失敗国家なんて、失礼な!
共産主義の崩壊後の
混乱期ですので
どんな国家でも混乱が生じます
ましてや初めてのウクライナ建設です
誰が国家を支配するかの混乱期だったのです
共産主義の次は絶対王政の時代
イスラムやロシア・東欧と
同じですので
確かにアイデンティティを
作るためには対ロシアで大団結は必要です
いずれにしろ民主主義には絶対ならず
絶対王政が近未来の姿です
歴史の法則には絶対
逆らえません
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なぜ失敗国家は「不屈のウクライナ」に豹変できたのか
ウクライナにおける戦下の日常を「虫の目」からつぶさに描くことで、侵略行為を別の側面から浮き彫りにする(Marko Subotin / Shutterstock)
ロシア・ウクライナ戦争の開戦から間もなく、『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』の著者・古川英治氏は、ウクライナ人の妻やその家族とともにキーウに留まる決意をした。ジャーナリストとして、そして戦争当事者として戦下の日常を描いた本書は、国際政治の舞台で忘れられがちな「虫の目」から侵略の輪郭に迫って行く。 迷いながらも取材を進める著者を友人として見つめてきた経済コラムニスト・YouTuberの高井宏章氏が、『ウクライナ・ダイアリー』から浮かび上がる、「ネーション」として目覚めて行くウクライナの人々の姿を伝える。
*** ロシアがウクライナに侵攻してから、2回目の冬が近づいている。膠着気味とはいえ、ウクライナは頑強な抵抗を続けている。正直、今回の戦争がこんな形で2年目の半ばを過ぎるとは思いもしなかった。 2022年2月24日にロシア軍が国境を越えた時点で、私は短期間でウクライナはロシアに組み敷かれると予想した。不明を恥じるしかないが、当時、専門家の大半も同じような見通しを持っていたはずだ。ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がリーダーシップを発揮して反転攻勢に出るなどと言えば、夢想家として笑い物になったことだろう。
払拭しきれなかった「失敗国家」のイメージ
当時、私は日本経済新聞社で編集委員として働いていた。開戦直後のタイミングでニュースキャスターも兼務することになった。日々のメディアチェックに加え、番組のゲストなど専門家と接する機会も多く、戦況自体はかなり詳細に把握していた。 だが、いくら情報を追いかけても、霧が晴れない気分は続いた。根っこにあったのは、長年抱いてきた「失敗国家ウクライナ」のイメージと、大国ロシアを退ける「不屈のウクライナ」の間の大きすぎるギャップだった。とても同じ国とは思えないほど、ウクライナは戦争を挟んで豹変した。なぜそんなことができたのか。 開戦前の私のウクライナ像は、日本人としては平均的なものだったと思う。 1972年生まれの私がウクライナを最初に意識したのは1986年のチェルノブイリ原発事故だった。その後、冷戦終結・ソ連崩壊の過程で「世界第3の核保有国」の処遇が焦点になったこともあり、ウクライナはぼんやりと「核」と重なるイメージの国だった。
近現代史の視点からは、ロシアとドイツという二つの大国に苛まれた受難の国と捉えていた。歴史家ティモシー・スナイダーが『ブラッドランド』(ちくま学芸文庫)で示したように、ウクライナ、ポーランド、ベラルーシの地は夥しい血を吸ってきた。 21世紀以降の印象は「失敗国家」そのものだった。2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命と改革の兆しが見えても、根深い汚職でまともに機能する政府を持てない国。民主化の波を警戒するロシアの影響下からいつまでも抜け出せない国。そんなイメージだ。天然ガス供給網の要であり、黒海へアクセスする世界有数の穀倉地帯という強みですら、ウラジーミル・プーチン氏の野望を引き寄せる地政学的な呪縛のように映っていた。 言葉を選ばずに言えば、私はウクライナを「呪われた地」と考えていた。まるで他人事のように。