
「むむー、こけた(/_;)」
2月、3月は俳句の季語にもなっている「ネコの恋」のシーズン。
わが家のオス猫テンちゃんは、夕方になり、腹ごしらえをすますと、眼をランランと輝かして、外へ飛び出していく。
生き物のすべては、本能に忠実。オスネコ同士、領土争いをくり広げて喧嘩して歩き、メスネコのお尻を追いかけ回す。この時季になると、普段は見かけないオスネコが遠方から遠征してきてうろつき回る。窓の下で、ネコどもがうるさく騒ぎ、安眠をさまたけられる・・・な~んてことは、大都会の真っ只中、マンションの高層階に住んでいらっしゃる方以外は、だれもが経験しているだろう。


しばらく飽きてほったらかしだったテンちゃん。
昨日久しぶりに遊んでやったら大喜び!
走っていってころげまわり、わざとずっこけてみせる。若いから、エネルギーに満ちあふれている。からかったり、じゃらしたりすると、いろいろな表情を見せてくれる。
写真の愛好家でネコ好きはとても多い。アラーキーのチロは、かの「まる」とならんで、いちばん有名なネコだろう。藤原新也さんの写真集でも、要所要所にネコが登場する。
一方、イヌ好きは森山さんや、エリオット・アーウィット。いろんな名作を思い出すことができる。

これは近隣の公園を散歩中に見かけたミーちゃんというメスイヌ。
二匹のイヌをつれて散歩にやってきた初老のおっさんが、ベンチに腰かけ、オロナミンCドリンクを飲んでいたので、お声をかけて、何枚か撮らせてもらった中の一枚である。
「なんとかと、なんとかの雑種なんです」ということだが、イヌの種名は忘れてしまった(^^;) ちょっと騒々しい、二歳のワンちゃん。わが家のテンちゃんと同年齢である。
ところで、昨日、とうとう二眼レフがやってきた。
そのカメラがそこにあるのは、下見に訪れたときからわかっていた。かなりの美品で、20,000円の値札がついていた。
いつかも書いたが、これまで所有していた中判フィルムカメラは、ペンタックス67、645、ニューマミヤ6の三台。645は壊れたまま手許にあるが、他の二台は売却した。
二眼レフは、これまで使ったことがない。
わたしが写真に目覚めたころは、すでにこのヤシカマット124Gも、ミノルタオートコードも、一眼レフにおされて製造中止になっていた。つまり、40年も昔から、すでに十分“レトロ”だったのである。


中古カメラショップのショーケースには、2台のヤシカマット124Gがあったので、
ライトテーブルの上に2台のヤシカをならべてもらって、品定め。
お高いほうが、24,000円と値札があるが、かなり使いこまれた形跡があり、小キズが少々目立つので、検討の余地はない。
ところが、こちらの20,000円は、めずらしいくらいの美品であった。
二眼レフの取扱い方はよくわからないので、店員さんにお聞きしながら入念にチェック!
グッタペルカの経年劣化なし、スローシャッターOK、レンズのカビ痕もない。シャッターの最高速1/500は出ていないのはやむをえないだろう。むろん、メカニカルレンズシャッターで、電池を抜いても、シャッターを切ることができる。
一応シングルコーティングはしてあるが、逆光には極めて弱いはず。しかし、そのハレーションやハロが、レンズの味だったりするのであ~る。
このヤシカが、水銀電池で測光する機種であるのはわかっていたので、どうしようかちょっと迷った。この時代の露出計は、感度が相当に落ちている。しかも、代替電池の電圧は、水銀電池より電圧が低いので、露出計(針合わせ式)はあてにはできない。
しかし、いくらあてにできない露出計とはいえ、外部メーターを持ち歩く面倒を考えると、ないよりはあったほうがよい。店員さんに念のためお訊ねすると、指針の表示×2を目安にしてくれといわれた。つまり、ISO400の感度をもつフィルムを、200で使用することになる。
写真といえばフィルムの時代に、何台もの中古カメラを買ったり売ったりしてきた。
こういうレンズ交換のきかない不自由なカメラを手にして町へ出ていくと、世界の見方が少し変化する。
二眼レフは、わたしが写真に目覚めたころから、もう十分クラシックなカメラであったから、これ以上は古くならないという逆説的なメリットがある。わたしが集団「はぐれ雲」を結成し、いちばん熱心に写真を撮っていたころと比べても、店頭の価格はほとんど変わっていない。デジカメならば、10年まえの旧モデルなど、だれも見向きもしないだろう(^^;)
やや時間をかけて、低速ガバナーの効きぐあいを入念にチェック! モルトは張り替えてある。ネガフィルム使用なら問題はないと判断し、この製造中止になってから40年も経過するカメラを購入することに決めた。ローライにしたかったが、いったいどれほどの出番があるのかわからないので、プアマンズ「二眼レフ入門機」として。
あたりまえのことだが、わたしはダイアン・アーバスでもないし、「太陽の鉛筆」のころの東松さんでもない。藤原新也でもなく、橋口譲二でもない。しかし、こういうカメラを手にすると、時間がゆっくりと流れはじめるのが不思議なくらいである。
「老後用のカメラ」というニュアンスもあるかな(?_?)
昔、わたしがキヤノンT90やEOS5でバシバシと写真をとっていたころ、わたしの親友はこのヤシカマット124Gの使い手であった。わたしが10枚撮影して振り返ると、彼はこうべをたれて薄暗いファインダーをのぞきこみながら、まだピント合わせをしたり、露出計を合わせたりしている真っ最中。一枚もシャッターを切っていなかった。
66判は、120のロールフィルムで12枚の写真が撮れる。しかし、いまとなって考えてみると、その12枚には、昨今のデジカメの120枚、あるいはその数倍の「濃密な時間」が、凝縮されていたのである。
あとはブローニーフィルムがこの世から絶滅しないことを祈るのみ(笑)。
いま、還暦を迎えようとする年齢になって、時間に逆行するように、こういうスローライフなカメラが欲しくなる。それはわたしのこころの薄暗がりの、いったいどのあたりに理由があるのだろう。

写真はこの日わたしの手許にやってきたヤシカマット124G「ご一行様」である。価格交渉をしてお安くしてもらった。ヤシカはその後京セラCONTAXに合併吸収されたので、CONTAXのストラップ(ヤシカのストラップをさがすのはむずかしい)と、120のネガカラーをサービスでいただいた。
ダイキャストのボディはずしりと重い。
・・・さて、この不自由な二眼レフで、なにを、どんなふうに撮ろうか?
☆Photo-Blog
ヤシカマット124Gのページ
http://photos-home.afro.daa.jp/?cid=5368
わたしが購入の決断をしたのは、この女性デザイナーのページを閲覧したのがきっかけのひとつ。
2月、3月は俳句の季語にもなっている「ネコの恋」のシーズン。
わが家のオス猫テンちゃんは、夕方になり、腹ごしらえをすますと、眼をランランと輝かして、外へ飛び出していく。
生き物のすべては、本能に忠実。オスネコ同士、領土争いをくり広げて喧嘩して歩き、メスネコのお尻を追いかけ回す。この時季になると、普段は見かけないオスネコが遠方から遠征してきてうろつき回る。窓の下で、ネコどもがうるさく騒ぎ、安眠をさまたけられる・・・な~んてことは、大都会の真っ只中、マンションの高層階に住んでいらっしゃる方以外は、だれもが経験しているだろう。


しばらく飽きてほったらかしだったテンちゃん。
昨日久しぶりに遊んでやったら大喜び!
走っていってころげまわり、わざとずっこけてみせる。若いから、エネルギーに満ちあふれている。からかったり、じゃらしたりすると、いろいろな表情を見せてくれる。
写真の愛好家でネコ好きはとても多い。アラーキーのチロは、かの「まる」とならんで、いちばん有名なネコだろう。藤原新也さんの写真集でも、要所要所にネコが登場する。
一方、イヌ好きは森山さんや、エリオット・アーウィット。いろんな名作を思い出すことができる。

これは近隣の公園を散歩中に見かけたミーちゃんというメスイヌ。
二匹のイヌをつれて散歩にやってきた初老のおっさんが、ベンチに腰かけ、オロナミンCドリンクを飲んでいたので、お声をかけて、何枚か撮らせてもらった中の一枚である。
「なんとかと、なんとかの雑種なんです」ということだが、イヌの種名は忘れてしまった(^^;) ちょっと騒々しい、二歳のワンちゃん。わが家のテンちゃんと同年齢である。
ところで、昨日、とうとう二眼レフがやってきた。
そのカメラがそこにあるのは、下見に訪れたときからわかっていた。かなりの美品で、20,000円の値札がついていた。
いつかも書いたが、これまで所有していた中判フィルムカメラは、ペンタックス67、645、ニューマミヤ6の三台。645は壊れたまま手許にあるが、他の二台は売却した。
二眼レフは、これまで使ったことがない。
わたしが写真に目覚めたころは、すでにこのヤシカマット124Gも、ミノルタオートコードも、一眼レフにおされて製造中止になっていた。つまり、40年も昔から、すでに十分“レトロ”だったのである。


中古カメラショップのショーケースには、2台のヤシカマット124Gがあったので、
ライトテーブルの上に2台のヤシカをならべてもらって、品定め。
お高いほうが、24,000円と値札があるが、かなり使いこまれた形跡があり、小キズが少々目立つので、検討の余地はない。
ところが、こちらの20,000円は、めずらしいくらいの美品であった。
二眼レフの取扱い方はよくわからないので、店員さんにお聞きしながら入念にチェック!
グッタペルカの経年劣化なし、スローシャッターOK、レンズのカビ痕もない。シャッターの最高速1/500は出ていないのはやむをえないだろう。むろん、メカニカルレンズシャッターで、電池を抜いても、シャッターを切ることができる。
一応シングルコーティングはしてあるが、逆光には極めて弱いはず。しかし、そのハレーションやハロが、レンズの味だったりするのであ~る。
このヤシカが、水銀電池で測光する機種であるのはわかっていたので、どうしようかちょっと迷った。この時代の露出計は、感度が相当に落ちている。しかも、代替電池の電圧は、水銀電池より電圧が低いので、露出計(針合わせ式)はあてにはできない。
しかし、いくらあてにできない露出計とはいえ、外部メーターを持ち歩く面倒を考えると、ないよりはあったほうがよい。店員さんに念のためお訊ねすると、指針の表示×2を目安にしてくれといわれた。つまり、ISO400の感度をもつフィルムを、200で使用することになる。
写真といえばフィルムの時代に、何台もの中古カメラを買ったり売ったりしてきた。
こういうレンズ交換のきかない不自由なカメラを手にして町へ出ていくと、世界の見方が少し変化する。
二眼レフは、わたしが写真に目覚めたころから、もう十分クラシックなカメラであったから、これ以上は古くならないという逆説的なメリットがある。わたしが集団「はぐれ雲」を結成し、いちばん熱心に写真を撮っていたころと比べても、店頭の価格はほとんど変わっていない。デジカメならば、10年まえの旧モデルなど、だれも見向きもしないだろう(^^;)
やや時間をかけて、低速ガバナーの効きぐあいを入念にチェック! モルトは張り替えてある。ネガフィルム使用なら問題はないと判断し、この製造中止になってから40年も経過するカメラを購入することに決めた。ローライにしたかったが、いったいどれほどの出番があるのかわからないので、プアマンズ「二眼レフ入門機」として。
あたりまえのことだが、わたしはダイアン・アーバスでもないし、「太陽の鉛筆」のころの東松さんでもない。藤原新也でもなく、橋口譲二でもない。しかし、こういうカメラを手にすると、時間がゆっくりと流れはじめるのが不思議なくらいである。
「老後用のカメラ」というニュアンスもあるかな(?_?)
昔、わたしがキヤノンT90やEOS5でバシバシと写真をとっていたころ、わたしの親友はこのヤシカマット124Gの使い手であった。わたしが10枚撮影して振り返ると、彼はこうべをたれて薄暗いファインダーをのぞきこみながら、まだピント合わせをしたり、露出計を合わせたりしている真っ最中。一枚もシャッターを切っていなかった。
66判は、120のロールフィルムで12枚の写真が撮れる。しかし、いまとなって考えてみると、その12枚には、昨今のデジカメの120枚、あるいはその数倍の「濃密な時間」が、凝縮されていたのである。
あとはブローニーフィルムがこの世から絶滅しないことを祈るのみ(笑)。
いま、還暦を迎えようとする年齢になって、時間に逆行するように、こういうスローライフなカメラが欲しくなる。それはわたしのこころの薄暗がりの、いったいどのあたりに理由があるのだろう。

写真はこの日わたしの手許にやってきたヤシカマット124G「ご一行様」である。価格交渉をしてお安くしてもらった。ヤシカはその後京セラCONTAXに合併吸収されたので、CONTAXのストラップ(ヤシカのストラップをさがすのはむずかしい)と、120のネガカラーをサービスでいただいた。
ダイキャストのボディはずしりと重い。
・・・さて、この不自由な二眼レフで、なにを、どんなふうに撮ろうか?
☆Photo-Blog
ヤシカマット124Gのページ
http://photos-home.afro.daa.jp/?cid=5368
わたしが購入の決断をしたのは、この女性デザイナーのページを閲覧したのがきっかけのひとつ。