★ https://president.jp/articles/-/27015
愛妻をがんで亡くした東大外科医の胸中
なぜ早期の発見が手遅れになったか
政治・社会 2019.1.27 #がん #乳がん
外科医 高本 眞一
PRESIDENT 2017年1月2日号
あなたの配偶者は健康診断を受けているだろうか。専業主婦なら「もう何年も受けていない」という人も多いのでは。名医が妻を亡くした実体験から助言する。
なぜ早期の発見が、手遅れになったか
妻の乳がんが発覚したのは、今から19年前の1997年。妻が50歳のときです。「乳頭から血のようなものが出る」と妻から相談を受けた私は、すぐに近くの病院での受診を勧めました。
診断結果は早期の乳がん。早期であれば、乳がんは極めて死亡率の低い病気です。私も妻も楽観的でした。乳がんに詳しい友人に相談して(私も医師ですが、専門は心臓血管外科なので)、手術を受けることになりました。
外科医 高本眞一氏
当時は乳がんでも乳房を全摘せずにすむ「乳房温存術」という手術方法が広まってきたころで、妻本人の希望もあり、その方法を選びました。手術後に放射線治療もおこない、これで一安心と思っていましたが、手術から5年目の定期検診で乳房の表面への局所再発が見つかったのです。さらに骨盤への転移が見つかり、最初の手術から数えて8年目に肝臓と頭蓋骨への転移が明らかになりました。
四方八方手を尽くし、化学療法の名人と呼ばれている方による抗がん剤治療も受けました。これはよく効いて、腫瘍マーカー(※)の数値もぐんと下がったのですが、1年ほどたつとだんだん薬が効かなくなってきました。こうなると抗がん剤は苦しいだけです。発症から11年経った時点でがんが脳に転移しているとわかり、当時私の勤務していた東大病院に妻を入院させました。朝、回診前に妻に会いにいけるからです。
※がんの存在によって血液中に増加する物質の検査
在宅医療に切り替わっても、妻は1カ月半も生きた
もうなすすべがなくなると、東大の主治医から自宅での看取りを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勧められました。私が住んでいた官舎にはエレベーターがなかったため、窓から桜の木が見えるマンションに移り、在宅医療が始まりました。2008年の3月ごろのことです。
在宅医療の問題点は、誰かが常にそばにいなければいけないことです。私の家では、娘が仕事を辞めてずっと付き添っていてくれました。そのことについて娘に感謝していますし、おかげで在宅医療に切り替わると1~2週間で亡くなる方が多いなか、妻は1カ月半も生きていてくれました。
入院すると、夜は別々に過ごさなければなりません。しかし在宅なら夜中もずっとそばにいられます。子供たちもずっと付き添っていてくれて、最後に濃密な時間を過ごすことができました。その点については本当によかったと思っています。その後、私もあまり落ち込まずにこられたのもそのおかげだと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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● 上記のように、現代医療では癌は不治の病で有ることが確認できます。
❶ 早期発見は幻想である。
早期発見し早期治療しているのに、癌で死ぬ患者は減らないのは、
西洋現代医療による早期発見は、効果がないことを意味します。
つまり、がん検診はほとんど意味をなさないといえます。
診断は病理医の匙加減なので、早期発見の中には、良性腫瘍が
紛れ込んでおり、それが見かけ上の死亡率を低めているのでしょう。
つまり、良性なら手術してもしなくても死にはしないし、悪性と
して治療することで、見かけ上の治療効果を上げているのです。。
❷ 現代医療の早期治療は命を縮めるのみ。
近藤誠医師の研究でも、西洋医学の医師の治療から逃れた人が
長生きしていることはわかっています。つまり現状は病院の
収入を増加させる以外の効果は見られないという事です。
❸ 癌の発見後は、西洋医学以外の道を模索すべきである。
現代医療の三大治療(手術、放射線治療、化学療法)は
免疫を破壊しますから、むしろ死期を速めていることが
見て取れます。
自然治癒が起こりえるのは、患者が今までの生活習慣を
改めた時です。食生活の改善や転地療法などです。
食生活の改善とは、癌の原因であるウイルスやアスベスト+重金属
等を排泄するデトックス=食生活といえます。
同時にビタミンDやタウリン、EPA/DHA等の必須栄養素の
摂取増加も関係しているのでしょう。
転地療法とは、アスベスト+重金属の世界から逃れることが
出来たときでしょう。
愛妻をがんで亡くした東大外科医の胸中
なぜ早期の発見が手遅れになったか
政治・社会 2019.1.27 #がん #乳がん
外科医 高本 眞一
PRESIDENT 2017年1月2日号
あなたの配偶者は健康診断を受けているだろうか。専業主婦なら「もう何年も受けていない」という人も多いのでは。名医が妻を亡くした実体験から助言する。
なぜ早期の発見が、手遅れになったか
妻の乳がんが発覚したのは、今から19年前の1997年。妻が50歳のときです。「乳頭から血のようなものが出る」と妻から相談を受けた私は、すぐに近くの病院での受診を勧めました。
診断結果は早期の乳がん。早期であれば、乳がんは極めて死亡率の低い病気です。私も妻も楽観的でした。乳がんに詳しい友人に相談して(私も医師ですが、専門は心臓血管外科なので)、手術を受けることになりました。
外科医 高本眞一氏
当時は乳がんでも乳房を全摘せずにすむ「乳房温存術」という手術方法が広まってきたころで、妻本人の希望もあり、その方法を選びました。手術後に放射線治療もおこない、これで一安心と思っていましたが、手術から5年目の定期検診で乳房の表面への局所再発が見つかったのです。さらに骨盤への転移が見つかり、最初の手術から数えて8年目に肝臓と頭蓋骨への転移が明らかになりました。
四方八方手を尽くし、化学療法の名人と呼ばれている方による抗がん剤治療も受けました。これはよく効いて、腫瘍マーカー(※)の数値もぐんと下がったのですが、1年ほどたつとだんだん薬が効かなくなってきました。こうなると抗がん剤は苦しいだけです。発症から11年経った時点でがんが脳に転移しているとわかり、当時私の勤務していた東大病院に妻を入院させました。朝、回診前に妻に会いにいけるからです。
※がんの存在によって血液中に増加する物質の検査
在宅医療に切り替わっても、妻は1カ月半も生きた
もうなすすべがなくなると、東大の主治医から自宅での看取りを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勧められました。私が住んでいた官舎にはエレベーターがなかったため、窓から桜の木が見えるマンションに移り、在宅医療が始まりました。2008年の3月ごろのことです。
在宅医療の問題点は、誰かが常にそばにいなければいけないことです。私の家では、娘が仕事を辞めてずっと付き添っていてくれました。そのことについて娘に感謝していますし、おかげで在宅医療に切り替わると1~2週間で亡くなる方が多いなか、妻は1カ月半も生きていてくれました。
入院すると、夜は別々に過ごさなければなりません。しかし在宅なら夜中もずっとそばにいられます。子供たちもずっと付き添っていてくれて、最後に濃密な時間を過ごすことができました。その点については本当によかったと思っています。その後、私もあまり落ち込まずにこられたのもそのおかげだと思っています。
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● 上記のように、現代医療では癌は不治の病で有ることが確認できます。
❶ 早期発見は幻想である。
早期発見し早期治療しているのに、癌で死ぬ患者は減らないのは、
西洋現代医療による早期発見は、効果がないことを意味します。
つまり、がん検診はほとんど意味をなさないといえます。
診断は病理医の匙加減なので、早期発見の中には、良性腫瘍が
紛れ込んでおり、それが見かけ上の死亡率を低めているのでしょう。
つまり、良性なら手術してもしなくても死にはしないし、悪性と
して治療することで、見かけ上の治療効果を上げているのです。。
❷ 現代医療の早期治療は命を縮めるのみ。
近藤誠医師の研究でも、西洋医学の医師の治療から逃れた人が
長生きしていることはわかっています。つまり現状は病院の
収入を増加させる以外の効果は見られないという事です。
❸ 癌の発見後は、西洋医学以外の道を模索すべきである。
現代医療の三大治療(手術、放射線治療、化学療法)は
免疫を破壊しますから、むしろ死期を速めていることが
見て取れます。
自然治癒が起こりえるのは、患者が今までの生活習慣を
改めた時です。食生活の改善や転地療法などです。
食生活の改善とは、癌の原因であるウイルスやアスベスト+重金属
等を排泄するデトックス=食生活といえます。
同時にビタミンDやタウリン、EPA/DHA等の必須栄養素の
摂取増加も関係しているのでしょう。
転地療法とは、アスベスト+重金属の世界から逃れることが
出来たときでしょう。