二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「音楽の聴き方」 岡田暁生著(中公新書)

2010年06月19日 | エッセイ(国内)
ことばと音楽の関係を、正面きって論じた著書を、はじめて読み、たいへん興味深いものがあった。音楽はことばではなく、音の響きなのであって、結局のところ、ことばでは置き換えることができないものである。少なくとも、わたしにはそういった「思いこみ」があるし、いまでもそれはかわらない。
しかし岡田さんは、そういった考え方にじつに見事な論駁をくわえている。本書を読んで、楽譜は読めない、楽器も弾けないわたしのような人間が、クラシック音楽にとらわれる理由が、かなりはっきりしてきた。

「『内なる図書館』と人の履歴」の章あたりまできて、岡田さんが、音楽をどういった方向性において論じようとしているのかが見えてくる。「音楽とは、せんじつめれば音の響きなのであって、はじめから言葉を超えており、だから理屈をいっても仕方がないので、ひたすら感性に磨きをかけ、感覚を研ぎ澄まし、先入観に毒されぬ純粋で無垢(むく)な心で音楽にひたすら耳を傾けましょう――という立場と本書は対極にある」(奥泉光さんの評言)ということである。

いちばんおもしろかったのは、音楽を演奏する際のリハーサル風景についてレポートしているあたり。指揮者はどういう音楽を目指すのかを、観念的ではなく、具体的なイメージや、身体感覚の比喩をつかって、各楽器の奏者につたえようとする。「この楽章はなにを表現しようとしたものか」を、作曲家や指揮者は明確に意識している。
音楽はある場所、ある歴史的な時間の内側にあって、その背景のうえに成り立っているものである。それを抜きにした「純粋音楽」など、ありえない。
「音楽は語れないと頭から信じ込んでしまわない。『音楽は言葉を超えている』という決まり文句は、ロマン派が作り出した近代イデオロギーなのだ。実際は言葉なくして音楽を体験することなど出来ない。そして語彙や語りのロジックが増えるほど、人はよりよく聴ける。『音楽を聴く』とは『音楽の語り方を知ること』でもある。そして音楽を語る語彙は出来るだけ身体に響くものがいい」(本書35ページ)

本来はドイツ、オーストリアあたりを中心としたヨーロッパという「地方」に発生した音楽が、やがて世界の大部分をおおう「普遍的な音楽」へと成長をとげていくのはなぜなのか? 音楽を通して、人びとはどういった世界を体験し、かいま見るのか?
三島由紀夫のエッセイを引用しつつ、岡田さんは、そこに音楽言語が内包するパラドックスを、鋭く見抜いている。

すぐれた音楽を聴き、感動をうけると、その感動を「いいね」「感動した」「すばらしかった」といいながら、なにかもっと語りたくなるものである。こういう場合、音楽を正確には語り尽くせないという不可能性を見据えながら、ほかならぬことばで語らざるをえない矛盾。日本で最初に書かれた音楽批評は、小林秀雄の「モオツァルト」だろうが、あのエッセイ以来、こうして音楽を聖別し、聴衆はうなだれて耳をすましてきたのである。この感動の質は、いわく「筆舌に尽くしがたい」と。

しかし、そういった体験をことばに変換することで批評が誕生し、音楽をよりよく、深く体験できるはずだと、岡田さんはいう。
考えてみると、意識するとしないにかかわらず、音楽学校などは出ていないわたしのような聴衆が、突然とりつかれでもしたようにクラシック音楽に夢中になれるのは、ことばによって、音楽をよりよく聴けるようになるからである。西洋音楽史をわかりやすく解説した書物や、「名曲100選」のようなガイドブックが売れ続けているのはそのためだ。

岡田さんは、いままでわからなかった曲が、たびたび聴いているうちに徐々に、あるいは突然閃光のようにわかったときのよろこびについても書いている。あるいは、いままで感動することができた音楽が、加齢と経験によって、つまらない音楽になっていくことについての省察。
新書の性格上、啓蒙書としての体裁をとってはいるが、本書は本格的な音楽評論の労作といっていい。むろん、こざかしい小理屈など述べ立てようともしていない。
本の帯には「第19回吉田秀和賞受賞」「2010新書大賞第3位」というコピーが躍っている。
「音楽を読む愉しみ!」を教えてくれる本書に対し、読者は賞賛を惜しまなかったということだろう。
クラシック音楽ファンのみならず、すべての音楽ファンにとってあまたの啓示に満ちた好著である。


評価:★★★★☆(4.5)

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