旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

長谷寺

2010年06月20日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市初瀬にある長谷寺です。
 長谷寺(はせでら)は、豊山神楽院と称し、真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山で、西国三十三箇所観音霊場の第八番札所です。
 寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したといわれています。
 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めました。万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しています。また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場しています。
 長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺でしたが、正暦元年(990)頃に興福寺(法相宗)の末寺となりました。天正15年(1587)豊臣秀長が特別の配慮を寄せ、空賢専誉(くうけんせんよ)を迎えました。
 その事により、興教大師覚鑁(かくばん)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の寺院となりました。明治33年(1900)真言宗豊山派として独立し、総本山になりました。
 本堂以外の建物のほとんどは明治44年(1911)の大火災で焼失し、大正年間(1913-1926)に再建されました。寺宝類はきわめて多く、国宝、重要文化財を含め千点近くを所蔵しているそうです。
 国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊が国の重要文化財に指定されています。
 本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536年)までに計7回焼失したそうです。豊臣秀長の援助で天正16年(1588)に新しい堂が竣工しました。現存する本堂は徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650)に落慶したものだそうです。
本堂
 本堂は間口25.9m、奥行27.1mと大きな建物です。入母屋造で本瓦葺き、正堂は一重裳階(もこし)が付いています。本堂には本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)があります。前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり)になっています。


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