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資本主義のもとでは利潤率が必ず低下しやがて崩壊する、というマルクス経済学の命題
【マルクス経済学その2】
前回はマルクスの処方箋を紹介しましたが、昨今、マルクスの経済理論は聞かなくなりました。『資本論』は長いし、難しいし、ほとんど読まれていないのでしょう。そこで今回は、マルクス経済学の理論上の2つのポイントを解説しておきます。
❶ 第1に、マルクスは古典派経済学から労働価値説を継承しました。これはけっこう大きな問題なんだ。というのは後で取り上げる新古典派経済学との論争があります。新古典派は「価値は効用(満足の程度)で決まる」として、古典派の「価値は労働量で決まる」という命題をひっくり返すことから始まります。マルクスは古典派の労働価値説を継承しているので、新古典派とのあいだで論争がありました。
「価値は効用で決まる」という新古典派の命題は別の回にゆっくり説明するので、ここでは論争のポイントだけ聞いてください。
新古典派経済学の中心のひとつだったウィーン大学での論争です。世界的な大論争があったわけではありませんが、非常にわかりやすいので紹介しましょう。
ウィーン大学法=国家学部の教授カール・メンガー(1840-1921)が「価値効用説」を唱えた1人です。
メンガーの弟子で次の世代の教授オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク(1851-1914)のゼミナールで議論されました。ゼミ生のルドルフ・ヒルファーディンク(1877-1941)が論争の相手です。1905年夏のゼミナールだったそうです。ヒルファーディンクはゼミ生とはいえ、ウィーン大学医学部を卒業した医師で、その後マルクス経済学を学び、ベーム=バヴェルクのゼミに参加していました。
ヒルファーディンクは後にドイツ社会民主党の幹部となり、第1次大戦後にはドイツ共和国政府で財務大臣まで務めた人物です。ベーム=バヴェルクは1905年当時、すでにオーストリア帝国政府の財務大臣を何期も経験していました。
受講者 では先生と学生の議論というより、経済専門家同士の議論ですね。ポイントはどこにありますか。
ベーム=バヴェルクの論文「カール・マルクスとその体系の終結」は次のような内容です。難解な論文を小室直樹さんが解説し、それを私が要約したものです。わかりやすく箇条書きにしてみます。
・マルクスは、価格を決定するのは労働投入量だとする労働価値説を古典派から継承した。
・同じ労働投入量でも、見習い職人と熟練工の時間には価値に差があることは自明だ。
・マルクスは市場メカニズムで熟練度の差は換算されるという。
・財の価値を決める要素である労働時間が市場で決まるとすれば、話は堂々めぐりの循環論に陥る。
この論文に対し、マルクス主義者ヒルファーディンクが反論しました。ヒルファーディンクの論文「ベーム=バヴェルクのマルクス批判」の内容を要約します。
・ベーム=バヴェルクの論旨は非社会的である。
・経済学の出発点を個人に置くのか、社会に置くのか。
・個人の欲望を考察するのは非歴史的であり非社会的。
・マルクスは労働価値説を価格決定の手段ではなく、資本主義の運動法則を発見する手段とする。
・ベーム=バヴェルクの考え方、すなわち限界効用理論は、資本主義体制のもつ本質的な傾向とは無関係。
この2つの論文を元にしてベーム=バヴェルクのゼミで議論が続いたそうです。違いは明確だよね。
受講者
経済を「人間の欲望の集合にある」とする新古典派に対し、マルクス経済学は「資本主義の運動法則の解明が目的であり、社会的な学問だから個人の欲望なんか対象にしていない」というわけですね。
そういうことです。
❷ 資本主義はやがて崩壊する…?
次にマルクス経済学の理論上の2つ目のポイントです。これはちょっと論理学的な話で、現実の私たちの生活とは距離があるので聞き置いてください。読むのが面倒な読者は飛ばしてください。用語も現代の経済学とは違うので、覚える必要はありません。
❸ マルクス経済学の重要な命題に「利潤率低下法則」があります。資本主義のもとでは利潤率が必ず低下し、やがて崩壊するという考え方で、資本主義は必然的に滅びるとしている根拠です。
古典派経済学では、とくにスミスやリカードは、市場は放っておけばやがて安定し、均衡する、と主張していたけれど、まったく反対だよね。放っておくと利潤率は低下し、やがて経済システムは崩壊するというのだから。
利潤率低下法則は次のように説明できます。
資本家が剰余価値M(労働者が生んだ価値、賃金以上の価値)を、可変資本V(労働力)よりも不変資本C(生産手段の購入資本)に多く投資すると、資本の有機的構成(不変資本C/可変資本V)が高度化し、総資本に対する剰余価値の比率が低下する。すなわち、利潤率p’は傾向的に低下する。m’(剰余価値率)=M/V、だからm’が不変であれば、資本の有機的構成(C’)が高度化するにつれて利潤率(p’)は低下する。
つまり、剰余価値Mを総コスト(C+V)で割った数値が利潤率p’だと定義されます。すると、
資本家が不変資本Cに投資すればするほど分母が大きくなって利潤率はどんどん低下するということです。その結果、投下した資本の蓄積は増大するけれど、労働者にマネーは回らず、貧窮することになる。マルクスが観察した19世紀半ばの英国経済は恐慌にたびたび襲われていたので、リアリティがあった。
マルクスによれば、やがてこの資本主義の矛盾が激化し、労働者が決起して資本家の富を収奪する。これが『共産党宣言』に書かれていた労働者の政府による「国有化(社会化)」です。こうして資本主義は崩壊するはずで、その後には社会主義が訪れるというのです。
❹ しかし、その後、資本主義が破綻に至るほどの利潤率低下は実際には1度も起きていません。1870年代の英国や1990年代の日本など、一定期間に傾向的利潤率低下は見られますが、資本主義そのものは崩壊していない。
資本主義は、危機のたびにマルクスの方策を取り入れて乗り越えてきたのではないかな。これが民主主義と資本主義の強さだと思います。
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● 私は、マルクスの理論を、半分貶して半分同意してきました。又資本主義の次に来る
社会主義の時代は、むしろ庶民には厳しい時代と書いてきました。つまり、
資本主義の時代≒富裕者の時代が、庶民が最も解放される時代なのです。
● それでは何故、マルクスは資本主義は崩壊すると予言したのか?そして現実には、
マルクスの預言は実現せず、資本主義は生き残ってきたのか?
● これを
270年波動論で解けば、その背景が見えてきます。
❶
つまり、マルクスの分析したイギリスの資本主義は、当時は第一波の崩壊前後で、悲惨な様相を
呈していたことです。言えば、スーパーサイクルの第(Ⅰ)波≒90年前後の
崩壊期の時代ですから、彼が見た資本主義は正に悲惨だったのです。
第(Ⅰ)波は第(Ⅴ)波と同様フラクタルを作る事は、波動理論の基本です。つまり、
第(Ⅴ)波同様、元の木阿弥まで経済が崩壊するという事です。
体制は270年説では270年ですから。90年前後で起こった
資本主義のスパーサイクル第(Ⅰ)波の
崩壊では、体制≒富裕者の時代の体制は、終わらないのです。これが
資本主義が生き延びてきた理由です。
日本の第Ⅱ次大戦の崩壊でも、資本主義は革命も起こらず、崩壊せずに、生き延びてきました。
それはイギリスの資本主義が18世紀の中頃から始まったがスーパーサイクル第(Ⅰ)波の
崩壊で資本主義の悲惨な面が露呈されてきたのと同様です。1868年から始まった
日本資本主義も90年のサイクル=スーパーサイクル第(Ⅰ)波の崩壊だってのです。
第二次大戦の勃発は、同時に英米仏等の西欧の先進資本主義のスーパーサイクル第(Ⅱ)波の
崩壊でしたから、
西欧でも労働運動や共産主義の運動も盛んになりましたが、
資本主義という体制の崩壊は起こらなかったのです。崩壊は
スパーサイクル第(Ⅴ)の完成まで待たねばならないのです。
つまり、マルクスのいう資本主義崩壊は、スーパーサイクル第(Ⅴ)の終わり、
USAでいえば、2029年~2046年の崩壊で滅びるのです。
マルクスのいう、労働者にお金が回らない≒賃金が低下≒仕事がない≒不景気
と言うのは、
サイクル理論で説明が出来ます。つまり第二波、第四波の
景気の調整期≒不景気には、資本家が儲からない仕事から手を引き、
仕事がなくなり、労働者も困る事になるのです。
いえば創造的破壊≒新旧交代期と言う事でしょう。30年サイクルでは普通の不景気ですが
90年サイクルでは恐慌が起こり、279年サイクルでは、体制が崩壊するのです。
❷ マルクスは利潤率の低下が起こり、資本主義は必然的に滅びると書いていますが、
これは、これは資本主義の利点であり、むしろ滅びる原因ではないのです。
マルクスは誤ったのです。データの解釈を誤ったのです。これは
現代にピケティにも見られるデータ解釈の誤りです。
つまり利潤率は基本的に富裕者≒資本家≒支配階級の儲けですから、彼らの儲けが
減る事は、基本的には庶民の儲けにつながるのです。ピケティのデータは
資本主義が始まってから、段々と成長率gと利潤率=資本収益率rの差が
なくなってきている事を示している事は、グラフより一目瞭然です。
その利潤率の低下≒資本家の儲けの低下は、庶民に金が回る事を意味していますから、
資本主義では庶民は相対的に他の体制よりも豊かになり企業も大繁栄するのです。
同時にピケティのデータは、資本収益率=利潤率rと成長gの解離が2012年から起こっている
であろうという事を予測しています。実際1980台年から先進資本主義国(日独を除く)
における富裕者の収入がその他庶民の収入よりも段々と増えて、
貧富の差が拡大している事は彼のデータからも見られます。
これはピケティも警告した、資本主義の危機を意味します。先進資本主義の勃興から
利潤率rと成長率gの差がなくなってきた資本主義の特徴が、ピケティの予測では
2012年から、先進資本主義・英米仏の細かいデータからは1980年から
消えつつあるのです。。
ピケティのいう、2012年からの予想図=資本収益率=利潤率rと成長率gのかい離の拡大は、
これは
今までの資本主義の特徴が失われることを意味します。つまり、
資本主義の体制の末期が近づいている事を意味するのです。
やっとマルクスの預言が実現する時が来るのです。
❸
問題はマルクスが理想と言った、生産手段の社会化と社会主義の到来の予測は、確かに
資本主義が崩壊すれば、必然的に来る事なのでしょう。これは共産主義革命を
起こしたソ連や中国、更にはキューバや北朝鮮などを見れば分かる事です。
同時にピケティのデータは、2012年から資本家≒支配階級の儲けが拡大している事を示したいますし、
又18世紀中旬以前の絶対王朝時代=君主の時代や戦国時代=武人の時代は
成長率gと利潤率=資本収益率rのかい離が酷いことを示しています。
つまり、貧富の差が激しいのは、資本主義時代以外の体制下で起こる事を。ピケティの
データは示しているのです。これは資本主義でない、ソ連や中共や北朝鮮などを
見ても分かります。支配階級の権力は絶対的となり、庶民は彼らのおこぼれを
もらいお情けで生かされているのです。
従って、スーパーサイクルサイクル第(Ⅰ)の崩壊=(Ⅱ)波を見て、その資本主義の
負の側面にのみ焦点を当てて、労働者の立場に立ったマルクスは、必然的に
資本主義の崩壊を予言せざるを得なかったのです。
そして彼の預言はソ連の革命で実現したかに見えましたが、現実はそのソ連の崩壊で
共産主義は崩壊したとみなされています。しかし、それは単に270年の武人の
時代が終わったことを意味するのです。
1720年から始まった、
ツアーリと言う絶対皇帝の支配が、単に共産主義という
絶対独裁に変わっただけです。
つまり、生産手段の社会化≒国有化≒私有財産の否定は、経済的には全く資本主義には
敵わないのです。だから中共は西側の企業を導入して経済を発展させて共産党一党
独裁の維持に懸命なのです。これを擬態資本主義というのです。
しかし、政治の完全独裁と資本主義の制度の中途半端な導入は、毛沢東やマルクスのいう
主要矛盾であり何時かはその矛盾が爆発することは想定出来ます。
韓国は資本主義の国の支配や影響が強かった分、擬態資本主義のみならず、独裁政権が滅びて
政治も擬態民主主義化していますが、その矛盾はいたるところで現れている事は
他の識者が分析をしています。中韓を知りすぎた男”のブログが詳しいでしょう。
この様にマルクスの預言した社会主義の到来は、必然でしょうが、マルクスの預言した
理想とは程遠いものであることは、歴史が示していますし、現在の共産主義国家≒
一党独裁制が示しています。マルクスの理想はそこでは完全に大崩壊しているのです。
●
この様にマルクスの預言とその命題と問題点と理想は、270年波動論からは完全に
説明出来るのです。同時に現代のマルクス・ピケティのデータの解釈の誤りも指摘できるのです。
あまりにも階級の立場を大衆≒労働者の立場に置き過ぎた、マルクスと
ピケティの問題点が浮かび上がるのです。
● 国家や社会は労働者だけでは成立しないのです。支配階級そして中間層の事も忘れてはだめなのです。
客観的な歴史の法則や、流れを見極める事が大切なのです。
●
マルクスの強調する労働価値説が正しいか限界効用説か”という命題は、資本主義体制とは
余り関係ない問題でしょう。これは人類の命題であり、経済の命題なのです。
マルクスは単に労働者の立場に肩入れしすぎただけなのです。
●
実際は、二つを足したのが、経済学なのです。つまり両方とも正しいのです。TPOで
そのどちらかが現れるのです。つまり、脱水で死に直面した人には、一杯の水は
絶対的な価値=満足を持たらしますが≒効用価値説、工場で生産している時は、
労働力の投与量≒労働価値説が必要なのです。
● 単に自然界にある、マイナスとプラス、左と右の現象と同じことなのです。片方だけでは
物事は存在できないのです。