「Pasco」の商品名で知られる敷島製パン(名古屋市)は、国産小麦の普及をリードしてきた。ほんの10年前までパン用の国産品種は限られていたが、増産に力を注いできたのは盛田淳夫社長だ。

■連載予定(タイトルや回数は変わる可能性があります)
税金投入で小麦価格維持の矛盾、「9割輸入依存」の痛恨
・逆風の国産小麦を救え、敷島製パン盛田社長の奮闘(今回)
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・ブランド化のEC産直、ギリギリの卸売市場
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 「この小麦をもっと日本でつくってもらえませんか」。敷島製パンの盛田淳夫社長は14年前、国の農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)に直談判していた。国産小麦は国内消費全体の1割にすぎないが、食品企業にとって欠かせない。2007~08年に世界の穀物相場が高騰した際、「輸入に頼りきりでは危険だと痛感した」という。さらに現代史を振り返ると「1973年には米ニクソン政権が大豆を禁輸した事例があり、大国でさえ穀物を供給できなくなるリスクには備えが必要」とみる。

 このとき盛田社長が生産を求めた品種は、現在のパン向け国産小麦として人気ナンバー1といえる「ゆめちから」に変身した。当時はまだ「北海261号」という素っ気ない名前で、「他の実験的な品種と共に消える可能性も濃厚だった」(盛田社長)。

敷島製パン社長、盛田淳夫氏:1954年名古屋市生まれ。ソニー(現ソニーグループ)創業者の盛田昭夫氏は親戚。77年に成蹊大学法学部卒、日商岩井(現双日)入社。82年敷島製パン入社、98年に第5代社長に就任。同年から発売した「超熟」を食パン市場での首位ブランドに育て上げた。2008年からは国産小麦の普及に取り組んでいる。(写真:的野弘路)
敷島製パン社長、盛田淳夫氏:1954年名古屋市生まれ。ソニー(現ソニーグループ)創業者の盛田昭夫氏は親戚。77年に成蹊大学法学部卒、日商岩井(現双日)入社。82年敷島製パン入社、98年に第5代社長に就任。同年から発売した「超熟」を食パン市場での首位ブランドに育て上げた。2008年からは国産小麦の普及に取り組んでいる。(写真:的野弘路)

 国産小麦の生産はうどん用の品種に偏っていて、パン向けの高タンパク質なものは少なかった。同社でも、この時点で国産の取り扱いはほぼゼロ。ただ、農研機構の北海道農業研究センター(札幌市)がこの改良品種を育てたとの情報を聞きつけた。「これで海外産に負けない品質のパンが作れると思ったが、農家さんに聞くと『これまで多くの新品種は開発段階で打ち切りになった』という。普及にはいくつもハードルがあると分かった」

 盛田社長は「国産小麦の生産→製粉・流通→製品化」のチェーンを整えないと国も本腰を入れず、タネの供給体制すら整わないと考えた。すぐに北海道に行って「名古屋から来た盛田と申します」と名刺を渡しながら農協や農家を回った。北海261号で試作したパンを食べてもらい、小麦の作付けを懇願。北海道庁にも協力を要請し、実現にこぎ着けた。

 敷島製パンは1919年の創業時から、「食糧難の解決が開業の第一の意義」としてきた。第1次世界大戦によって物価が高騰し、18年には市民らの暴動にまで発展した「米騒動」も発生した。創業者の盛田善平氏は「パンはコメの代用食となりうる」と、パン製造に乗り出した。現代でも、国内の食料確保を経営理念として受け継いでいる。