二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

魂   柳美里(小学館)

2010年03月06日 | ドキュメンタリー・ルポルタージュ・旅行記
その日は定休日だった。
「命」4部作のうち、第1作の「命」だけを買って、公園の駐車場で少し読み、それからスパーマーケット、コンビニなどに立ち寄り、家に帰った。その日、夕刻には「命」を読みおえた。「うーん。どんなレビューを書いたらいいのだろう」
強い印象を受けた本ほどそうなるけれど、心のゆれがなかなかおさまらない。
「これを小説としては評価できないな」
評価という名の天秤は、だんだんそういう方向へかたむいていった。

しかし・・・わたしはタバコを2、3本吸ってから、また自宅を出て、BOOK OFFへもどることにした。第2部「魂」第3部「生」の単行本(小学館刊)が置いてあったからだ。
この版には、表紙はむろん、扉にも写真が添えられている。
「魂」の場合は、生まれてきた丈陽のお宮参りのときに撮影した4人の姿がある。「なんという痛ましい写真だろう」
祖父母と娘と孫の、ほほえましい写真にしか見えない。孫である赤ん坊丈陽(たけはる)は、おくるみにくるまれ、祖母の腕のなかで無心に眠っている。その右に厚手のコートを着、毛糸の帽子をかぶった東由多加、左側に和服を着た、若々しい柳美里。柳母子は、在日朝鮮人なのに、和服は生まれながらの日本人と同じように、じつによく似合っている。
「丈陽を、日本人として育てる」
この一枚は、母親柳美里のそういう決意のあらわれである。
ひとから羨ましがられるような、平和な「家族のポートレート」であり、アルバムを飾る記念写真である。

だが、「魂」のこの本には、奇妙な落書きがあった。
「なんだろう、この落書きは・・・」
わたしは本棚のまえに立って解読をこころみたが、文字は曲がりくねり、まらまりあっていて、意味を読みとるのは不可能に近かった。そのBOOK OFFには「魂」は1冊しか置いてなかった。わたしのまえにこの本を買った人が、メモ帳がわりに使ったのだろう。そう推測しながら、落書きの下にあるへんてこりんな図像を眺めた。3DKのアパートの間取りにようであった。そこに「きのうにくらべたらテンゴク」と読みとれる文字がある。

わたしは、ほかになかったので、やむをえず、他の読者が書き込みをした本を買って帰ったのである。昨日まで、そう思いこんでいた。
・・・ところが。昨日BOOK OFFの他店にいったら「魂」が2冊置いてあるではないか。
「なーんだ。落書きのない本を、こっちで買えばよかった」
そう思いつつ本を開いてびっくり。
その本にも、同じ落書きがある。「え、まさか」もう1冊手にとって。
「落書き」には、なんのコメントもない。しかし、この文字が、東のメモであることは、もう疑いがなかった。

わたしの評価基準では、本書を小説と呼ぶことはできない。
手記であり、ドキュメンタリーである。百歩ゆずって「私小説」としてもいいけれど、「命」を読んだかぎりでは、私小説と呼ぶにもためらいを感じた。
しかし、読みすすめていくうち、読者であるわたしは、この表現世界のうねりのなかに、巻き込まれていった。
後半、どんどん調子をあげ、緊迫感が高まり、なにかが押し寄せてくる。
食道ガンを原発とするガンは、東由多加の全身をおかし、あらゆる治療をこころみるがうまくいかず、末期が近づいてくる。抗ガン剤の投与による治療の詳細を極めたレポートがつづく。
「10年もたったら、こういう部分からこの作品は古びていくなあ」
わたしはそんな批判をいだきながら、さらにその先へすすんでいった。

「わたしを支えてくれたのは実の家族ではありません。東由多加です。わたしにとっての家族は、東由多加と丈陽のふたりだけです」彼女は、母親へのFAXにそう書く。
ああ、とうとう・・・とうとう、それをいってしまった。
なにかが、読者であるわたしの体にぶつかってくる。文字がちょっとかすんだりもする。
「柳美里は、これを書くために、生まれてきたんじゃないだろうか」
そんな感想が、鳥影のように何度か頭の隅をかすめた。
ことばがどんどん消えていく。説明や情景描写がへって、「事実の骨」のようなものだけが、書きとめられていくのだ。
すげぇや、・・・わたしは衝撃をうけ、ただもう圧倒されてしまった。最愛の息子、丈陽すら、親友の町田夫妻にあずけて、東の死に寄り添っていくとは! 「わたし」の身を切り刻まれるようなつらさが、びしびしとつたわってくる。こうなったからには、第4作、「声」までしっかりと見届けるほかないだろう。

密度の高い、稀有な成功作。



評価:★★★★☆(4.5)

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