よく、服従訓練をしていると言われるのが、
怖い・強制・叩く・押さえつける・・・などのマイナスイメージ。
そして、犬仲間からさえも、
「あそこは服従訓練してるから、犬には強制してやらせてる」
なんて言われることもあります。
今は気にしませんが、そういう人のために、競技会のビデオを出してる
ってのもあるんだけど。。。
見ていただければわかるけど、ウチの犬たちは決して
やらされてる雰囲気でもないし、怖がって従ってる訳でもない。
むしろ、イキイキとやってるようにみえるんだけど。。。
きっとそう言う人たちには、見てもわからないのかもね。
ウチの犬たちは、悪いことをしたら怒られるし、
訓練の場面では、きちんとやらないと引っ叩かれることもある。
子どもの頃、親に言われたことを遊び呆けてやらなかったりすると、
こっぴどく叱られたのと同じ感覚を想像していただければわかると思います。
その反面、良くできること、新しく覚えたこと、確実にステップアップしたこと、
ときには、それに対する意欲を見せただけでも、
怒ったときの100倍は褒め、励まします。
「どうしたら、褒められるのか?どうしたら意欲的に犬が取り組めるのか?」
ご飯を作っていても、掃除をしてても、何をしてても考えています。
決して、「どうしたら上手く怒れるのか?
どうしたら、上手くチョークチェーンで締め上げることができるのか?」
なんて全く考えてません。
なのに、何故?そう言う批判を受けるのか?
気にしないと思っていても、心に刺さった棘のように、カサカサしてしまう。
強制という方法を使って、
そのことで、犬がダメージを受けたとしたら、
強制の仕方・タイミングが間違っていたんだろう。
新しい習慣や生活態度を身につけるとき、
人は思ったより苦しい思いをするのではないでしょうか。
たとえば、今回の煙草の値上げで、禁煙をした人も多いはずです。
大幅値上げという痛みを伴ったわけですよね。
それでも禁煙をした方が良いと判断したからですよね。
強制とは、怖がらせて達成するものではなくて、
やらなければいけないという義務感を植え付けるための手段なのだ。
なんと、勘違いされている行為なんだろう。
ウチの犬たちは、強制も褒めて伸ばすも、どっちも使いますが、
決して、気持ちが萎縮したりしているとは思いません。
飼い主にいろんな事を期待し、いろんな事を要求し、
いろんな事を一緒に楽しんでいます。
強制も陽性強化も方法が間違っていなければ、
どちらもしつけに対して有効な手段だと思います。
私の犬たちに関して言えば、
新しい行動を教えたいときには褒めることが優先。
褒めるタイミングが良ければ、本当に犬は伸びます。
しかし、その中で、犬は正しくない行動も一緒に覚えて行く場合が
必ずあるんです。
「座って待て」を教えるときに、犬が勝手に伏せても、
待っていることに変わりはないわけです。
犬もそのことは重々承知でやるわけです。
そんなときに混乱を避けるために、「それは違う!」と
ハッキリと犬に伝える。
その時に座る行為を促すとか、おやつで釣るとか、そういうことをすると、
結局、犬にとって何が良くて何がいけないのかが分かりにくくなる。
キッパリと「それは違う!」と教えて行った方が犬にも人にも
ストレスを長引かせない。
私は、「あ”っ」とか不快感を表す声とともに、首輪を上に引きます。
これが強制と取れるかどうかは疑問ですが、
いわゆる強制的な訓練と言われる行為なんだと思います。
こちらの不快感とともに取った行動の後、
必ず、犬の理解という段階がやってきます。
その時には、「そうだよ。それがお母さんはやって欲しかったんだよ。」
「良くできたね~。」
「かしこいね~」と、我が犬の能力の素晴らしさや可能性に、
心から敬意を払って、褒めます。
犬は本当にかしこい生き物です。
人が心から伝えたいと思っていることは、必ず理解しようと努力します。
強制を使おうが、褒めを使おうが、
心と心のぶつかりあいだったり、心と心の対話だったり、
その方が重要なのに。
なぜ、方法論にばかり議論や批判を重ねるのか?
もっと奥深い犬に対するスピリットの部分は共通するんじゃないかな?
本質を見て欲しい。。。
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