二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「NEW YORK」1954.1955. ウィリアム・クラインと出会ったころ

2018年08月23日 | Blog & Photo
(リメイク版「NEW YORK」1995年刊。輸入版)


この写真集は1万円だったか、もっと高かったか、蔵書の中でも高価な部類に属すのは間違いないが、よくは覚えていない。
ハイラックス・サーフに乗って関越道をすっ飛ばし、新宿の地下駐車場へクルマを入れ、原宿・渋谷、新宿を、カメラ片手にほっつき歩いた。都市写真が撮りたかったのだ。
5年か6年、そんなことをやっていた。
それらの成果は、のちに「personal relation」というモノクロの写真集(自家版)にまとめることになるが、そんなことは、いまはどうでもいい。


  (平林秀元写真集「personal relation」1997年 上毛新聞社刊)


  (森山大道「サン・ルウへの手紙」とW・エバンス「HAVANA」)  


  (森山大道初期作品集「何かへの旅」 2009年月曜社刊)


  (集めた写真集の一部、わが家の洋間1)

W・クラインよりさきにロバート・フランクに出会ってしまったため、あるいは中平卓馬、森山大道らの「provoke」(プロヴォーク)に出会ってしまったため、「NEW YORK」のインパクトはそれほど大したことがなかった(=_=)
時系列が狂っていたからだろう。
クラインの本領がじわじわ理解できるようになったのは、その後何年かたってから。

この写真集は、日本語的にいえば、増補決定版・・・といった位置をしめるはず。
大判で、サイズも大きいずっしりとした一冊。
「いま買わなければ、もう二度と手に入れることはないだろう」
重い本なので、新幹線でやってきていたら見送ってしまっていたかも。

28ミリレンズを手にして、被写体の前に立つ。クラインは、至近距離から被写体を見つめシャッターを押している。
そこから驚くべきインパクトがつたわってくる。被写体とのトラブルを意に介しない勇気は、いま見返しても半端じゃないメッセージを、見る者にぶつけてくる。ノーファインダーによる路上スナップはクラインが最初に考え、実行した手法・・・である。


   (よく覚えている。何かタガがはずれてしまった子どもたち)

ブレ
ボケ
アレ


  (こちらもよく知られたカット。アノニマスな群衆を至近から切り取っている)


この三要素は、本来は写真の大敵である。それを逆手にとって、クラインは自らの地平をきり開いたのである。
そしてそれは、写真の“可能性”を決定的に押し拡げた。
クラインの「NEW YORK」が存在しなければ、「provoke」が「provoke」たりえたかどうか!?

ブレッソンの50ミリから、クラインの28ミリへ。都市写真とコンテンポラリー・フォトが、時代の先端に追いついた“瞬間”である。
・・・ということを確認するため、この写真集は、ぜひとも手許に置いておきたかった。



  (森山さんの写真集「71 NEW YORK」。クラインへの追走という意味合いがある)

 
  (森山さんのお弟子さんの一人、北島敬三「New York」 白夜書房1982年刊。木村伊兵衛賞を受賞した)

だが、その直後から、わたしはジレンマに襲われる( ・ὢ・ ) ムムッ  これらの写真を片目で見ながら。
なぜかというと、わたしが田舎暮らしをしているからである。
都市郊外どころか、田園地帯のど真ん中に暮らしながら写真を撮る・・・とはどーゆーことか!?
「おれは臍が茶を沸かしそうだぜ、ハハハ」
意地の悪い友人なら、そういってわたしをからかうだろう(ノ△・。)

しか~し、いまさらニューヨークへ出かけていって、どうなる!?
インパクトの大きな、刺激的な写真ばかりが写真ではあるまい。
というわけで、試行錯誤は現在も続いている。野心はとうの昔に消滅したので、リラックスしながら、あるいはいささかいいかげんな気分で(~o~)タハ

「なるようになっていく」と、心の片隅でつぶやきながら。

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