ちくま文庫で「私の『戦争論』」を読んだので、独断と偏見に満ちた書評を書いておこう。
買ったのはいつだろう? 記憶にないけれど、1年以上は寝かせているうち、もっていることすら忘れていた。
通勤途上で、あるいは仕事ででかけたついでに、4カ所5カ所のBOOK OFFをのぞいて歩くので、買ったまま、ほかの本の下にまぎれてしまい、「あれれ、こんな本が・・・」という状況が出現したりする。
昭和史への長いあいだの無関心。
それをゆさぶり、目覚めさせたのは、すでに書いたけれど、小林よしのり「戦争論」だった。しかし、いまだたいして勉強はしていない。無知蒙昧の徒である。
いささか遅きに失したかな・・・と反省しつつ、徐々に資料を集めだした。
そのなかには、「丸」のような軍事マニア向けマガジンも混じっている。
本書もまた、ある意図をひめたインタビュー本。
きっかけは、小林の「戦争論」である。
インタビュアーは田近伸和さんという、わたしには未知の人で、吉本さんに、小林よしのり批判を展開させたかったのである。
これに対する反批判は、「戦争論2」に書かれていて、わたしはそっちを先に読んでしまった。
吉本さんは、自己の体験を踏まえて発想する。非常に帰納的な論理には、説得力があり、インタビューでこれだけのことが語れるのは、たいしたものである。この人は、ジャーナリストでもないのに、たえず変転する「状況」に対し、そのつど、いわば即興的にことばを発しつづけてきた思想家である。
「やっぱり、これは戦中派だな」という側面もいやおうなしに見えてくる。
いつだったか、日本の天皇制や、古代史の謎をめぐって、江藤淳と吉本さんは、対談のなかで対立したことがあった。
宮内庁が管理する、天皇の墓といわれる古墳をめぐる議論。吉本さんは、その古墳を発掘し、民間の調査にゆだねるべき、といい、江藤さんは、いや、それはやってはいけないことだ、というのである。
「出自がわからず、『神話的な起源』をもっているから、求心力があるのだ。それをあばいたら、日本はたいへんな混乱に陥る」
正確なことばではないけれど、それが江藤さんのスタンスであった。
本書でも、吉本さんは、たいへん率直である。
なにもかも、さらけだしている、・・・そういってもいいかもしれない。
第1章 小林よしのり「戦争論」を批判する
第2章 「新しい歴史教科書をつくる会」を批判する
第3章 保守派の「思想」を批判する
第4章 わたしは「戦争」をこう体験した
第5章 人類は「戦争」を克服できるか
これを見てもわかるように、本書は第3章までと、それ以後で、前後に分かれている。
どっちもおもしろかったけれど、「うーん。そうかな。おれはちょっと違うぞ」という思いもかなりあった。
吉本さんは、基本的には「性善説」なのである。国民投票にかければいい、・・・というあたりに、それがよくあらわれている。わたしには「消費資本主義という高度資本主義」という時代認識はないし、国家はいずれは消滅すべきだし、そうなるだろうという観測の根拠も、十分理解できるとはいえない。
かりにそうなるとしても、それが100年後、200年後だとしたら?
本書が刊行されたあと、世界も日本も、激変といっていい嵐のただ中に投げ込まれている。
戦中派の吉本さんが、「その時代の体現者」として発言をつづけていることに、いまは耳をすましておこう。わたしから見ると、まさにおやじ年齢だし、こういったことばの数々は「父の言」でもあるのだから。
評価:★★★★
買ったのはいつだろう? 記憶にないけれど、1年以上は寝かせているうち、もっていることすら忘れていた。
通勤途上で、あるいは仕事ででかけたついでに、4カ所5カ所のBOOK OFFをのぞいて歩くので、買ったまま、ほかの本の下にまぎれてしまい、「あれれ、こんな本が・・・」という状況が出現したりする。
昭和史への長いあいだの無関心。
それをゆさぶり、目覚めさせたのは、すでに書いたけれど、小林よしのり「戦争論」だった。しかし、いまだたいして勉強はしていない。無知蒙昧の徒である。
いささか遅きに失したかな・・・と反省しつつ、徐々に資料を集めだした。
そのなかには、「丸」のような軍事マニア向けマガジンも混じっている。
本書もまた、ある意図をひめたインタビュー本。
きっかけは、小林の「戦争論」である。
インタビュアーは田近伸和さんという、わたしには未知の人で、吉本さんに、小林よしのり批判を展開させたかったのである。
これに対する反批判は、「戦争論2」に書かれていて、わたしはそっちを先に読んでしまった。
吉本さんは、自己の体験を踏まえて発想する。非常に帰納的な論理には、説得力があり、インタビューでこれだけのことが語れるのは、たいしたものである。この人は、ジャーナリストでもないのに、たえず変転する「状況」に対し、そのつど、いわば即興的にことばを発しつづけてきた思想家である。
「やっぱり、これは戦中派だな」という側面もいやおうなしに見えてくる。
いつだったか、日本の天皇制や、古代史の謎をめぐって、江藤淳と吉本さんは、対談のなかで対立したことがあった。
宮内庁が管理する、天皇の墓といわれる古墳をめぐる議論。吉本さんは、その古墳を発掘し、民間の調査にゆだねるべき、といい、江藤さんは、いや、それはやってはいけないことだ、というのである。
「出自がわからず、『神話的な起源』をもっているから、求心力があるのだ。それをあばいたら、日本はたいへんな混乱に陥る」
正確なことばではないけれど、それが江藤さんのスタンスであった。
本書でも、吉本さんは、たいへん率直である。
なにもかも、さらけだしている、・・・そういってもいいかもしれない。
第1章 小林よしのり「戦争論」を批判する
第2章 「新しい歴史教科書をつくる会」を批判する
第3章 保守派の「思想」を批判する
第4章 わたしは「戦争」をこう体験した
第5章 人類は「戦争」を克服できるか
これを見てもわかるように、本書は第3章までと、それ以後で、前後に分かれている。
どっちもおもしろかったけれど、「うーん。そうかな。おれはちょっと違うぞ」という思いもかなりあった。
吉本さんは、基本的には「性善説」なのである。国民投票にかければいい、・・・というあたりに、それがよくあらわれている。わたしには「消費資本主義という高度資本主義」という時代認識はないし、国家はいずれは消滅すべきだし、そうなるだろうという観測の根拠も、十分理解できるとはいえない。
かりにそうなるとしても、それが100年後、200年後だとしたら?
本書が刊行されたあと、世界も日本も、激変といっていい嵐のただ中に投げ込まれている。
戦中派の吉本さんが、「その時代の体現者」として発言をつづけていることに、いまは耳をすましておこう。わたしから見ると、まさにおやじ年齢だし、こういったことばの数々は「父の言」でもあるのだから。
評価:★★★★