正の詩人である・・・とわたしはかんがえている。
ことばに彼の精神と肉体がこもっているから、簡単には読み過ごすことができない。
蒸氣で出來た白熊
って何だ!?
どこからやってきたイメージなのだ!?
このイメージはわたしを立ち止まらせ、かんがえ込ます。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
嬉しいことも、あつたのですが、
囘想されては、すべてがかなしい
鐵製の、軋音さながら
なべては夕暮迫るけはひに
幼年も、老年も、靑年も壯年も、
共々に餘りに可憐な聲をばあげて、
薄暮の中で舞ふ蛾の下で
はかなくも可憐な顎をしてゐるのです。
こうなってしまうと、中原的世界というほかない。
わずか30歳で死んだ中原に「老年が」などいえるわけがない。
70歳になるわたしが、そうかんがえる。
しかし、だからこそ衝撃をうけるのだ。
小林秀雄にとって、大岡昇平にとって中原は「嫌なやつ」であった。
詩人というのは、あまりおつきあいしたくない、嫌なやつである。
ボードレールも、ランボーも、嫌なやつであったことだろう。
なにがなし悲しい思ひであるのは、
消えたばかしの鐵橋の響音、
大河(おほかは)の、その鐵橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。
この詩は、そう結ばれている。
《空はぼんやりと石盤色であるのです》
石盤色とはどんな色だろう。
中原は断定し、説明しない。
説明なんてするものか・・・と彼は思っている。なぜなら、詩人だからである。わかるやつだけに、わかってもらえばたくさんだ、と思っていたはずである。
――色々のことがあつたんです。
色々のことをして來たものです。
というが、70になったわたしからいわせれば、そんなものタカが知れている。
しかし、しかし。
だからこそ悲しいに相違ない。
中原が「悲しい」といえば、ほんとうに悲しいのだ。
自分という運命の悲しさ、宿命の悲しさ、幼い子に死なれた悲しさ、30で死ななければならない悲しさ。
空はぼんやりと石盤色であるのです
ああ、そうか、そうか石盤色なのか!
その色がボンヤリ見えたとき、読者は中原の隣にすわることができる。
すわれない人は、すわれなくてかまわない。
自己憐憫のうたなのかも知れないが、中原の“自己憐憫”になら、つきあってやろう。
そう思えたとき、読者は中原のファンになっている。
この詩に触発され、わたしは久しぶりに作品を書きたくなった(ノω`*)