二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

内田樹「街場のメディア論」光文社新書(2010年刊)レビュー

2018年09月30日 | エッセイ(国内)
  (本の表紙だけをスキャンするのではない。背景が大事(^^♪)


「私家版・ユダヤ文化論」 2006年
「下流志向」2007年
「日本辺境論」2009年

いまウィキペディアを参照したら、単著だけで2017年までに50冊の本をお出しになっている。
ところが、わたしがこれまで読んだのは、以上の3冊のみ。
「私家版・ユダヤ文化論」などは、友人にすすめられて手にしたにもかかわらず、論点についていけず、途中で投げ出した覚えがある(・_・?)
「旧約聖書」(キリスト教徒の呼び名だが)を少し“お勉強”しているから、現在ならそんなことはないだろう。読み返さなければなるまいと、近ごろ思いはじめた。

マイミク・ヤマヤマさんが、内田さんのファンで、20冊くらい読んでいるそうである。
先日お問い合わせをさせていただいたら、「街場の文体論」が最高です!
・・・とご推奨いただいたので、文春文庫を買って、スタンバイさせてある。Amazonのレビューにも、力作がUPされていて、あらましは見当をつけたから、近々読みはじめよう。



さて本日は「街場のメディア論」である。
結論をさきに述べると、わたし的には間違いなく五つ星評価。
本書は「街場の・・・」シリーズの4冊目になるそうである。このシリーズはほかにも手許にあるが、未読。

目次を掲げてみよう。

まえがき
第一講 キャリアは他人のためのもの
第二講 マスメディアの嘘と演技
第三講 メディアと「クレイマー」
第四講 「正義」の暴走
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
第六講 読者はどこにいるのか
第七講 贈与経済と読書
第八講 わけのわからない未来へ
あとがき

本稿は勤務しておられた女子大での授業がもとになっているため、講演記録のような読みやすさがある。そのかわり、十分な論証とか、緻密な論理的運びには乏しい。
「街場の」シリーズは、すべてそういう成り立ちの著作であるらしい。内田さんはその大学の教務課という辛気臭い実務に、長年たずさわってきたのだ。
内田さんご自身がいうように、だから読者は、学生を中心とした、比較的若い読者に宛てられた手紙のように読める。

「著者はだれに向かって書いているのか?」
これは非常に重要なモメントたりうる・・・と内田さんは書いている。
わたしが本書から学んだことはじつにたくさんあるが、この指摘もその一つ(*゚。゚) そうか、そっか!

《その能力が必要とされたときにはじめて潜在能力は発動する》(本書23ページ)

《例えば、インターネットは情報処理の利便性において、旧来のマスメディアをはるかに凌駕していますけれど、電力の安定供給という条件を不可欠としています。それはつまり社会的インフラが安定している社会でしか「使い物にならない」ということです》(本書39ページ)

《日本のマスメディアは一貫して「クレイマー」の増加に加担してきた》(本書66ページ)

《「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間がおもいついたもの》(本書77ページ)

《僕たちは「今読みたい本」を買うわけではありません。そうではなくて「いずれ読まねばならぬ本」を買うのです。それらの「いずれ読まねばならぬ本」を「読みたい」と実感し、「読める」だけのリテラシーを備えた、そんな「十分に知性的・情緒的に成熟を果たした自分」にいつかはなりたいという欲望が僕たちをある種の書物を書棚に配架する行動へ向かわせるのです》(本書156ページ9

これら断片的に引用したことばは、鍛えられたたしかな思考回路から紡ぎ出されたものであり、言論として卓越した説得力を備えている。教壇で講義している凡庸な「大学の教員」あたりとは、質的にまるでちがう。最終講義には学外からも大勢の聴講者が集まって教室にはいきれなかったというのは誇張でないことが想像できる。



なお内田さんは、TVはお嫌いだが、“ミドルメディア”を評価しているため、
ラジオ、Webとは積極的なかかわりをもっている。
ブログは一日平均1万5千件のアクセスがあるそうである。本書が刊行された2010年の時点でこれだけあったとはすごい! というしかない。
まあ、うがった見方をすれば、きむずかしい横町の旦那式話芸の冴えがすばらしいのである。

ご本人にはそういった意識はないだろう、しかし、そこはかとないユーモアが、つねにただよっている。それが小難しい議論を活性化させ、読者を最後まで引っ張っていく(。・_・)
話芸のうまさでは、養老孟司さんと、好一対だろう。
どんなところにそれを感じたのかといえば、紙媒体か、ペーパーレスかというところで、本棚の効用をめぐって愉快な論説をなしているあたり。わたしなど「うまい、座布団2枚!」とお声をかけたくなった。

内田樹さんは、現代の我が国の“論壇”において、じつに得難い貴重な批評家である。
マスメディアのあやまちを、このように大胆・率直に指摘し、抉り出してみせた人が、ほかに何人いるだろう? 本書によって、内田株はわたし的に急上昇を遂げた。
そうなのだ、現代とは「こういう時代」なのだと、わたしは何度となく、ハタと膝を叩かねばならなかった。

とはいえ、内田樹さんは、思想家なのか、哲学者なのか、社会学者なのか?
どうお呼びしても座りが悪いのはなぜだろう。
評論家、エッセイストではあまりに漠然とした呼称である。
50冊(現在はもっとふえているはず)も書き飛ばさないで、腰を据えて、代表作といえるような力作をまとめて欲しいという注文をつけたくなっているのは、わたしだけか?

だが、しかし・・・いやはや(笑)、また読みたい本、読まねばならない本がふえてしまった。
つぎは何にしようか? 本命の「街場の文体論」にとりかかろうか(。・_・)



評価:☆☆☆☆☆


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