京都府長岡京市天神に長岡天満宮があります。
長岡天満宮は阪急電鉄の長岡天神駅から西に600mほどの所に建てられています。ここは唐から帰朝した空海(弘法大師)が乙訓寺の別当だった時、寺に付属する長岡精舎を建てた所といわれています。また菅原家の所領だったともいわれています。
菅原道真が大宰府へ左遷される時、長岡に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残りを惜しまれました。高槻まで同船し付き従った菅原氏の親族・中小路宗則に道真自身が刻んだ木像と念持仏を託しました。道真死後、祠を建てて安置したの長岡天満宮の始まりだといわれています。
江戸時代は桂宮家(八条宮家)の所領で、延宝4年(1676)、宮が社殿を改築整備しました。寛永15年(1638)には灌漑用のため池・八条ヶ池が造られました。10万坪もの社地がありましたが、明治維新で上地し、現在は2万坪ほどになりました。竹林や梅林、つつじ、あじさい、桜、ハス、アヤメ・カキツバタ群落もあり四季折々の散策を楽しめます。
太宰府では京の梅の木を歌に詠んだ道真ですが、樹齢百数十年の「キリシマツツジ」が多数植えられており、その見事さは日本一といわれています。「キリシマツツジ」は長岡京市の天然記念物に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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長岡天満宮は阪急電鉄の長岡天神駅から西に600mほどの所に建てられています。ここは唐から帰朝した空海(弘法大師)が乙訓寺の別当だった時、寺に付属する長岡精舎を建てた所といわれています。また菅原家の所領だったともいわれています。
菅原道真が大宰府へ左遷される時、長岡に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残りを惜しまれました。高槻まで同船し付き従った菅原氏の親族・中小路宗則に道真自身が刻んだ木像と念持仏を託しました。道真死後、祠を建てて安置したの長岡天満宮の始まりだといわれています。
江戸時代は桂宮家(八条宮家)の所領で、延宝4年(1676)、宮が社殿を改築整備しました。寛永15年(1638)には灌漑用のため池・八条ヶ池が造られました。10万坪もの社地がありましたが、明治維新で上地し、現在は2万坪ほどになりました。竹林や梅林、つつじ、あじさい、桜、ハス、アヤメ・カキツバタ群落もあり四季折々の散策を楽しめます。
太宰府では京の梅の木を歌に詠んだ道真ですが、樹齢百数十年の「キリシマツツジ」が多数植えられており、その見事さは日本一といわれています。「キリシマツツジ」は長岡京市の天然記念物に指定されています。
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