だじゃれやら、抱腹内幕暴露話やら、ずっこけ秘話やら満載のエッセイ。
茂木大輔さんは、クラシック界では、型破りのキャラクターなのだろう。
いや、そうでもないか?
こういうキャラはけっこういるだろうが、それをすぐれたエッセイにまとめあげる才能を同時にもっているところが、稀有なのだ。
本書を読みながら、夜中にケラケラ笑ってしまった。
むかし、音楽室に飾ってあった、あの「楽聖」たちのポートレート。
へんてこなカツラをかぶったり、長いヒゲを生やしたバッハやブラームスの顔は、恐ろしいまでの威厳に満ちていた。「近づきたくねえな」とわたしは子供心に思ったものだ。
ベートーヴェンだって、気むずかしさを、絵に描いたような顔立ち(=_=)
唯一の例外は、モーツァルトかしら?
音楽もむろん、聴いてすぐにわかるようなレベルではなかったけれど、
クラシックは18世紀末ころまでは、貴族階級や荘厳な礼拝堂の独占物だったから、
ある意味、やむをえないと思ったものであった。
日本ではまず、エリートや金持ち階級がクラシックの普及につくした。
日本初のヴァイオリニストが、幸田露伴の妹だったことは、中村紘子さんの本で教えてもらった。
ところが、茂木さんは、この一連のエッセイにおいて、いかめしさやもったいぶった丁重さとは縁がなく、「ぶっちゃけ話」が連綿と展開される。
「楽隊」の一員とは、彼の自己規定。
要するに、オーケストラの一員となるまでの出世をめぐる涙ぐましいエピソードの数々。また、オーケストラの内輪話や苦労話が、じつにおもしろく、読み出したらやめられないこと請け合いのエンタメである。
こういうキャラのオーボエ奏者が、よくNHK交響楽団の首席をつとめているものだ。
クラシック業界は、右を向いても左を向いても、天才だらけ。
まあ、プロの世界はそんなものなのであろうが、そこに、この茂木さんの出現。
読者にとっては、楽団がぐっと身近なものになるだろう。
こういう人の存在が、天才と、わたしのようなしろうとの架け橋となってくれる・・・といってしまっては失礼かな?
失敗談などを読んでいると、奇蹟のような名演がどういうプロセスをたどって出現するのか、ぼんやりとながら想像できる。
また、楽隊の一員から眺めた指揮者の存在も、じつにおもしろかった。
茂木さんは複数のblogもやっているし、その肩書きはエッセイスト、指揮者、コンサートプロデューサーと広がっている。
こういう人の大活躍によって、日本におけるクラシック・ファンはふえていく。アメリカ流の型にはまったショービジネスは好きではないが、クラシック音楽が、気位の高い階層の独占物でいいはずはない。
『大きな花束が美しいのは、それを構成するひとつひとつの花が、たとえ目立たなくとも手抜きなく美しいからにほかならない。いわば、ひとりひとりの丹精こめた音ばかり集めて作るオーケストラの音は、無限に贅沢な「音の花束」なのである』
うーん、なるほど。こいう一節を読んでいると、それまで退屈にしか感じられなかった交響曲の一楽章も、単純には聴きすてにできなくなる。
解説を筒井康隆さんが書いているのもいいな。
評価:★★★★
茂木大輔さんは、クラシック界では、型破りのキャラクターなのだろう。
いや、そうでもないか?
こういうキャラはけっこういるだろうが、それをすぐれたエッセイにまとめあげる才能を同時にもっているところが、稀有なのだ。
本書を読みながら、夜中にケラケラ笑ってしまった。
むかし、音楽室に飾ってあった、あの「楽聖」たちのポートレート。
へんてこなカツラをかぶったり、長いヒゲを生やしたバッハやブラームスの顔は、恐ろしいまでの威厳に満ちていた。「近づきたくねえな」とわたしは子供心に思ったものだ。
ベートーヴェンだって、気むずかしさを、絵に描いたような顔立ち(=_=)
唯一の例外は、モーツァルトかしら?
音楽もむろん、聴いてすぐにわかるようなレベルではなかったけれど、
クラシックは18世紀末ころまでは、貴族階級や荘厳な礼拝堂の独占物だったから、
ある意味、やむをえないと思ったものであった。
日本ではまず、エリートや金持ち階級がクラシックの普及につくした。
日本初のヴァイオリニストが、幸田露伴の妹だったことは、中村紘子さんの本で教えてもらった。
ところが、茂木さんは、この一連のエッセイにおいて、いかめしさやもったいぶった丁重さとは縁がなく、「ぶっちゃけ話」が連綿と展開される。
「楽隊」の一員とは、彼の自己規定。
要するに、オーケストラの一員となるまでの出世をめぐる涙ぐましいエピソードの数々。また、オーケストラの内輪話や苦労話が、じつにおもしろく、読み出したらやめられないこと請け合いのエンタメである。
こういうキャラのオーボエ奏者が、よくNHK交響楽団の首席をつとめているものだ。
クラシック業界は、右を向いても左を向いても、天才だらけ。
まあ、プロの世界はそんなものなのであろうが、そこに、この茂木さんの出現。
読者にとっては、楽団がぐっと身近なものになるだろう。
こういう人の存在が、天才と、わたしのようなしろうとの架け橋となってくれる・・・といってしまっては失礼かな?
失敗談などを読んでいると、奇蹟のような名演がどういうプロセスをたどって出現するのか、ぼんやりとながら想像できる。
また、楽隊の一員から眺めた指揮者の存在も、じつにおもしろかった。
茂木さんは複数のblogもやっているし、その肩書きはエッセイスト、指揮者、コンサートプロデューサーと広がっている。
こういう人の大活躍によって、日本におけるクラシック・ファンはふえていく。アメリカ流の型にはまったショービジネスは好きではないが、クラシック音楽が、気位の高い階層の独占物でいいはずはない。
『大きな花束が美しいのは、それを構成するひとつひとつの花が、たとえ目立たなくとも手抜きなく美しいからにほかならない。いわば、ひとりひとりの丹精こめた音ばかり集めて作るオーケストラの音は、無限に贅沢な「音の花束」なのである』
うーん、なるほど。こいう一節を読んでいると、それまで退屈にしか感じられなかった交響曲の一楽章も、単純には聴きすてにできなくなる。
解説を筒井康隆さんが書いているのもいいな。
評価:★★★★