旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

鶴林寺

2015年03月18日 | 旅 歴史
 兵庫県加古川市加古川町北在家に鶴林寺があります。
 刀田山(とたさん)鶴林寺は聖徳太子が開いたとされる天台宗の古刹で、「刀田の太子さん」と親しみを持って呼ばれています。西の法隆寺と称され、本堂と太子堂は、国宝に指定され、行者堂、護摩堂、鐘楼、常行堂は国の重要文化財に指定されています。
 565年に、高麗より来朝した恵便(えべん)という高僧が仏教を広めるため我が国へ来ました。 当時の我が国では、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏が対立していました。物部氏は、兵を出して恵便をとらえようとしましたが恵便はあちこちと逃げ、現在の鶴林寺のあたりに身を隠しました。 
 聖徳太子は、恵便に仏教の教えを受けようとこの地を訪れ「木の丸殿」という丸太造りの御殿で教えを受けたそうです。589年、物部氏が倒され、四天王寺聖霊院という三間四面の精舎が建立され、釈迦三尊と四天王を祀りました。これが「鶴林寺」の始まりであると伝えられています。
 養老2年(718)、武蔵国の大目(だいさかん、国司の役職)であった身人部春則(むとべはるのり)が太子の遺徳を顕彰するため、寺域を拡張し、七堂伽藍に整備しました。この時、刀田山四天王寺と改められたそうです。仁寿2年(852)、第3代天台座主円仁(慈覚大師)が中国に渡る際、寺へ立ち寄り立願成就のため諸堂の修理を行いました。この時に刀田山は天台宗に改宗したそうです。
 天永3年(1112)、鳥羽天皇は刀田山を勅願寺に定め、「鶴林寺」の扁額を下賜しました。太子堂はこの年に建てられたようです。太子信仰が高まり鎌倉・室町時代には、寺坊は30数ヶ坊、寺領2万5千石にのぼり繁栄したそうです。。
 信長、秀吉による宗教弾圧で疲弊し、続く江戸時代の政策で8カ坊、117石に激減、明治維新の排仏棄釈で宝生院、浄心院、真光院の3カ寺だけとなりました。しかし現在、堂塔16棟をはじめ、国宝2、重要文化財18、県指定文化財10、市指定文化財16、寺宝200余点を残しています。

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