兵庫県神戸市須磨区須磨寺町に須磨寺があります。
須磨寺は真言宗須磨寺派の本山で、宗教法人的には上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)というのが正しいそうです。伝えによると平安時代初期の天長年間(824-834)に、漁師が須磨浦の東にある和田岬の海底から聖観世音菩薩像を引き上げたそうです。
この像は会下山(えげやま)の北峰寺に安置されました。そのうちに霊験あらたかなことが評判になり、光孝天皇が聞鏡(もんきょう)上人に勅命を出し、菩薩像を現在の地に移し、仁和2年(886)に上野山福祥寺を建立させました。
衰退した時期がありましたが、源三位頼政により再建されました。文禄5年(1596)に大地震により諸堂宇が倒壊しましたが、慶長7年(1602)に豊臣秀頼、片桐元且の尽力で再興されました。慶長期には、現本堂が完成し、15の塔頭を持つ大寺院になり繁栄したそうです。
明治維新後は一時衰退しましたが、源平合戦ゆかりの寺、弘法大師信仰の中心として発展し、神戸市内で最も多くの参詣客、観光客を集めています。8万平方mの広大な境内には本堂、護摩堂、大師堂、書院、宝物館、仁王門、三重塔、奥の院などの諸堂が建ち並んでいます。
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須磨寺は真言宗須磨寺派の本山で、宗教法人的には上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)というのが正しいそうです。伝えによると平安時代初期の天長年間(824-834)に、漁師が須磨浦の東にある和田岬の海底から聖観世音菩薩像を引き上げたそうです。
この像は会下山(えげやま)の北峰寺に安置されました。そのうちに霊験あらたかなことが評判になり、光孝天皇が聞鏡(もんきょう)上人に勅命を出し、菩薩像を現在の地に移し、仁和2年(886)に上野山福祥寺を建立させました。
衰退した時期がありましたが、源三位頼政により再建されました。文禄5年(1596)に大地震により諸堂宇が倒壊しましたが、慶長7年(1602)に豊臣秀頼、片桐元且の尽力で再興されました。慶長期には、現本堂が完成し、15の塔頭を持つ大寺院になり繁栄したそうです。
明治維新後は一時衰退しましたが、源平合戦ゆかりの寺、弘法大師信仰の中心として発展し、神戸市内で最も多くの参詣客、観光客を集めています。8万平方mの広大な境内には本堂、護摩堂、大師堂、書院、宝物館、仁王門、三重塔、奥の院などの諸堂が建ち並んでいます。
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