「昭和天皇実録」の刊行がはじまったのは、新聞で知り、ああ、いよいよ歴史の批判にさらされる、そういう時代に入ったかと、多少の関心持ったが、その膨大な量の本文を、わたしごときが読んでもはじまらない・・・と考えていた。
これは研究者や批評家、ジャーナリストが読むべき資料であって、素人には手に負えるはずはないという判断であった。
東京書籍は本書刊行にあたって、つぎのように書いている。
《『昭和天皇実録』は平成2年より、宮内庁において24年間の歳月をかけ編修され、平成26年8月、本文60巻が天皇皇后両陛下に奉呈されました。
明治34年の御誕生から昭和64年の崩御に至るまでの89年間、「激動の時代」を生きた天皇の御事蹟、そしてそれにまつわる日本の政治、社会、文化などを余すところなく記述。
そこにはそれまで知られていなかった昭和天皇の生きた御姿とその時代が、生き生きと記されています。
読者の圧倒的な期待の声のなか、本文18冊+索引1冊にまとめられた公刊本『昭和天皇実録』全19冊をこのたび刊行いたします》
近所の書店で「昭和天皇実録」の現物も手にしてみたが、とてもとても及びもつかない膨大な記録の書であることは明らかだった*´∀`)ノ
このところ半藤さんの「十二月八日と八月十五日」を読みおえ、つぎに「日本のいちばん長い日」をつづけて手にして、昭和天皇という存在の大きさや、ご人格やその生活ぶりに、関心を払わずにはいられなくなった。
昭和という年号は64年間(裕仁の在位期間は62年と13日)にも渡っている。したがって、「昭和天皇実録」が、全61巻1万2000ページのボリュームになるのは、やむをえないことであろう。
これまでは、近代史の激動期に在位した天皇として、侍従の日記やメモのようなものしか、われわれは目にすることができなかったのである。
これが宮内庁による、昭和天皇の“公式記録”ということになる。
日本の天皇はときおり誤解する人がいるが、いわゆる専制君主ではない。政府や議会が議論して決めた国策に対し、NOをいうことができない。承認を与え、その名において認証するのが、主たる仕事なのである。
ではまったくの飾り物かといえば、そんなことはない、神ならぬ生身の人間なのである。ただし、われわれ庶民とは生まれも育ちもまったく違う、御一人者としてこの世に誕生したのである。
本書で知ったのだが、昭和天皇は晩年になっても、ご自分は神ではなく人だが、神の末裔ではある・・・という意識を持っておられた。
昭和20年8月15日に、日本という国家は英米ほかに対し、無条件降伏し、占領時代が実質日米安保条約締結の昭和26年(実施は27年)までつづく。日本と日本人はじまって以来の国難であったし、あのとき、明治維新によって出発した「大日本帝国」という国家は、いったんは滅びたのである。
本書は「文芸春秋」その他に分載された対談、鼎談を一冊にまとめたものである。
参考までに章立てを掲げておこう。
第一章 初めて明かされる幼年期の素顔(磯田、半藤、保阪)
第二章 青年期の栄光と挫折(磯田、半藤、保阪)
第三章 昭和天皇の三つの「顔」(半藤、保阪)
第四章 世界からの孤立を止められたか(半藤、保阪)
第五章 開戦へと至る心理(半藤、保阪)
第六章 天皇の終戦工作(半藤、保阪)
第七章 八月十五日を境にして(御厨、半藤、保阪)
第八章 ‟記憶の王”として(御厨、半藤、保阪)
わたしがはじめて天皇という存在を意識したのは、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(英霊の声)と書いた小説家、三島由紀夫の割腹自殺事件が最初。
その後、昭和天皇が危篤に陥り、テレビCMの中止があいついだ“あの時”の数日間である。街角にあった華美な看板など黒い覆いを被せられたり、撤去されたりして、異様な雰囲気の中薨去、そしてそれにつづく一連の行事の記憶はぼんやりと覚えている。
わたしは昭和27年の生まれであるから、このとき36歳(満年齢)であった。
だからいまだって、「おれは昭和の人間」と考えている。生まれてから36年間も昭和の水を飲んで生きたのだから、それによって、生涯を支配されるのは当然であろう。人の感覚や思考法は、そうそう変えられるものではない。
昭和天皇は対英米戦を、いつ、どんなふうに決断したのか、またポツダム宣言を、いつの段階で、どんなふうに受け入れたのか?
宮内庁のスタッフが20年以上の歳月をついやして編集し、刊行のはこびとなった昭和天皇の公式記録。
そこにあるのは、未曽有の時代を生き抜いた“御一人者”の栄光と悲惨であろう。
大日本帝国は滅亡したが、天皇制は生きながらえた。
わたしも若いころは左翼思想(反代々木系)の洗礼は多少こうむっているから、共和制=大統領制だっていいだろうと漫然と考えていたことがあった。
しかし、この数年で「いや、天皇制こそが、日本の政治・社会の根幹である」との思いにかたむいている。
年齢とともに保守化し、先祖返りしたくなったのだ。しかし、どうもそればかりでもないような気がする。
本書は「文芸春秋読者賞」受賞作。御厨さん、磯田さんは知らなかったが、半藤さん、保阪さんの言説には首肯できるものが多く、非常におもしろく読めた。
ごく最近まで天皇と天皇制について率直に論議することに、漠然としたタブー意識がはたらいていた。「昭和天皇実録」の編纂と刊行は、なにはともあれ、そういったモヤモヤを吹き払いクリアな光の中で語りあえる・・・そういう時代の到来を決定づけるものというべきだろう。
※評価:☆☆☆☆☆
これは研究者や批評家、ジャーナリストが読むべき資料であって、素人には手に負えるはずはないという判断であった。
東京書籍は本書刊行にあたって、つぎのように書いている。
《『昭和天皇実録』は平成2年より、宮内庁において24年間の歳月をかけ編修され、平成26年8月、本文60巻が天皇皇后両陛下に奉呈されました。
明治34年の御誕生から昭和64年の崩御に至るまでの89年間、「激動の時代」を生きた天皇の御事蹟、そしてそれにまつわる日本の政治、社会、文化などを余すところなく記述。
そこにはそれまで知られていなかった昭和天皇の生きた御姿とその時代が、生き生きと記されています。
読者の圧倒的な期待の声のなか、本文18冊+索引1冊にまとめられた公刊本『昭和天皇実録』全19冊をこのたび刊行いたします》
近所の書店で「昭和天皇実録」の現物も手にしてみたが、とてもとても及びもつかない膨大な記録の書であることは明らかだった*´∀`)ノ
このところ半藤さんの「十二月八日と八月十五日」を読みおえ、つぎに「日本のいちばん長い日」をつづけて手にして、昭和天皇という存在の大きさや、ご人格やその生活ぶりに、関心を払わずにはいられなくなった。
昭和という年号は64年間(裕仁の在位期間は62年と13日)にも渡っている。したがって、「昭和天皇実録」が、全61巻1万2000ページのボリュームになるのは、やむをえないことであろう。
これまでは、近代史の激動期に在位した天皇として、侍従の日記やメモのようなものしか、われわれは目にすることができなかったのである。
これが宮内庁による、昭和天皇の“公式記録”ということになる。
日本の天皇はときおり誤解する人がいるが、いわゆる専制君主ではない。政府や議会が議論して決めた国策に対し、NOをいうことができない。承認を与え、その名において認証するのが、主たる仕事なのである。
ではまったくの飾り物かといえば、そんなことはない、神ならぬ生身の人間なのである。ただし、われわれ庶民とは生まれも育ちもまったく違う、御一人者としてこの世に誕生したのである。
本書で知ったのだが、昭和天皇は晩年になっても、ご自分は神ではなく人だが、神の末裔ではある・・・という意識を持っておられた。
昭和20年8月15日に、日本という国家は英米ほかに対し、無条件降伏し、占領時代が実質日米安保条約締結の昭和26年(実施は27年)までつづく。日本と日本人はじまって以来の国難であったし、あのとき、明治維新によって出発した「大日本帝国」という国家は、いったんは滅びたのである。
本書は「文芸春秋」その他に分載された対談、鼎談を一冊にまとめたものである。
参考までに章立てを掲げておこう。
第一章 初めて明かされる幼年期の素顔(磯田、半藤、保阪)
第二章 青年期の栄光と挫折(磯田、半藤、保阪)
第三章 昭和天皇の三つの「顔」(半藤、保阪)
第四章 世界からの孤立を止められたか(半藤、保阪)
第五章 開戦へと至る心理(半藤、保阪)
第六章 天皇の終戦工作(半藤、保阪)
第七章 八月十五日を境にして(御厨、半藤、保阪)
第八章 ‟記憶の王”として(御厨、半藤、保阪)
わたしがはじめて天皇という存在を意識したのは、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(英霊の声)と書いた小説家、三島由紀夫の割腹自殺事件が最初。
その後、昭和天皇が危篤に陥り、テレビCMの中止があいついだ“あの時”の数日間である。街角にあった華美な看板など黒い覆いを被せられたり、撤去されたりして、異様な雰囲気の中薨去、そしてそれにつづく一連の行事の記憶はぼんやりと覚えている。
わたしは昭和27年の生まれであるから、このとき36歳(満年齢)であった。
だからいまだって、「おれは昭和の人間」と考えている。生まれてから36年間も昭和の水を飲んで生きたのだから、それによって、生涯を支配されるのは当然であろう。人の感覚や思考法は、そうそう変えられるものではない。
昭和天皇は対英米戦を、いつ、どんなふうに決断したのか、またポツダム宣言を、いつの段階で、どんなふうに受け入れたのか?
宮内庁のスタッフが20年以上の歳月をついやして編集し、刊行のはこびとなった昭和天皇の公式記録。
そこにあるのは、未曽有の時代を生き抜いた“御一人者”の栄光と悲惨であろう。
大日本帝国は滅亡したが、天皇制は生きながらえた。
わたしも若いころは左翼思想(反代々木系)の洗礼は多少こうむっているから、共和制=大統領制だっていいだろうと漫然と考えていたことがあった。
しかし、この数年で「いや、天皇制こそが、日本の政治・社会の根幹である」との思いにかたむいている。
年齢とともに保守化し、先祖返りしたくなったのだ。しかし、どうもそればかりでもないような気がする。
本書は「文芸春秋読者賞」受賞作。御厨さん、磯田さんは知らなかったが、半藤さん、保阪さんの言説には首肯できるものが多く、非常におもしろく読めた。
ごく最近まで天皇と天皇制について率直に論議することに、漠然としたタブー意識がはたらいていた。「昭和天皇実録」の編纂と刊行は、なにはともあれ、そういったモヤモヤを吹き払いクリアな光の中で語りあえる・・・そういう時代の到来を決定づけるものというべきだろう。
※評価:☆☆☆☆☆