二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

メリメ「カルメン」

2007年12月20日 | 小説(海外)
 岩波文庫から「読みやすくなった岩波文庫/創刊80周年記念」と帯がついた改版が刊行されたので、久しぶりに「カルメン」を読み返した。はじめて読んだのがいつだったか、はっきりした記憶はないが、これまで持っていた岩波文庫の奥付を見ると、1997年とある。それ以前にも、一度読んでいるはず。しかし、記憶がさだかではない。
 いちばんはじめにメリメを意識したのは、三島由紀夫の「文章読本」であったのははっきり覚えている。「トレドの真珠」を絶賛していたので、杉捷夫訳「エトルリアの壺」(岩波文庫)を買って読んだのは、1980年代終わりごろではなかったか?
 
 ちまたでは「カルメン」といえば、映画か、ビゼー作曲のオペラのほうが有名かもしれない。去年、ふとした気まぐれでまたメリメが読みたくなって、堀口大学訳「カルメン」を買って読んだ。そして今年。
 苦みの効いた、峻烈な恋物語である。カルメンは男を翻弄し、破滅の淵に立たせる「悪女」の代名詞ともなっている。

<異常な性格と異常な事件を好んで取りあげるこの作者の好み、点描画風の簡潔なタッチ、情景と人物を明快に描き出す文章の妙味、歴史と考古学に裏づけされたこの作者独特の濃厚で正確な地方色の表現、極度にロマネスクな切迫した事件を描きながら、始終古典的な冷静を守りつづけ、傍観者としての態度を崩さない潔癖さなど、メリメ文学の特徴はことごとくこの一編に集められている。>(堀口大学)

 「文字が大きくなって読みやすい」(笑)新潮文庫を持っているのだが、どういうわけか、杉捷夫訳に惹かれ、買いなおしたのである。フランス語は読めないので、感覚だけでいうのだが、名訳といっていいであろう。半透明で人の手を寄せ付けない白磁のような肌ざわり。冷ややかな気品と、かすかな香木の香りのようなものを感じるからだ。ディテールもすばらしく、緊張感がずっと持続していて気が抜けない。
 ストーリーはいわゆる「額縁」に入っているのだが、この額縁の仕上げもお見事の一語につきる。いやはや、堪能しましたね~。
 
 「タマンゴ」や「マテオ・ファルコーネ」もいいが、わたしにとってはこの「カルメン」の地位はゆるがない。マラガ、コルドヴァ、グラナダといったスペイン南部の地方色が活きいきとよみがえってくる。風景描写といい、登場人物の行動描写といい、絶品の一語! 案内人とともに、いつしか迷いこんでしまった沼のある谷あいで、本編の語り手であるホセとめぐりあうシーン、あるいは、夕靄のなかで、何百という女工たちが川で水浴するシーン、・・・何度読んでもため息の出る名シーンである。読め、そして酔え・・・!?


 かつてはメリメ全集が刊行されるくらいの人気を誇っていたらしいから、芥川龍之介や三島由紀夫は、おそらくメリメに多くのものを負っていると思われる。カスタニェット、太鼓、笑いと喝采。自分の欲望のまま男を誘惑し、破滅に追い込む魔性の女、カルメン。しかし、ほんとうの主役はカルメンではないと、こんどの読書ではっきり気がついた。

 主役はバスク出身の元伍長、ホセ・ナヴァロである。カルメンはこの男の欲望と悲哀の鏡が映しだす、麻薬のごとき毒草。待っているのは破滅のみだが、ファム・ファタル(宿命の女)は、舞台の上の男をすばらしい演技者にし、「悪の輝き」で満たす。こういった娼婦型の美女は欧米の文学にはよく登場し、人気も高い。わたしがすぐに思い出すのはJ・M・ケインの「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」である。こちらはハードボイルドの傑作で、コーラという女がカルメン、つまり宿命の女にあたる。1845年にあらわれた「カルメン」に対し、こっちは1934年の刊行である。

 メリメ「カルメン」杉捷夫訳岩波文庫>☆☆☆☆☆

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