二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

レコードのモーツァルト(ポエムNO.62)

2011年10月09日 | 俳句・短歌・詩集


「明日はきっと いいお天気になるだろう。
いっしょに撮影にいこうぜ。
こあいだ買ったばかりのザスパ草津のユニフォームを着てね」
といっていた写真好きの友人が突然入院してしまい
ぼくは秋晴れのこちら側に 取り残された。
ひとたばの稲穂のように。
逢いたい女はいないし さてさて
今日はレコードでモーツァルトを聴いてすごそうか
・・・と思ったけれどやっぱりじっとしてはいられなかった。

あれをしてこれをする。
これをしてあれを。
浮き世の雑事に追われながら
そんなふうにしてぼくの残り時間は減っていく。
出かけていったときのぼくと もどったときのぼくが
まるで別人だとでもいうように
一日のささやかな夢が果てたあと
椅子に倒れ込むようにしながらでスイッチを押す。
CDはセットしたままでかけたのだ。

きこえてきたのはエミール・ギレリスが
カール・ベーム&ウィーン・フィルとやった変ロ長調の協奏曲だった。
あ 先月から聴きたかったのは やっぱりこれだったんだね。
・・・というふうにして
これまでも昔の女や死んだ友人を思い出しながら
一枚のCDにたどりついた経験があった。
ただし 入院した友人の見舞いにはまだ出かけていない。

妻にさき立たれ 子どもがいないからきっと淋しがっているだろう。
それとも優雅な個室で 入院生活をそれなりに愉しんでいるんだろうか?
ケータイは使用禁止であいにく声もきけない。
モーツァルトは最後になんでこんなコンチェルトを書いたんだろう。
演奏にまにあって これを実演で聴いたのかどうか気になる。
あとで調べておこう。
いや そんなことはどうでもいいのさ。

だって モーツァルトの耳にはたしかにきこえていて。
それは数百年後のわれわれをも魅了する。
ある日その「無垢な魂」を訪れた音楽。
彼はきこえた通りにあわただしく指を動かし 筆写しただけだろう。
ドラマチックで甘美な織物をつづれ織りにすることだってできたはずなのに。
その曲がぼくの耳から入って たちまち通過していく。
こんなシンプルな音楽と向き合ったら 演奏家は腕のふるいようがない。
これがモーツァルトの涙なのさなんて うまいことをいった人がいるけれど。

「明日はきっと いいお天気になるだろう」
この音楽を聴いたあと ぼくはいつだってそんな気分にひたされる。
いつだって ね。



※お断りするまでもなく、タイトルは吉田秀和さんの名著からいただいています。
また変ロ長調の協奏曲とは、ピアノ・コンチェルト27番のことです。モーツァルト最晩年の一曲で、完成は1791年1月5、モーツァルトはこの年12月5日に亡くなっています。


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