二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

1950年12月2日の“セリオーソ”

2012年09月16日 | Blog & Photo

このあいだ、BOOK OFFの散歩で手に入れたCDの中に、夭折したピアニストのCD2枚組がある。
《12月2日朝、医師による血の交換を辞退。退出する医者ディボア=フェリエルにEMIから送られてきたばかりのバッハのパルティータのレコードをプレゼントする。ベートーヴェンのヘ短調弦楽四重奏曲に聴き入る。その後、静かに息を引き取る》(諸石幸生さん作成の年譜より)
この日、33歳で亡くなったピアニストの名を、ディヌ・リパッティという。リパッティはこれまで、薄命の天才ピアニストとして名だけは知っていたが、わたしにとっては、未体験のピアニストだった。
この2枚組CDの収録曲は、以下の通り。

CD1)グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調
シューマン/ピアノ協奏曲イ短調
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調 
CD2)ショパン/ワルツ集(1~14番 順不同 LPからの復刻)
ショパン/ピアノ・ソナタ第3番ロ短調 他

いま調べてみたら、死因は白血病ではなく、悪性リンパ腫(ホジキン病)であったようである。
このCDに収録されたショパンのワルツは、あとでデータを調べたら、1950年9月16日におこなわれた、壮絶な「最後のコンサート」の演奏ではない。その貴重な録音はEMIから、別にリリースされ、その後CD盤が発売になっているので、いずれ手に入れて、ぜひ聴いてみたいと考えている。

わたしは諸石さんがお書きになったライナーノーツに付属した年譜のさきに引用したこの数行に、しばし釘付けになった。
リパッティが、この世で最後に聴いた音楽・・・聴きたいと願った音楽とはなにか?

ベートーヴェンのヘ短調弦楽四重奏曲をググってみたら、これはベートーヴェンみずから“セリオーソ”(真剣、厳粛)と名づけた11番のことだということが、さっきようやくわかった。これはベートーヴェンが1810年(40歳のころ)に制作した室内楽で、ラズモフスキーの3曲セットにも、最晩年の5曲セットにも入ってはいなから、わたしはまだ聴いたことのない音楽・・・ということになる。

つい数日前、寝ようとして寝そびれてしまい、ベッドに横になって、リパッティの1枚目のCDを聴いていたのだけれど、しばらくして「あれれ、これはなんていう曲だったっけ!?」と、起きあがって、CDケースを確認にいった。
それが、さきに書いた中のモーツァルト、ピアノ・ソナタ第8番イ短調。これまでピリスか内田光子の演奏などで、何回か聴いていて、ある程度は「わかっている」つもりのピアノ・ソナタだったが、この夜、わたしの耳に入ってきた8番は、どこかが、少し違って聞こえた。

どういったらいいのだろう・・・いつもありふれた表現しか思い浮かばないのがもどかしい。トルコ行進曲付きのあだ名がついた11番もそうだけれど、こういう曲はモーツァルトにしか作曲できなかったとよく指摘される、ピアノ・ソナタの代表曲。
“その意味がわからず、無邪気に悲しみとたわむれている子ども”のような、稀有な音楽とでもいえばいいのか。
それが、リパッティで聴いていると、ことばではとても表しがたいけれど、いわば「至高の透明感」となって、耳から忍び込み、胸のとても深い部分を、銀の匙のようなもので攪拌してやまない。第1楽章冒頭から、あの有名な主題が姿をみせて、聴衆をひっつかんでしびれさせてしまう。ピアノ曲、とくにソナタでは、こういう経験を、久しぶりにしたように思える。




これは今日のBGMの5CD(右上がリパッティの2枚組)。
BGMとして流しておくつもりが、いったんひっつかまれると、とても、BGMにはならない(^^;) いろいろな思いが、連想が連想を呼ぶとでもいうように、胸の奥底からふつふつと湧き上がってくるからだ。

わたしはキリスト教徒ではないが、あの宗教には「最後の晩餐」ということば・概念がある。ひらたくいえば、この世を去るにあたって摂る、最後の食事ということだろうが、弟子たちは、その行いに、深い意味を付与したのである。
リパッティが「最後の晩餐」として選んだのが、ベートーヴェンのヘ短調弦楽四重奏曲。
さて、わたしは(あるいはあなたは)、最後の晩餐の音楽に、なにを選ぶのだろう。




※ディヌ・リパッティに関心のある方は、こちらを参照されるのがいいと思います。
「僕は約束した。僕は弾かねばならない・・・」 ディヌ・リパッティ
http://moon-sunside.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-012b.html
《リパッティ本人だけでなく、家族、聴衆、すべての人が最後の演奏会であることを知ったうえでの演奏会》について、その前後の経緯が、とても感動的に語られています。これを読んで――ただただ、涙にかきくれてしまうのは、わたしだけではないはずです^^;


※1枚目の写真は、アキアカネの逆立ちポーズ。マイミク岡山太郎さんに質問されて調べてみたら、このポーズは求愛のポーズではなく、体温調節のため体を風にあてているのだそうです(^_^)/~ よく見かけますよね、こんなシーン。
写真2枚目は、萩の花のところへお食事にきたダイミョウセセリ。むろんこれが、彼の最後の晩餐というわけではありません。

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