二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「内と外」の境界線

2014年05月11日 | Blog & Photo
眼はこころの窓・・・といういい方がある。
眼を見ていると、その人がこころの中で、なにを感じ、考えているのかがわかる。
心理学者はきっと、クライアントの眼から、じつにたくさんのものを読み取るのだろう。
人の眼をヒタと見つめて話す人があるかとおもうと、その逆に、めったに眼をあわせずに話す人がある。

街歩きをしながら、なにか視線を感じて振り返ると、看板やポスターの中の人物が、こっちを見つめて微笑んでいたりする。
人は、人の視線に、とても敏感。
女性はとくに敏感なのでは?

少し見つめるだけで、すぐに気がつく。「え! 後ろにも眼があるの?」
大抵の男性は、これまで幾度となく経験しているはず。
「見る、見られる」は、そのまま男と女の関係に深い根拠のようなものをあたえる。
人は、関心をもったものしか見ないから。
関心がなければ、「そこ」にいても「そこ」にあっても、見えないのである。

五感のうちでも、現代人は視覚依存型。
カメラマニアな人びとは、まちがいなく視覚型人間といえるとおもう。
ファッションマニアな人も、視覚依存型といえる方々がとても多い。鏡、カラス窓、水たまりその他、こういう現象に過敏に反応する。
それは視覚型人間の特徴の一つ。わたしの場合も、例外ではない。





カメラをもって歩いていると、人の視線を感じて振り返ると、そこに看板、ポスターに描かれた人がいる。
眼というこころの窓の中に、ことばではあらわしきれない感情のゆらめきをさぐる。
まなざしをとらえようと、神経を集中する。
フォトグラファーにとっては、そこは渚のようなボーダーでもある。なにかと、なにかがせめぎあっている。
「内と外」の境界線。

だから・・・だからおもしろいのだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 消えゆく街の記憶 ~本庄・... | トップ | びんカンな風景 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Blog & Photo」カテゴリの最新記事