鹿児島県鹿児島市城山町にある薩摩義士碑です。
鶴丸城跡の東北端、城山登山口の一隅にあります。山形にひと固まりになった碑群です。岐阜の木曽川・長良川・揖斐川などの治水工事に従事して亡くなった多くの人達の供養塔として大正9年(1920)に建てられたものです。
この工事は幕府の外様大名に対する過酷な政策の一つでした。総奉行として家老平田靱負(ゆきえ)は千人を使って工事にあたらせました。苦労の末完成させましたが40万両の大金と80人もの犠牲者をだし、引渡し後自刃して果てました。
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